2020/10/15『魔王』『時間』『路地裏』
――とうとう降り出したか。
賑やかな店内でも、入り口近くの席だから分かる。
雨音が、聞こえる。
「いやぁ、こんな路地裏のお店だけど、たくさんのお客さんが来てくれて嬉しいよ。詠野さん、いつもありがとね」
ふと声をかけてきたのは、カウンターの向こうにいる店主。
「いえいえ。ここはちょっと飲むのにはぴったりですから。それに、店主の料理が美味しいんですもん」
「いやぁ、照れますね」
ニコニコと笑う店主を見てから、店内に視線を動かす。彼岸花という名のこの居酒屋は、その名前のせいか、たくさんの『不思議』が集っている。
――そう、どう考えても人間ではない『もの』が。
私の隣に座っているのは、幽霊。向こうのテーブルで騒いでいるのは貫禄のある魔物――もしかしたら魔王かもしれない――と、フランケンシュタインに、吸血鬼。カウンターの奥に座る魔女が店主を呼び、ろくろ首や見越入道、豆腐小僧の笑い声が背後のテーブル席から響く。
けれど、普通の人間には、『不思議』たちの声が聞こえない。同じ店内にいるのに、その存在に気がつかない。だから、彼らの気配を感じる私や店主は、イレギュラーな存在である。
まあ、店主はいいとしよう。そもそもこの店は『生者も死者も、魔物も妖も、皆がくつろいで楽しめる場所を』と作られた場所なのだから。そして、店主は『不思議』たちを見る目を持っていたために、この店の開業を決めたのだから。
私が、『不思議』を見れる理由。
それは多分、私が死に近い場所で仕事をしているから、なのだろうと思う。
詳しいことは言わないが、私の主な仕事場は葬儀場だったりする。ずっと死のそばにいたら、そのうち『死に近いもの』――『不思議』たちが見えるようになっていたのだ。
「詠野さん、終電は大丈夫? もう遅い時間だよ」
「……ああ、大丈夫です。いざとなったら、近所に同僚の家があるんで、泊めてもらいます。今日はもう少し、ここにいたいんです。ここまで『不思議』がたくさんいる日も、珍しいでしょう?」
「ふふ、確かにそうだね」
店主はそっと、微笑んだ。だから私も笑みを返す。
人には聞こえない、あたたかで楽しげな、騒がしい声に包まれながら、ひとくち、日本酒を飲み込んだ。




