2021/03/14『電話』『夕陽』『森』
それは、あまりに場違いな場所に存在していた。
広い森の、奥深く。ちいさな広場の、真ん中に。
公衆電話ボックスが、夕陽に照らされ、ポツンとそこに立っていた。
『黄昏時に、森の中の公衆電話のもとへ行き、受話器を取ってお金を入れれば、望む場所、時に行くことができる――』
そんな噂を耳にして、少女はそこにやってきた。
「……本当に、あったんだ」
ボックスの中に入ってみる。目の前にあるのは、よく駅で見る、緑色の電話。
受話器を取って、100円玉を、いち、に、さん……。
《30分でよろしいですか?》
突然響き渡った若い女性の声に、少女は息を呑みつつ「はい」と言った。
《それでは、どちらへ行きましょうか? おやめになるなら、受話器を下ろしてください》
――噂は、本当だった。
高鳴る胸を、深呼吸をして落ち着けて。
「1年前の今日この日、いけふくろうの前に、11時45分……お願いします」
少女ははっきりと、祈るようにそう言った。
《では、2020年3月14日、11時45分、いけふくろうの前に。あなたの存在に周囲は気づくことはありません。声も姿も、意味を為しません。それはよろしいですか?》
「はい」
《30分が経てば、強制的に現在へと連れ戻されます。それも構いませんか?》
「はい」
《――それでは》
森の木々に止まっていた鳥たちが、なにかを感じ取ったのか、一斉に飛び立ちいなくなる。
そして次の瞬間、公衆電話ボックスが、突然白い光に包まれて。
光が消えたとき、その中に少女の姿はなかった。
あまりの眩しさに目を閉じた少女が、再び目を開けたとき。
そこは、森の中ではなくなっていた。
「いけふくろう……あそこに私がいて、待ち合わせの相手を待ってたんだ。お昼の12時に、4人で一緒に会おうって……」
少女の目の前には、1年前の少女がいる。
『……まだかなぁ。到着の連絡、した方がいいかなぁ。向こうから連絡が来るまで待とうかなぁ』
スマホを片手に、何度も時間を確認しては、あたりを見回す。いけふくろうを待ち合わせ場所にする人は多く、人が現れては立ち去り、いなくなってはやってくる。
けれど、待ち人たちはなかなか来ないのだ。
今の少女は、知っている。待ち人のひとりと会えるのは、待ち合わせ時間の3分後であること。そしてその後、残りの2人とも出会って、共に昼食を取るのだ。
1年前の少女は、音楽を聴いて時間を誤魔化している。でもそれは、時がゆっくりとしか過ぎないことを少女に教えただけで、無意味だった。
過去に飛んでから、17分。12時2分に、1年前の少女のスマホが揺れた。メッセージが届いたのだ。
『着きそうですか?』
『連絡が遅くなってすみません。もう着いています』
そしてその1分後に、彼女らは見覚えのある背中を見つける。待ち人だ。
1年前の彼女は、悪戯心を抱えながら、後ろから肩を叩いて待ち人を驚かせ。
少女はバレないことをいいことに、思い切り待ち人に抱きついた。
「……会いたかったです、あなたに」
少女は今、東京から遠く離れた場所にいる。
昔は都心に住んでいたこともあって、東京で遊ぶことも多々あった。Twitterで知り合った人ともよく会った。この待ち合わせも、オフ会のためだ。
けれど、4月に引っ越すことが決まっていた少女は、分かっていた。
これが最後に待ち人たちと会える日なのだ、と。
「……寂しかったんですよ、会えなくって。仕方ないって分かっていても、ネットでの繋がりはあっても……もっと直接お話ししたかった。表情や仕草を見ながら、言葉を交わしたかった。皆さんのこと、あなたのこと、大事に思っているから。大切な人だから」
つい少女は本音を吐露してしまったが、やはり周囲には聞こえていないらしい。待ち人は肩を叩かれたからか一瞬驚いて、でも『びっくりしたぁ……こんにちは』と、1年前の少女だけに笑いかけた。
今の少女には、見向きもしない。
それでも、少女は幸せだった。
大切な人と、再び会えたから。
他の2人とも合流し、昼食を食べようと雨の池袋を歩いているところで、少女の意識はふっと途切れて。
気がついたときには、あの森の公衆電話ボックスの中だった。
《いかがでしたか?》
《またのご利用をお待ちしております》
ツー、ツー、ツー。
少女は受話器を置き、森へと出た。
黄昏時は終わり、サファイアを溶かし込んだような空には、星がまたたいていた。




