2021/03/26『妖精』『高層』『ガラス』
君は、小学生の僕よりも背が低かった。初めて会ったとき、僕の目の前で君はすってんころりんと見事に転んだものだから、余計子どもに見えてしまったのだ。
「これでも立派な大人なんですよっ!」
そう言って僕の知らないいろんなことを語りだす君は、見かけによらずかなり歳を重ねてきたのだと感じ取った。理由もなしに、その知恵の深さを知ったのだ。
「ねえ、私、一度海に行ってみたかったんです。一緒に行きませんか? ずっとあこがれだったんです。今までは、行けなかったから」
ここは森や海がすぐ近くにある自然豊かな街だというのに『海に行けない』というのは、少し不思議な気がしたけれど、ただ頷いて君の手を取った。
そして、僕は海へと歩いていったのだ。君が決して転ばないように。
「うわあ、すごい!」
白い泡を立てて迫りくる波と追いかけっこをして、サラサラの砂と戯れ、輝く海をきらめきを宿した目で見つめる君は、やっぱり幼く見えた。
けれど。
「あっ」
「どうしたの?」
「見て、これ。シーグラスっていうんだ」
緑色の小さな欠片を手に取ったとき、それをじっと見ていた君は「すごいわね、海は」と呟いた。
「どうして?」
「それは、もとはガラスの欠片なのよ。瓶かなにかが割れて、海を流れるうちに、波や砂や石に削られて、角が取れ、磨かれて、こんなにきれいなものになるのよ」
「……知らなかった」
やっぱり、君は僕以上に物知りで、きっと長生きでもあったんだ。
それからというもの、僕は君と行動を共にした。
僕が幼いうちは近所を冒険して回った。僕が大きくなってからは行動範囲が広がって、だんだんとショッピングモールや高層タワーや、都会の名所なんかを見て回るようになった。
君は物知りなくせして、いろいろな経験が「初めて」のことみたいだった。高層タワーの展望台から街を見下ろしては感嘆の声をあげ、ぱちぱちとはじけるアイスを食べては目を丸くした。
そして、そんな日々を過ごす中で、僕は君を好きになっていった。
君の笑顔が、ころころと変わる表情が、ふとした瞬間に見える深い叡智をたたえた瞳が、小鳥のように歌う声が。全部全部、好きだった。
「僕と付き合ってください」
そう言った場所は、初めて行ったあの海だった。
「……嬉しい。ありがとうね」
でも、と君は、そっと続けた。
「ねえ、貴方は気にならなかったのかな。私が初めて会ったあの日から、全く老けていないこと」
たしかに、君の顔にはしみやしわなどひとつもなかった。今まで、まったく気にしていなかったし、気づきもしなかった。
「あのね。……私は、人間じゃないの。ひとよりも長く生きて、翼を持ち、多少なら魔法も使える、そんな種族。森で生まれ、ときどきひとが暮らす街にやっては来るけれど、森で死んでいく、そんな種族なのよ。ごめんなさい……貴方と添い遂げることは、できないの」
気がついた時には、君の背には蝶のような可憐な翅がついていて、そして、体は僕の手のひらよりも小さいくらいに、縮んでいた。
僕の目の前に、空中に漂っていた君は、ふい、とその場から立ち去ろうとしていた。
多分、永遠のさよならをしようとしていたのだろう。
けれど。
「待って!」
僕の叫び声で、ぴたりと止まる。
「なら、僕の親友でいて。これからも、一緒にいろんなところに冒険をしに行こう!」
あれから、何年経っただろう。
妻や子供を持ち、僕は今、幸せに暮らしている。
「そういえば、今日って彼女が来る日じゃない?」
「ああ、そうだね」
妻の言葉にそう答えたとき、軽やかにチャイムの音が鳴った。
「はあい」
玄関を開けると、そこには。
「ねえ、今日はどこに連れていってくれるの?」
いまだに人間の世界に興味津々な、姿の変わらぬ妖精さんがいた。




