2020/09/29『嫉妬』『畑』『悪魔』
――ルーリアという研究者が、畑の作物を全て虫害なしに、美味しく育てる薬を生み出した。健康被害も起こりえない、安心安全の薬品である。
それを聞いたヘンリー―― ルーリアの親友にしてライバルである研究者――は、親友のことを祝福すると同時に、自分の中にとある感情がむくむくと湧いてきたことに気が付いた。
その感情の名は、嫉妬。
ルーリアのことを羨み妬んでいたヘンリーのもとに、ある日、一人の男がやってきた。彼のモジャモジャの髪は痛んでいないのに艶がなく、長い前髪の隙間からは真っ赤な目が見えた。
「ども! わたしは悪魔。わたしはあなたに、悪魔の知恵をあげようと思って来たんだ!」
悪魔と名乗る彼は、ヘンリーにニッコリと笑いかける。
「わたしと取引をしてくれれば、あなたにはなんでもできる悪魔の知恵をあげよう! どう使うもあなたの自由さ。これさえあれば、富でも名声でも、なーんでもあなたのものだ!」
悪魔の言葉は、あまりにも魅力的で。
「……対価は?」
ヘンリーは一言、尋ねた。
「対価? それはね……あなたの心! それさえくれれば、知恵をぜーんぶあげよう!」
「こころ……心、か……」
それさえ、と悪魔は言うが、人間にとって心は大切なものである。ヘンリーは、迷った。
たしかに、悪魔の言葉は魅力的だ。でも、ヘンリーは知っている。ルーリアは努力に努力を重ねて、あの薬を生み出したことを。親友として、ずっと見ていたからだ。
ルーリアは何度もくじけそうになっていた。挫折しそうな時は数え切れないほど訪れていた。でも、それをすべて乗り越えてみせた。歯を食いしばりながらも、笑顔で。
『この失敗の先に成功があるなら、こんなのは苦痛じゃないんだよ』
そう言って笑っていたルーリアのことを、思い出す。
あの時のルーリアは……苦しいはずなのに、誰よりも輝いていた。
その様子を、ヘンリーは羨ましく思いながら見ていた。けれど。
「……ルーリアに出来るんだったら、自分にも出来るよな。おんなじ人間なんだから」
ポツリ、呟いた言葉を聞いて、悪魔は一瞬だけ笑みを崩した。けれど、またすぐに笑って。
「誰にもできないことを、やってみたくないかい?」
誘惑の言葉を、ヘンリーの耳元で囁く。
「……でもさ、心がなかったら、何かを成し遂げたとしても嬉しくないってことだ……それは、嫌だな」
決めた、と口にして、ヘンリーは悪魔を見据える。
「悪魔の知恵なんかいらない。悪魔、お前に見せてあげよう。そんなものなどなくとも、ルーリアのように輝くことができるということを」
「……そっか! じゃ、わたしはここでお暇するよ」
悪魔はちょっと残念そうな様子で、その場を後にする。
「――ちぇっ、あいつ、自分が持つ『力』に気付きやがった。嫉妬につけ込んで『力』を横取りしてやろうと思ったのに」
ヘンリーには聞こえないように、そう呟いて。
それから、ヘンリーは「ルーリアの開発した薬と一緒に使える、畑の作物全てを病気にかからないようにする薬(もちろん作物は美味しく、健康被害はゼロである)」の開発に挑んだ。
もちろんそれは、一筋縄ではいかなかった。けれど、困難にぶつかるたび、挫けそうになってもヘンリーは立ち上がり、何度も何度も挑戦し続けた。
そしてついに、ヘンリーはそれを成し遂げてみせたのである。
ルーリアや様々な人に祝福されるヘンリーを陰からこっそり見ていた悪魔は、苦笑した。
「……人間は本当に愚かだよな。人間はみんな自分の手の中に明日を変えられるだけの『力』があるのに、力がないと思い込んでそれを欲するんだから。あの二人みたく自分の『力』に気付けたなら、みんなおんなじように輝けるってのに。本当に馬鹿だ」
誰もいない、薄暗い物陰で。悪魔は嘲笑うように、吐き捨てるように、こう言った。
「愚かな人間ども、よーく聞いておけ。お前たちの持つ力の名は、『心』だ。……ま、誰も聞いてないだろうけどさ」




