2021/03/27『夜』『恋人』『真実』
一人の青年が、真っ暗な神社で佇んでいた。
桜の木を見上げ、その花びらを受けながら。
それを見ているのは、雲に隠されて霞んだお月様。
もう真夜中に近い時間のことだ。
「ねえ、君はよく知っているよね。ひとの命はあまりにも早く、簡単に散ってしまうこと。……それこそ、そう。桜の花みたいに」
呟くように語る彼には、影がなかった。
背後にある木の幹がほんのり透けて見えるのは、決して気のせいではない。
――彼は、幽霊と呼ばれる存在だった。
「もう、君が記憶していないほど昔のことさ。僕と君が初めて出会ったのは」
すっと目を細めて、彼は笑った。
「神社で巫女をしていた君と、幼なじみの僕は、すぐに仲良くなったね。初めて出会った君は、今の君よりも背が少し高かったかな?」
はらり、桜の花びらが舞い落ちる。
「幼なじみから恋人になり、結婚をする約束をして……そんなある日、僕が早死にする運命だと知った君は、大泣きしてたよ。普段の巫女としての凛々しい姿なんてどこにもなくってさ。心配したんだよ。あの世にいけなくなってしまうほど、ね」
生きてはいないはず、実体のないはずの目から、こぼれ落ちるものがあった。
「幽霊になってからずっと、僕は君のそばにいたよ。君はいつも心残りなくあの世へ行き、そしてこの世界に戻ってきた。そのときには必ずこの神社の巫女として生まれ、そして僕の姿を見て、話を聞いてくれた。
ただね、ひとつ悲しいことがあるならば……」
ふと、顔が伏せられる。
「……君は死ぬたびに、僕のことを忘れるってことだね。僕は、君のことをこんなに大切に思っているのに。今も、こんなに君のことが好きなのに」
報われない想いを抱えて、そっと空を見上げた。
「――そらや、どうしたの? こんな夜中に」
ふと、降りかかってきたのは、若い女性の声。
「……ああ、巫女の月子ちゃん。なんでもないよ。すこし、昔のことを思い出してね」
「そうなんだ。……それって、悲しいこと?」
「ううん、違うよ。あったかくて、愛しくて、でも寂しいことさ」
「そう……。ねえ、一緒にお茶をしない? 一人だとつまらないからさ」
青年――そらやは、はっと目を見開いた。
この神社の巫女の笑顔は、かつてそらやの心を鷲摑みにしたものに瓜二つだったのだ。
「――でも、同じ魂なら、当たり前なのかな」
「ん、なんか言った?」
「ううん、なんにも。さ、お茶をするんだろう?」
「そうだね。ついてきて!」
その後ろ姿を見つめながら、そらやは恋人に向かって、ささやいた。
「……今の君には、真実を語っても、いいのかな?」
巫女の月子が、遠い昔に自分の幼なじみで恋人であったこと。そして、幽霊としてこの世にとどまっているのは、月子の魂を見守り続けるためであること。
彼女の、遠い昔の名と今の名が、同じ『月子』であること、かつても彼女のことを『巫女の月子ちゃん』と呼んでいたこと――。
「……いや、秘密にしておくよ」
そっと見守るだけでいい。この想いは自分の心の中で、大切に抱えておけばいい。
そう決めて、そらやはそっと、微笑んだ。




