2020/09/24『川』『酸っぱい』『童話』
ひらり、ひらり。
川に落ちたのは、桜の花びら。
よく見ないと分からないほどの小さな波紋がゆっくりと水面に広がり、そして消えて、何事もなかったかのように水は流れていく。
ひらり、ひらり。
桜の花びらは次々と落ちていき、そのたびに波ができては消え、水は流れる。
そんなことなど気付かぬまま、川沿いを人々は歩いていく。
ひらり、ひらり。
桜の木や花には目を向けても、花びらが落ちる先なんて、そこにあるささやかな芸術なんて、誰も見ていないのである。
忙しそうに前だけを見て駆ける人も、けだるげに手元のスマホに目線を注ぐ人も、苦しそうに足元だけを見て歩く人も。
ひらり、ひらり。
でも、桜や川は、そんなことなど気にしていない。
見られていようが、見られていまいが、ただただ生きて日々の営みを繰り返すだけだ。
ひらり、ひらり。
ひらり、ひらり。
ひらり、ひらり。
ひらり、ひらり。
川辺で、一人の女性が本を読んでいる。
その帯に書かれたキャッチコピーは『どこまでもあたたかく、優しい物語。大人向けの童話を、あなたに。』
ひらり、ひらり。
彼女の目の前を、桜の花びらがよぎる。
そしてゆっくりと、見開き一杯に星空が広がる、美しいページの隙間に挟まった。
ひらり、ひらり。
けれど彼女は見ていなかったのだろう。
気付かないまま、ページをめくった。
ひらり、ひらり。
次のページにあったのは、まぶしく光を放つ黄色のドロップスと、いかにもすっぱそうなレモン。
「……ドロップス食べたくなっちゃった。これから買いに行こうかな」
ひらり、ひらり。
桜の花びらが舞い散る中、彼女は本を読み終える。
そしてその場からゆっくり、去っていく。
ひらり、ひらり。
幸せそうにゆっくり歩く、彼女はそっと顔をあげる。
綺麗な桜、と呟いて。
ひらり、ひらり。
舞い散る花びらを、追いかけて。
川と花びらが織りなす芸術に気がついた。
ひらり、ひらり。
その光景を、目に焼き付けて。
女性はその場を後にする。
ひらり、ひらり。
ひらり、ひらり。
ひらり、ひらり。
ひらり、ひらり。
彼女が見開き一杯に星空が広がる、美しいページの隙間に挟まった、あの桜の花びらに気付いたら。
きっと、あの誰も知らない川の水面を、思い出すことになるのだろう。




