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2023/06/08『路地裏』『太陽』『姫』

「助けてくれなくていいの。私は、私の力で生きているんだから」


 その言葉は、僕の心を、深く、深く抉っていった。


 劇作家として駆け出しだった僕は、その日も、机に向かい合って台本を書こうとした。

 けれど、デビュー前にはすらすらと溢れ出るようだった言葉は、いつの間にか出涸らしを目一杯絞るようにしなければ出てこなくなっていて、かろうじて書けたはずの文章は、あまりに魅力のない粗雑なもので。

 なにしろ、作者である自分が面白いと思えなくて。

 あまりに嫌になったものだから、気分転換に、散歩に出かけたのだ。

 久々に出る外は、昔となに一つ変わりなく、いくら歩いたところでなにも新たな発見もなく。

 ため息をつきながら帰ろうと思いつつ、ふっと、路地裏を覗いたとき。

 ――彼女が、いた。

 あまり綺麗ではない服を身に纏い、ボロボロの靴を履いて、顔も体も傷だらけ、髪の毛もちゃんととかされていない、細くて今にも崩れ落ちてしまいそうに見える、そんな少女が。

「……だ、だいじょう、ぶ?」

 俯いて突っ立ったままの彼女に、思わず、近づいて声をかけていた。

「けが、痛くない? おなか空いてない? なにか、いる?」

「――大丈夫」

 思いの外強い声に虚を突かれ、息を呑む。

 いつの間にか、鋭く、澱んだ目が僕を睨み返していることに気がついた。

「助けてくれなくていいの。私は、私の力で生きているんだから」

 ふい、と僕に背を向けて、とっ、と一歩踏み出して。

 彼女は、力強いステップを踏み、踊り始めた。

 優雅、というのとは違う。

 艶やか、というにはなにか足りない。

 可憐、というにはほど遠い。

 けれど、彼女の踊りは、情熱的で、そう。

 美しかった。


 ――この日、僕は、路地裏で少女と出会った。


 言葉にすれば、たったこれだけ。

 けれど、この出会いが全てを変えてしまった。


 その日以来、僕はときどき、あの路地裏に行くようになった。

 少女はいつでも僕を鋭く睨みつけはするけれど、こちらが余計なことをしない限り、拒みはしなかった。

「大人って暇なんだね」

 あまりに足繁く通うようになったからか、少女からはそんなことも言われた。

「大人が暇なんじゃない。僕がそうってだけだ。……面白い台本をかけない劇作家なんて、誰もお呼びじゃないのさ」

「……ふうん。劇の台本、書く人なんだ」

 ぶわり、と。

 からりと熱い風が吹いた。路地裏には似合わない、例えるならば、そう。砂漠に吹く、風のような。

 いつの間にか、路地裏に太陽の光が差し込んでいる。コンクリートは、周囲に建つ建物の壁は、その熱をギュッと溜め込んで僕らに容赦なくぶつけてくる。そんな中、風が吹いてきたからだ。

「それは、お兄さんの努力が足りないからじゃなくって?」

 ――言葉に、頰を殴られる。

「私は……私は、そんなに恵まれた環境じゃないって知ってる。友達は私のことをおかしいって笑うし、先生は現実的じゃないって冷たい目で見るし。親は見ての通り、私をモノ扱いしてるし。家にいたくないからここにいるんだけどさ。

 それでもね。夢は諦めてない」

「……ゆめ?」

 力強く、ステップを踏み始めた少女に、思わず問いかける。

「ステージに立って、踊る人になる。昔、親がつけてたテレビでたまたま見たの。すごく綺麗だった。胸がギュッと締め付けられて、苦しくて、でも幸せなの。あんな踊りを、踊れるようになりたい。私の踊りで、人を幸せにしたい」

 そうか、と。

 腑に落ちた。

 この少女は、踊るために生きているのだ。

 辛いこともしんどいことも全て自分で抱えて、持て余しそうになるから。だから踊ることにしがみついて、自分を強く持とうとしているのだ。

 懸命に生きようとしているから、彼女の踊りは美しい。

 太陽の光が、スポットライトのように少女を照らす。熱気を含んだ風が強く吹き付ける。


 物語の欠片が、きらきら、降ってきた。


 その日、僕は家に帰るなりすぐにひとつの戯曲を書き上げた。

 砂漠の国、その街角で孤児が踊って稼ぎを得ていたところ、その国の王が孤児の踊りを見て心動かされ、彼女を養子に迎えた。そして、王は実子である姫君と養子に迎えた孤児を客人の前で踊らせることにしたのだ。実子である姫君は優雅でたおやかな踊りを披露した。一方、孤児は情熱的で躍動的な舞を踊った。二人の踊りはたくさんの人に絶賛され、姫君は「月の踊り子」と、孤児は「太陽の踊り子」と呼ばれるようになった――そんな話だ。


「へぇ。本当に劇作家だったんだ。いい話じゃない?」

 物語が出来上がるきっかけとなった少女に語って聞かせると、鋭い目に意外そうな色を浮かべてつっけんどんにそう言った。

「ありがとう。……ねえ、君にお願いがあるんだけど」

「なに?」

「この『太陽の踊り子』役をやってくれないか」

 彼女の目が、目一杯に見開かれるのが分かる。

「……なんで?」

「君の踊りを見て、この物語を思いついたんだ。だから、きっと君が一番ふさわしいと思って」

「……そう」

 その日、少女は初めて、初めて、笑った。

 眉を下げて、寂しそうに、笑っていた。

「ありがとう。でも、最初に言ったでしょ。

 助けてくれなくていいの。私は、私の力で生きているんだから」


 その日以来、僕は少女に会っていない。

 少女が、あの路地裏から消えてしまったからだ。


 僕の書いた台本は、劇になった。そして、たくさんの人に「魅力的だった」「面白かった」と言ってもらえるようになった。

 ただ、何度、何度二人の踊り子の公演を見ても、僕は『太陽の踊り子』がやっぱり物足りなく感じて、考えてしまう。

 もし僕が、これからも魅力的な劇の台本を書き続けられるなら、いつか、彼女は僕の前に姿を現してくれるだろうか。少女が『自分の力』で僕の前へとやってきて、また踊りを見せてくれる日は来るだろうか。――そんな、自惚れみたいなことを。

 いや。

 自惚れでもなんでもいい。

 僕は、僕の力で夢を叶えよう。

 これからも戯曲を書いて、現役劇作家でい続ける。そしていつか、あの少女が僕の戯曲に興味を持って、役者として参加したいと、そう言ってくれるような面白い話を書き続ける。それが、今の僕の夢だ。

 目を閉じて、祈りを込めて呟く。


「……またいつか会おう、『太陽の踊り子』さん」


 私は『太陽の踊り子』じゃない、と鋭い目で睨みつけてくる彼女の姿が瞼の裏に浮かんだ。

2023/06/09 08:33

誤字を修正しました。

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