2025/03/30『冷たい』『リアル』『高層』
『――親愛なるフォロワーのみつまめちゃんへ』
ある日、SNS上で繋がった友人――こならさんから、動画投稿サイトのリンクが送られてきた。
迷いなくそれを開くと、『限定公開』の文字と共に『みつまめちゃんへ』というタイトルが冠された動画が再生され、こならさんの声がスマートフォンから流れ出す。
『どうかな。うちの声聞こえとる? 動画撮影なんて初めてやからさ、なんか変だったらメッセージちょうだいね』
動画は、今のところは何も映っておらず、真っ白だ。ただただ、彼女の声が聞こえるだけで。
『こないだみつまめちゃんにお願いされた、絵を描いてるところと出来上がったイラストを見て、よくないところとか改善点とか教えてほしいってやつを、これからやってみようと思いまーす。まぁ、いち個人の意見やからね、あんまし重くは考えんでええから』
そう言って笑う彼女は、私と同じ推しを持つ人で、私と同じで絵を描く人で、それでいて、私なんかと違ってとても素敵な絵を創りあげる神絵師だ。
彼女の迷いのない線が、バランスが良くて淡すぎずきつすぎない色選びが、すっきりと美しい頭身のイラストが、本当に好きで大好きで、それでいて推しの姿を美しく描くだけではなく、推しの優しくてちょっとドジで可愛くてボケにもツッコミにもなることができてユーモアと慈愛に満ち溢れるような、そんな性格までもが、その表情の、ポーズの、色合いの、さまざまなところから感じられるところが本当に素敵で、尊敬しているのだ。
私なんかの絵とは全く違う、推しへの愛に溢れた美しい絵を描く人。
敬愛する神絵師――それが彼女、『こなら』さんだ。
そんな彼女に、SNSで相互だから、とお願いをしてみたのだ。
イラストを描いている過程の動画と完成したイラストを送るから、アドバイスが欲しい、と。
『えーっと……【迷ってばかりな線画や、雰囲気をぶち壊すような配色をしているので、どうやったら綺麗にバランスよくかけるのか知りたいです】、か……。あと【構図がいつも同じようなのばかりなのですが、どうやったらありきたりな絵から抜け出せるでしょうか】っていう質問と、【辛口で評価をください】、ね……。とりあえず、みつまめちゃんからもらった絵を見てみようかね』
歌うような声がそう言ったその瞬間、画面に、私の描いた絵が映し出される。
陽だまりの中で桜の花を見る推し――になるはずだった、私のなり損ないの絵。ただ山吹色にも近いオレンジの背景に、それらしくもない桜の花びらと、推しのような誰かの姿が乗っかっているだけの。
……なのに。
『みつまめちゃん。うちね、この絵好きだよ』
その声が耳朶を打った瞬間、胸の奥の奥にある何かが、氷よりもドライアイスよりも、なによりも、しんと冷たくなったのが分かった。
「……え、」
『まず、背景の色。すごく綺麗だよ。あったかいおひさまの色してるし、うちらの推しってさ、まじで本当におひさまみたいにあったかくて優しい人じゃん。だから、これきっと推しのこと表現しとるんやろなぁって思ってさ』
なんで、こんなことを言われているんだろう。
『みつまめちゃんの絵ってさ、ほっとするんよね。たくさん鉛筆みたいな線を重ねてるから、ふわっと柔らかい線画になってるんよ。正解の線が分かりづらいっていうのはあるけど、これはこれでひとつありやと思うんよね』
違う、そんなんじゃない。
正解の線が引けないから、何本も描いて誤魔化しているだけ。
私は、正解の線を1本描きたいのに。
『色も淡い色で全体を塗ってて、なんか温かみのある絵になってる感じがする。でもパキッとした彩度の高い色を程よく入れてるから、絵がぼやけなくて見栄えもよくて。うちがこれやったら失敗すると思う。絵がぼやっとするかバランスが崩れるかのどっちかになる。みつまめちゃんは、ちゃんとどこまでやっていいか分かってるよ。でなきゃこれは描けんもん』
