2025/01/29『青』『しょっぱい』『強固』
青いワンピースが、風になびいて揺れていた。
きゃあ、と君が大きな声をあげる。ワンピースの裾を抑えて、快晴の空を背に大きく口を開けて笑う君は、後ろで輝いている太陽よりも眩しい。近くの噴水が風で霧のように広がって、虹がかかったのが見えた。
目の前に広がるそれは、君の歩いていく先に待っているであろう明るい未来にふさわしいような、そんな景色。
「ねえ、ぱぱ!」
君が僕を呼んで指をさす、その先には僕が見つけたものと同じ虹が。
「めっちゃきれい!」
「ほんまやねぇ。今日はいいことがあるかもしれんよ?」
「せやねぇ!」
虹に触ろうとして噴水の方に駆けていく君は今日、ひとつ、歳を重ねる。
『――ねえ、』
君のことを追いかけていこうとした瞬間、ふと、愛する人の声が耳に蘇って足を止める。
『この子のこと、きっと大切に育ててね。そして……幸せにしてあげてね』
本当なら、いま僕の隣に立っているはずだったひとの、聞こえるはずのない声が。
『きっと、私にはできないから。お願いね。……忘れないで。私と約束したことも、私のことも』
ああ。
忘れるわけがない。
今日は、世界一愛おしい君が生まれた日。
そして、最も愛していたひとを失った日。
そのひとは、君の母親は体が弱かったから、君の出産に耐えられないことを分かっていた。
分かっていて、君を産むことを選んだ。
『私の分まで、この子を愛してあげて。二人分の愛情を注いであげて。絶対よ』
出産の直前にそう言い残して、そして。
僕と君の目の前で、いなくなってしまった。
一瞬だけ君の顔を見たそのひとは、幸せそうに笑って旅立っていった。
僕は嬉しくて悲しくて苦しいのに幸せで、頭がおかしくなりそうな中で泣いていて。体の水という水が涙になってしまった気がしたし、口の中にはしばらく涙のしょっぱい味が染みついて離れてくれなかった。
それでも、君の姿を見た瞬間に愛おしさでいっぱいになって、絶対に君のことを幸せにしようと心に決めたんだ。
「……ぱぱー?」
君の声で、ふっと我に返る。
「ぱぱ、どうしたん?」
こちらに駆け寄ってくる君に目線を合わせるようにしてしゃがむと、こてん、と首を傾げた君が不思議そうにそう言った。
「え、なんや急やなぁ。なんで?」
僕も首を傾げると、君は僕の方へと手を伸ばして、その柔らかな指でそっと頰を撫でて。
「だって、ぱぱ、泣いとる」
青い風が吹く。君のワンピースの裾を揺らす風が僕の頰に触れると、ひやりと冷たくて。
「なんで泣いとるん?」
君の問いにそっと微笑めば、細めた目から涙がこぼれ落ちていく。それをぬぐって、君をギュッと抱きしめた。
「なんでもないんよ。――ちょっとだけ、悲しいことを思い出しただけや」
「かなしいこと?」
「せや。でも、もう大丈夫」
な? と笑顔を見せたその瞬間、噴水が高く、どこまでも高く水を吐き出した。二人で思わず振り返ると、直後、大きな虹がかかるのが見えた。
「わあっ!」
楽しげに歓声をあげる君の声は、僕の心をくすぐって踊らせて、僕のことまで笑顔にしてしまう。
噴水の方へと駆けていく君の無邪気な足音は、僕を突き動かすメロディーになる。
君の言動が、感情が僕に染み込んでいく。そして、僕の生きる意味になる。
「にじ、きょうはいっぱいやねぇ!」
「せやねぇ。今日はきっと、幸せもいっぱいやで」
君の隣に並んで、そっと手を繋ぐ。
これからも、君と一緒に歩いていこう。
君と楽しいことをたくさんして、君が悲しんだり不安になったりすることがあれば誰よりも近くで寄り添おう。
君が道に迷ったなら、僕が道標になろう。君が夢を見つけたなら、一緒に地図を書こう。
それが、あのひととの約束で、君への誓いで、僕の願いだ。
その思いを強く固めたそのとき、君のワンピースと同じ色をした空を、輝く光の方を指差して、君は満面の笑みを浮かべた。
「しあわせ、いっぱいやね!」




