表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
341/430

2020/10/06『人肌』『青』『妖精』

「……あのね、ずっと秘密にしてたんだけど……お姉ちゃん、妖精のお友達がいるんだ」

 姉がわたしの手を優しく握りながらそう言いだしたのは、わたしが重い病にかかって入院していたときのことだった。

「……えっ? 妖精?」

「そ。本当は私とその子だけの秘密なんだけど、菜月にだけは特別、教えてあげる。だから菜月も、誰にも言わないでね」

「うん!」

 それからというもの、姉は毎日、妖精が教えてくれたという異国の物語を語ってくれた。わたしの手を優しく握りながら。

 姉の手はひんやりとしていて、あまり人肌を触っている感覚にはなれなかったけれど、でも、妖精の話を語るにはぴったりの温度のようにも感じた。だってほら、妖精の手ってあまり温かくなさそうだし。

「……ねえ、お姉ちゃん」

「ん?」

「妖精さんに頼んで、病気を治してもらうことはできないの?」

 わたしがある日そう訊くと、姉は悲しそうに微笑んだ。それはまるで、自分がその妖精であるかのように。

「ごめんね、菜月……妖精といっても、大したことができるわけじゃないんだって。できることは、小さな火を起こしたり、身の回りの風をほんの少し操ったり、自分たちが飲むための水を生み出すくらい。あとは色々なお(まじな)いができるくらいって言ってたよ。怪我や病気は治せないんだって」

「じゃあ、病気を治すお(まじな)いはないの?」

「――ごめんね、ないんだって」

 その代わりに、と姉はわたしの手をぎゅっと握って、なにか祈るようにした。

「……なにしたの?」

「妖精の(まじな)いみたいに効果があるかは分からないけど、お姉ちゃんなりの、おまじない」

「ありがとう、お姉ちゃん」

 わたしは嬉しくて、思わず笑みをこぼした。

 けれど、やっぱり人間のおまじないには効果がなかったようで、病状は悪化していった。

 あれは、雲ひとつない青空が窓の外に広がっていて、目を閉じれば天上に昇っていけるような気がした、ある日のこと。

「……ねえ、お姉ちゃん」

 いつものようにお見舞いに来た姉に、わたしは一言。

「わたし……生きる意味って、あるのかな」

 戸惑いの表情を浮かべながら、姉はわたしの名を呼んだ。

「どうして、そんなこと」

 どうして……だって、あまりにも辛すぎたのだ。苦しすぎたのだ。幼いわたしにとって、いつ終わりが来るか分からない闘病の日々は。死ぬかもしれないという恐怖との戦いは。

「なんで元気にならないの? わたしの命に意味なんてないってことなの?」

「――そんなことないっ!」

 鼓膜を突き破りそうなほど大きな、声。

「……ねえ、菜月。妖精さんが、お(まじな)いをかけてくれるって」

「ほんと?」

「本当だってば」

 姉がわたしの手をぎゅっと痛いくらい握り締める。その日も、ひんやりとした感覚が伝わってきていた。

「目を閉じて」

 厳かな口調で言われて、まぶたを下ろした。

「これは、菜月が必ず生きる意味を見つけられるようになるお(まじな)い。生き抜いて、幸せを見つけられるようになるお(まじな)いでもある。でも、忘れないで。これは、菜月が死んだらなんの意味もなくなってしまう。だから、どんなに辛くても、苦しくても、生きることを考えて。必ず、菜月の生きる意味が見つかるようになるから」

 その言葉から数拍あけて、「目を開けて」という言葉が聞こえた。

 そこに広がる世界は、今までと変わらないはずなのに、何かが違って見えた。

「はい、お(まじな)い終わり! さ、今日も妖精さんから聞いた話を教えてあげるよ」

 にこにこと笑う姉に、わたしは「ありがとう」と呟いた。

 それ以降は、どんなに苦しくても、辛くても、生きる意味なんかないんじゃないかと思っても、あの日かけられた(まじな)いの言葉が蘇ってくるようになった。そして、絶対にいつか生まれた意味が分かるからと自分に言い聞かせ、身を切られるような思いをしながら立ちあがり続けた。

 それを、もう数え切れないぐらい繰り返した後、わたしの病は治り、退院することになった。

 ……あれから何年も経った今、わたしは思う。

 妖精がいる、というのは姉のほら話だったのだろう。物語を書くことが好きで、それが高じて今では童話作家となった姉が、入院するわたしを励ますために()き続けた、優しい嘘。

 それは、簡単に予想ができる。けれど、問題はそれではない。

 姉のあの言葉――お(まじな)いは、果たして本当に()()()()()だったのだろうか?

 もしかしたらあれは、姉がわたしにかけた(のろ)いだったのではないだろうか?

 姉はわたしに(まじな)いと(のろ)いのどちらをかけたかったのだろう――。

 ……そんなことは、分からない。姉はもう自分がかけたお(まじな)いのことを忘れてしまったらしいし、わたしは姉ではないのだから。

 ただ、確実に分かっていることがある。

 わたしにかけられたあの呪いは、今でも解けていないこと。

 おそらく、この呪いはわたしが死ぬまで解けることはないであろうこと。

 そして、この呪いのおかげで、わたしは今も生きているのだということ。

2020/10/07 8:13

表記ぶれの修正をしました。


2020/10/17 1:11

表記を一部改め、前書きを削除しました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