分かってないよ。分からないよ。
私は彩度が高すぎず低すぎない綺麗な色が探せないから、分からないから、淡い色でなんとかしているだけ。淡い色で表現できないところを、やたら高い彩度で描いてしまっているだけ。ただ、それだけ。
『桜の描き方も好きだよ。木そのものは描かないけど、右上から花びらが降り注いどって推しがこっちの方見上げてる感じ。あ、こっちに木があって桜が咲いとるんやなって分かる。花びらの動きとか、いっぱい線を重ねて描いた髪の毛が揺れてるのとかで、風が左の方に吹いてるのも伝わってくる。あったかい陽だまりの中で推しが桜を見上げてるの。
……辛口で評価してくれって言われたけど、褒めたいところばっかなんよなぁ』
耐えきれずに、スマホの画面を軽く叩いて一時停止させる。
まるで、高層ビルの屋上から肩を突き飛ばされて落ちていくような、そんな衝撃。
「ねぇ……なんでこんな出来損ないの絵を褒めてくれるの。なんでそんなこと言うの」
ねぇ。
どこにもやれない呻き声を漏らして、画面をタップ。動画を再生する。
『じゃあ、今度は送ってもらったメイキングの方見よか!』
画面が切り替わり、私が送りつけた動画が流れ始める。私が、拙いながらも推しの立ち姿のアタリを取りはじめるところから。
『うん、ちゃんとアタリ取ってるのいいね。バランスも全然おかしくない。うちは頭身を高めにしがちだけど、みつまめちゃんは5〜6頭身の絵を描くからさ、それならこれくらいでいいと思うよ』
そうじゃない、そうじゃないよ。
私は、こならさんみたいな高い頭身の絵を描きたいんだよ。こんな変なバランスじゃなくて。
『あ、そう。この目。これいいよなぁって。目元のこの皺がよってて柔らかい感じ、めっちゃ推しっぽい! あとこの服の影とかリアルでいい! みつまめちゃんって本当によく見て描いてるよね』
よく見て描いてはいる。それは……事実だけど。
でも、見た通りに描けてないんだよ。それっぽく寄せてるだけ、『ぽい』だけ。本物の推しとは、まるで違う。その線たちも、正しい線を探して探して見つからなくて、迷いに迷った挙げ句の果ての産物なのに。
「――なんで私、敬愛してるこならさんの言葉を否定しながら聞かなきゃいけないの」
それはふと、降ってきた疑問。
「なんで、私の絵が褒められてるの」
こんな絵、誰の目にもきっと留まらないと思ったのに。見られたとして、似ていないと嗤われて貶されて終わるだけだと思ったのに。
そうだ。私は、私は。
――貶されたかったのだ。
この絵を?
いや、こんな絵を描いてしまう私を。
貶してほしかったのだ。
『――どうやった? あんまりアドバイスにはならんかったかもなぁ。ごめんな? でもうち、みつまめちゃんにちゃんと言えてなかったかもしれんけど、みつまめちゃんの絵が大好きなんよ。もうね、ファンよ、ファン。推しの優しさ柔らかさ慈愛に満ち溢れた感じ、それを思い切り表現してるところがほんまに好き。だから、この機会に全部伝えたろって思ったら、結構長くなったかもしれん。見づらかったらg』
手が勝手に動いて、動画投稿サイトを閉じた。
ふつりとこならさんの声が途切れて、そして、聞こえてきたのは。
私の、荒い呼吸の音。
頭が痛い。耳が痛い。胸の冷たさは指先まで伝播して、体が震える、思考が働かない。
なんで、なんで。
こんなつもりじゃなかったのに。
ぎゅっと、目を瞑ってうずくまった。
そうして、狭くてどこまでも続く闇の中で、私は。
2025/03/30 22:43
誤字があったので修正しました。




