2021/09/28『希望』『ロボット』『薬』
「はっくしゅん!」
「……大丈夫ですか?」
ラジオの音楽番組が軽やかに流れる、昼下がり。
大きなくしゃみをした百音ちゃんに、つい問いかけてしまった。
「大丈夫よ、宙。きっとみんなが私のことを噂してるだけだから」
いろんな人が探してるんだろうなぁ、と呟く彼女の表情は、心なしか暗くて。
――噂をされているからくしゃみをするなんて、そんなの、迷信ですよ。
その一言を、投げかけることができない。相手が百音ちゃんでなければ、いくらでも言うことができただろうに。
だから、言葉を変えて口にする。
「大丈夫ですよ。僕たちのことは、誰も見つけることができませんから」
噂なんていくらでもすればいい。その噂はここまで届けさせない。誰にも、百音ちゃんには手を触れさせない。
この部屋の外には、彼女にとっての地獄が広がっているのだから。
僕も、百音ちゃんも、追われる身だ。
百音ちゃんは、誘拐された中学二年生として。
彼女を誘拐したのは、僕。その理由は、簡単なこと。彼女が、両親に虐待を受けていたからだ。たまたま出会った僕に、縋るようにして助けを求めてきたからだ。
だから、手を差し伸べた。口には出さなかったけれど、『一緒に、逃げよう』と。
それ以来、彼女と僕は、共に暮らすようになった。
百音ちゃんは今、外に出られない。部屋の中にいなければ、警察に見つかってしまう。見つかってしまったら、彼女は両親の元に戻らなければならない。それを、僕も百音ちゃんも、望まない。……だからといって、ずっと狭い部屋に閉じ込めてしまうのも、どうかと思うのだけど。仕方ないとは分かっていても、苦しい。
でも、彼女は、それでも笑うのだ。
花が咲くように、眩しいくらいに。『宙と一緒なら、二度と外に出られなくてもいいわ』とまで言って、幸せそうに。
だから、僕は百音ちゃんを守ると決めたのだ。
僕は、高性能AI搭載ロボット[ソラ]。研究所から脱走して、自らを改良し、研究所の人間たちから追われながらも、人間のふりをして暮らすモノ。人間の技術よりも上の技術を持つ、人間の頭脳よりも優れた頭脳を持つロボットなのだ。
そんな僕に、一人の少女を隠しきり、守ることができないわけがない。
「――ねえ、そら」
いつもよりも舌足らずな呼び方に、偽物の鼓動がちょっと早まる。
可愛らしくて、でも、不安になる声だ。
「なんでしょう?」
「少しだけでいいの。ぎゅうってしていい?」
「少しだけと言わず、いくらでもしていいですよ。百音ちゃんの幸せが、僕の幸せですから」
ぺたり、と。
右横からぎゅっと僕を抱きしめる彼女の、皮膚温度が普段よりも高い。熱を出したのだろうか。
彼女を医者には見せられないが、医療知識くらい、僕の中にもたくさん入っている。あとで少しだけ診察させてもらって、市販薬でなんとかなりそうなら薬を買ってこよう。
「……今日も宙は冷たいのね。気持ちいい」
「たまには僕の冷え性も、役に立つみたいですね」
冷え性だなんて、そんなのは嘘だ。僕の体には人肌の温もりを保つための機能がついていない。彼女にも言えない自分の正体を隠すための、苦しい言い訳だ。
「……ありがとう、そら。そらはね、私にとって……希望のひかりなの。そらがいたから、私はこんなにわらっていられる。しあわせでいられる。ほんとうに、ありがとう」
熱に浮かされるようにして言葉をつらねる百音ちゃんに、返せる言葉を探して、声にする。
「いいえ、こちらこそ」
僕にとっても、百音ちゃんは希望の光だ。
味気なかった毎日が、彼女と一緒だと、明るく彩り豊かなものになる。人間に作られた『心』の機能は、百音ちゃんと出会ってから忙しく稼働するようになった。
百音ちゃんが、教えてくれたのだ。喜びも幸せも、全て。
うつらうつらとしはじめた彼女に、そっと声をかける。
「百音ちゃん、少しだけお昼寝しませんか?」
「……そうね。なんだか、ねむい気がする」
ふにゃりと微笑む彼女をベッドへと連れて行き、そっと寝かせた。すとん、と眠りに落ちた百音ちゃんのことを軽く診察してみて、風邪だろうと判断する。
「なら、今日の晩ご飯は消化にいいものにしましょうか」
ふっと、笑みが浮かび上がる。
百音ちゃんが眠っているうちに、出かけることにしよう。晩ご飯の支度と、風邪薬の入手のために。




