2020/12/08『節制』『黒』『犯罪』
窃盗の罪に問われて逮捕された男がいた。
彼の名は、本多値。
書店や古本屋の本を、何年もかけて、大量に盗んだ犯罪者である。
「……で、どうして本を盗んだんです? しかも、こんなに大量に、長期間にわたって」
小さな一室で、二人の男が向かい合っている。
一人は、柔和な目つきの青年、価木喜一。
もう一人は、鋭い目つきの犯罪者、本多値。
今は、取り調べの真っ最中だ。
価木は手元にある資料を眺めながら、本多に話しかけ続ける。
「調べによると、貴方は常に節制を心掛けていて、そのおかげかお金のたくわえが十分にあったらしいですね。それに、盗んだ本を転売することは一度もなかったことも分かっていますが。貯蓄をしっかりしていた貴方なら、本を買えたはず。金稼ぎ目的ではないのなら、どうして盗んだんですか?」
穏やかな口調で問いかける価木に、本多は睨みつけるような目線を投げかける。けれど、価木はひるまない。
「もちろん、お話ししなくてもいいんです。けれど、僕個人としては、知りたいんですよ。本多さんの気持ちが」
「――言ったところで、分かるわけがない」
ようやく、本多が口を開く。
「伝えようとしたところで、伝わらないんだよ」
吐き捨てるように、言葉を紡ぎだした。
「俺が本を盗んだのはな、本が大っ嫌いだからだよ。じゃあどうして嫌いなのかって訊くんだろうなあ。それはな、言葉に価値なんてないからだよ。本は文字の羅列だ。言葉の集まりだ。価値のないものに、金なんて払う必要がないだろう?」
汚いものを投げ捨てるかのように、そして酒を飲んだかのように饒舌に。そう言った本多に、価木は何も言えなかった。
あまりに、衝撃的すぎて。
「言葉がないと生きてけねえから使うけどよ、なあ、そこのにいさん、言葉が全てを伝えられると思うか? 自分の感情や気持ちや、自分が目にしたもの、聞いたもの、世の中にあふれるすべてのものを、全部言語化できると思うか? 伝えるためのものなのに、なにも伝えられないことだってあるだろう?」
身に覚えがある、と価木は思った。
口にはしなかったが、言葉が役目を果たさないときがあると、確かに知っていた。
「一生懸命伝えようと努力してもよお、受け取り手が誤解したらなーんも意味がないんだ。こっちは努力して伝えようとしている、なのに相手に伝わらない、なんなら悪い方に解釈されたりもする。そんなこと、にいさんにはないのか?」
本多のいうことは、間違ってはいない。
「言葉が言葉の意味を持たないのなら……価値なんて、ないだろう?」
底なしの真っ黒な目に見つめられて、価木は何も言い返せなくなりそうだった。
けれど。
「――ないなら、創ればいいんです」
深呼吸をして、価木は言った。
「創ってしまえばいいんですよ。自分で、言葉の価値を」
本多は、ぽかんとした様子で青年を見ていた。
「簡単なことじゃないかもしれません。何度も投げ出し、諦めたくなると思います。けれど僕は、自分で価値を作り出せると、信じているんです。僕の価値観を押し付けても、どうにもなりませんけどね」
価木は、そっと何かを取り出す。
「……にいさん、これって」
「はい。貴方が最後に盗んだ本ですよ」
ぺらぺら、とぺージをめくって、価木は微笑んだ。
「実はこれ、僕が好きな作家さんの新刊でしてね。物語を通じて、僕はこの作家さんが何を伝えたいのか、想像することが出来るんですよ。まあ、解釈が間違っているかもしれませんけどね。けれど……」
ぱたり。本を閉じて、言葉を続ける。
「これは、この作家さんなりの、言葉に価値を見出すための方法なんだと思います。自分が伝えたいことを、物語に、もっと言ってしまえば嘘に込めているんです。膨大な数の言葉を使って、たった一つのことを、誰かの心に届けようとしている。それが、『おはなし』なんです」
価木は最後に、そっと、問いかけた。
「本多さん。誤解されるかもしれない、伝わらないかもしれないという不安を抱えながらも、それでも誰かが一生懸命何かを伝えるために紡いだ言葉を……貴方は、価値がないと思えますか?」




