2024/12/31『現実』『赤』『海』
「すみませーん、お店の方ですかー?」
足音と声が少し離れたところから聞こえて、意識が作業の海から浮かび上がる。こちらに近づいてくるお客様の姿を認めた瞬間、作業の手が止まって口元に笑みを描かれるのが分かった。
「はい! いかがなさいましたか?」
明るく、元気に。そう問い掛ければ、目の前に来たお客様は困ったように眉を下げつつも、ぱっと明るい表情を浮かべた。
「水引を探してて……上の方に『地下にある』って伺ったんですけど、どこですかね?」
「水引ですね! 裏からお出しします。お色は紅白と金銀がありますがどちらですか?」
「門松用なので、紅白で。1mくらいのあります?」
少々お待ちください、と断りを入れてからカウンターの裏へ。長さと料金の表を見て、在庫を確認して、4尺のものを手に取った。
「90cmのものが売り切れてしまいまして……少し長い120cmならありますよ」
このくらいです、と実物を見せれば、お客様は納得したように頷いてみせた。
「じゃあそれを……3本で」
「かしこまりました! 1本66円になりますので、198円ですね。ひとつ上の階でお会計となります」
口を動かしながらも、手は止めない。水引を手に取って袋に入れて丁寧に手渡せば、お客様はにこやかに「ありがとね!」と売り場を立ち去っていく。
「ありがとうございました!」
礼をして、一息。再び手元にあるものに意識を向ける。これからくる春に向けて準備している、季節ものの手ぬぐい。個包装されていないので、綺麗なビニール袋に入れて包むのだ。
残っている仕事はこれだけではない。
たくさん届いた瀬戸ものの招き猫に値段シールをつけて、そろそろ桜柄の便箋を品出しして、自分が担当する万年筆売り場に出している万年筆用インクの在庫も確認しないといけなくて、それからそれから……。
考えるだけでため息が出そうだが仕方がない。
とある大晦日、街角にある小さな文具雑貨店『ひのきや』。
私は今日も、ここで仕事をこなしている。
まだ、私は今年が終わることを実感できずにいる。
それはもしかしたら、年末年始の休みがないからなのかもしれなかった。12月31日まで働いて、初出勤は1月1日。年末年始は繁忙期だから、有給を入れることもできない。ここは、そういう職場だ。
季節で売るものが変わるからまだかろうじて季節感を失わずにいられるけれど、季節を先取りして物を販売するのでその季節感は「リアルタイム」ではなくて。
例えば、カレンダーや年賀状、お年玉袋は秋から販売しているから、実は年の瀬感はあまりない。普段よりも紅白の水引を買っていかれるお客様が多かったり、お金を包むための半紙や奉書紙の売り上げが上がるから、まだ年末なのかもなぁという感じがするくらい。でも、頭で年末だと認識しているだけで、心が実感できていない。上手く言えないけれど、そんな気がする。大晦日のような気がしない。
これが現実だ。仕方がないけれど。
「店員さーん、水引ある?」
大晦日だというのにも関わらず、お店は今日も混み合っている。まぁ、繁忙期だから仕方ない。
「はぁい! 紅白と金銀がありますが――」
「紅白の! 正月飾り用なの」
焦った様子で言葉を重ねるその女性は、手を動かしながら少し考えて「少し長めの、ない?」と手で長さを示してみせる。「このくらいですかね?」と4尺のものを見せれば、お客様は満面の笑みを浮かべて手を叩いた。
「そう、それそれ! 6本ちょうだい!」
「かしこまりました! 今ご準備しますね」
袋にテキパキと入れて渡せば、お客様はぺこぺこと慌ただしく、けれど笑顔で頭を下げる。
「ありがとうね! 準備するの忘れてたのよ! ひのきやさんは年末年始も営業してて助かるわぁー。来年もお世話になります! じゃあ、よいお年を!」
ありがとうございました、と頭を下げながら、レジのあるひとつ上の階に駆けていく音を聞きながら。お客様の言葉を噛み締めていた。
ああ、そうだ。
今日で、今年は終わるのだ。
確かに、年末年始の休みがないのも、年越し感をあまり感じられていないのはあるけれど。
でも、私たちが仕事をしているから、助かる人が、喜ぶ人がいて。
そうやって喜ぶ人の笑顔が見たいから、私はこの仕事を選んだのだ。
どれだけ忙しくても、慌ただしくても、やることが多くても。
誰かが幸せそうに笑っているのを見ると、私も幸せになれるから。
「うるちゃーん! お待たせした!」
騒々しい足音と共に、先輩がやってきて私の肩をぽんっと叩いた。
「休憩押しちゃってごめんねー。ちゃんときっちり1時間、行っておいで!」
「はーい。じゃあ、休憩いただきます」
仕事の引き継ぎだけ簡単に済ませて、バックヤードへ。そして、スマホを開くと通知が1件。推しが、年内最後の雑談配信をしているらしい。
慌てて配信アプリを開いたけれど、もう配信を閉じようとしているところだったらしい。コメント欄には年末の挨拶が溢れていた。
『あとでアーカイブ聞きます! どうか、よいお年をお過ごしください』
私もコメントだけ残して、ふと、顔を上げる。
「――このお店に来る方も、働く人も、推しも、同じファンのみんなも、みーんな。
よい、お年を」
祈るように、そっと、呟いた。
2025/01/01 21:25
脱字があったので修正しました。




