2023/11/28『真実』『過去』『旅』
「あのねぇ、真実ってそんなに簡単に分かるものじゃないんだよ」
目の前にいる友人は、呆れたようにこちらを見やって、もう言い飽きた、とでも言いたそうな口調でそう口にした。
「……うん。でも、知りたいんだよ」
「ひとつ言っとく。私ら『魔術師』だって、完璧じゃないんだ。いくら魔法が使えるとはいえ、人のできることの範疇でしかないし、あんたがいま私に頼んだことは『人のできることの範疇』にこじつけで無理やり含めているような、つまりは難易度の高い魔法だよ。私は……まぁ使えないことはないけど、失敗する可能性だってある。そのうえ、そうして知ったことがあんたにとっての『真実』であったとしたも、それは『事実』じゃないかもしれない。……それでも、あんたは知りたいの?」
俺の言葉に被せるように食い気味に、そして畳み掛けるように早口で友人の語ったことは、きっと、普通の人よりも強く特殊な魔法の力を操ることのできる彼女が、今までにもきっと、多くの人に、何度も何度も告げ続けてきた言葉と同じなのだろう。そう思うほどに流暢で、言い慣れているのを感じ取ってしまう。
……それでも、俺の決意は変わらない。
「うん。だから、思い出させてくれないか。
俺の、ぼやけてしまった記憶。思い出せない、消えてしまった過去を、さ」
俺には、思い出せないことがある。
例えば、幼少期の自分はどんなことをして過ごしていた子供だったのか、とか。
例えば、自分はどんなことが好きでどんなふうに育ったのだろう、とか。
例えば、通っていた高校の名前、お世話になった先生や、育ててくれた両親の名前、とか。
例えば、目の前にある友人といかにして出会い、どんな会話をしたのか、とか。
ここ最近の記憶ははっきりとしているのに、数年前に遡ろうとするだけで思い出に穴が開き始める。
今の自分の部屋にはたくさんのキャンプ用品や車の手入れ道具や、そういったものがあるから、つまりそういうことが好きなんだろうけど、やろうとしても気が向かないことややり方がわからないことが多い。
そして、俺の手は、いろいろな色に染まっている。
いくら洗っても、全然落ちない。お風呂に入ればマシにはなるけど、なぜか落ち切ってはくれない。原因は、全くわからない。
いろいろなことが、分からない。
だから、俺は魔法を使える友人に頼むことにしたのだ――『俺の記憶を蘇らせてくれ』と。
「覚悟しなよ。よほどショックなこと思い出しても、あんたの責任だから。――気をしっかり持ってよね。あんたはいろんなことを忘れてる。なにが起こるか、分からないよ」
警告音のような鋭さでそう言って、友人は小さく息を吸い込んだ。
「《――――。――――――、――――――》」
俺には意味の分からないけれど、歌うような滑らかな、なにか呪文のような言葉を彼女が呟いた、その瞬間。
――高い波が、ものすごい力で俺のことを飲み込んで。
俺は、あっけなく、意識を手放した。
――そうだ。
そうだった。
俺は昔から、外に出ることが苦手な子供だった。
本を読んで、文章と言葉と友達になって、登場人物たちと語らうことが好きだった。だから、小説を書くことが趣味になったのも、自然なことだった。
高校は文芸部のあるところにした。そこで万年筆が大好きな友人と出会った。
そう。目の前にいるはずの、魔術師の友人だ。
彼女の影響で、俺も万年筆が好きになった。好きな色のインクを自分で買って、安物の万年筆に詰めて、小説を書くようになった。
そんな俺のことを、親はいつも何も言わずに見守ってくれていた。道を踏み外さない限り、好きなことをさせてくれる親だった。
独り立ちしたあとは、部屋を床が抜けそうなほどの本と本棚で埋め尽くし、たくさんのインクや万年筆、ガラスペンを、そして万年筆ペン先のつけペンが出るようになってからはつけペンを買い集めては、小説を書くのに使い、手紙を出すのに使い、仕事に、日常に、使っていた。
つまり、いくら洗っても落ちない染みは、常日頃から触っていた万年筆やつけペンのインクのせい、だったのだ。
ならばあの部屋は――いま住んでいるあの部屋は、いったい何なのだろう?
自分の趣味とはまるで違う、あのえたいの知れない自室は、なんだというのだろう?
「――い、おーい、大丈夫?」
遠くから、友人の声が聞こえる。まるで、水の中に、沈んでいるみたいだ。
「よっぽど色々忘れてたんだろうね。情報の波に飲まれて、脳が処理落ちして気を失ったんだろ? ……でも、もう処理し切れるころじゃねぇか? そろそろ戻ってこーい」
その声に引き上げられるようにして、俺は。
「あ、ようやく目ぇ開けた。大丈夫?」
目の前にいる友人の姿を、再び目にした。
眩しすぎるのか、彼女の輪郭はぼやけて曖昧だ。
「……うん。うん、大丈夫」
「嘘だね。なんであんた、泣いてるのさ?」
頬を伝うなにかにようやく気がついて、思わず、勢いよく拭い去る。
「なぁ……なんで、こんなにたくさんのこと、忘れてたんだろうな? 忘れる必要がないような……忘れなくていいような、そんな思い出ばっかりじゃねぇかよ」
「知らないよ、そんなこと。とにかく、私はやるべきことをちゃーんとやったからね。そのあとどうするかは、あんた次第だ」
それじゃ、と友人は俺の前から離れていく。魔法で移動したのか、彼女の姿は、妖精のように一瞬で消えてしまっていた。
「……なんでだよ。どうして、こんなことになったんだよ。結局、分かんないことだらけじゃねぇか」
俺は、道に迷った旅人のように、途方に暮れるしか、なかった。
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「……一体、何をさせられようとしてたんだろうね、あいつは」
魔法で瞬間移動をした彼女は、ひとりきり、つぶやいていた。
「魔術師だからね、どうして記憶を思い出せないのか、どんな経緯で記憶が消えたのかくらいはわかるんだ。あいつの記憶は、何者かに意図的に消されていた。意図的に人の記憶を消せるのなんて、魔術師くらいしかいない」
簡単に言えば、魔法を悪用した者がある。
その事実だけで、同じ魔法を使える者である彼女は、うまく言葉にできないほどの感情に飲まれそうになる。魔法は人の幸せのためにあるべきものだ、と思っているから、なおさら。
「多分、魔法の使い手は、あいつの記憶を全部吹っ飛ばそうとした。でも力量不足か魔力不足かで、全部吹っ飛ばすことまではできなくて……ってところかな。胸糞悪い話だ。ってか、なんであいつの記憶が吹っ飛ばされなくちゃいけないんだ。意味が分かんない」
言葉にならない感情をなんとか言葉にして、全て吐き出して、彼女はようやく、強い決意をその表情に宿す。
「旅に出よう。たくさんの魔術師に会うための旅に。同じように幸せのために魔法を使う人々と出会って、互いにいろんな魔法を学んで、そして、魔法を悪用する奴がいたらとっちめるための旅に。……あいつみたいな人を、増やさないために」
1人の記憶が消えて、再び蘇った、それだけの出来事。
しかし、ここから2人の運命は、大きく変わり始めることとなる。




