2020/12/09『路地裏』『高層』『理想』
ちらちら、ちらちら、雪が降る。
「ねえ、理想を追うって、苦しいんだよ」
頰にあたって、空から降り注ぐ白は透明に変わっていく。冷たい、けれど拭えない。
「でも、諦められないんだ。現実を見つめることができない。理想を、捨てられない」
高層ビルに囲まれた路地裏。建物の影は、路地裏にある全てのものを包み込んでいる。
「今……理想と現実の狭間の、ちょうど真ん中にいるんだ。一番、谷が深いところ。そして、そこから這い上がることができない」
つい、手を伸ばしてしまう。けれど、なにも摑めない。届かない。触れた雪が体温で溶けていくばかり。
ため息をついて、手を引っ込めた。
「分かってる。狭間に落ちた自分に手を差し伸べられるのは、自分だけ」
……空から差し伸べられる手を待っている。高いビルの上から――谷の上から、のぼっておいでと向けられる救いの手を。
けれど、なにも起こらない。
「手を差し伸べるべき自分さえ、自分がどこにいるのか分かっていない。理想側の淵にいるのか、現実側の淵にいるのか。だから、なにもできない。自分からは、逃げられないのにね」
頰をつたうのは、溶け出した雪か、それとも――。
「……あれ?」
そっと、再び手を伸ばす。
今度こそ……なにかを摑むために。
「……!」
届いた。
あふれて、こぼれて、落ちていく涙は、あたたかい。
ぬくもりは、胸の中に巣食っているなにかを吸い取っていったようだった。
「私が欲しかったのは……そっか、焦らずに休める時間、だったのかな。自分と向き合うのも、急ぐ必要はなかったんだね。ゆっくりで、いいんだ……」
摑んだものを、手放すまいと強く握りしめる。
「……大丈夫。前を向けるようになるまで、歩き出せるようになるまで、のんびり休んでいよう。焦る必要はないんだよね」
笑みが、自然と浮かび上がる。
日の向きが変わったのか、一筋、谷間に光が差した。




