2020/08/26『しょっぱい』『薬』『少女』
「ようやく、この日を迎えることができたのね」
車椅子に乗った浴衣姿の少女が、ポツリと呟く。
「そうだよ。君が待ち望んでいた日だ」
車椅子を押しているのは、黒いスーツを身につけた青年だ。
「本当に長かったわ……ずっと、辛かったのよ」
「うん、知っているよ」
少女は、重い病気にかかっている。
何種類もの薬を飲み続けて、副作用に苦しめられながら、ずっと、病院でひとり、闘っていた。
でも、それももう、今日で終わりだ。
「ありがとう。大変だったでしょう、『絶縁されたお兄ちゃん』のふりをして病室に来なきゃいけないの」
「そりゃあね、実在しない人になりきるんだから。でも、このぐらい、僕にはとっては簡単……とは言い難いけど、難しいことでもないさ」
からからと青年が笑い、「ほら、もうすぐ着くよ」と少女に声をかける。
「本当だ、人の声が聞こえる。すごい、とても賑やかだわ。ねえ、私、わたあめが食べたいの!」
「残念ながら、僕はお金を持っていないんだよ」
「えーっ……まあいいわ。外に出られただけでも、嬉しいもの」
やがて、二人の目の前に現れたのは、お祭り会場。屋台がたくさん立ち並び、道は人だらけ。そんななかに、二人はゆっくりと混ざっていく。
「ねえ、人が少なくて、花火がよく見える場所ってどこなの?」
「このお祭り会場を抜けた先に。これから連れて行ってあげるよ」
人混みに揉まれて、ゆっくりと祭りの熱気の中から抜け出して。
高台にある、小さな公園へとやってきた。
「ここならよく見えるよ」
「ありがとう」
しばらくとりとめもない話をしていた二人だったが、花火が上がった途端、少女の目は夜空に咲く花に釘付けになった。
「綺麗……!」
「ああ、そうだねぇ」
青年はどこか、寂しそうに花火を眺めて。
「花火って、人間にそっくりだと思うんだよ」
不意に、ポツリと呟いた。
「……人間に?」
少女が問いかけると、彼は頷く。
「儚いのさ。人の命が燃えて輝く時間は、本当に短い。花火と同じように、すぐに枯れて消えていく。僕は人の命があんな風に散る瞬間を……」
ドン、と花火が上がる。
「……何度も、すぐ近くで見てきたんだ」
夜空の花は、一瞬で消える。
「この手で、魂を回収しながら」
いつのまにか青年は、その手に大きな鎌を持っていた。
「……でも、人間は花火じゃないわよ」
少女がそっと語りかける。
「魂は貴方たちに導かれて、苦しみのない世界でしばらく休んで、もう一度この世界に戻ってくる。そう教えてくれたのは貴方でしょう、死神さん?」
「ああ、その通りだよ」
青年の答えに、少女は笑う。
「なら、いいの。もう……不治の病で苦しむのは嫌だもの。死ぬ定めである今日まで、精一杯生きられたから、それで私は満足してるの」
少女はそっと、目を閉じた。
「ありがとう、心優しい死神さん。私が後悔を残さず死ねるようにしてくれて」
青年は車椅子の後ろから、彼女の目の前へと移動して、ゆっくりと鎌を振り上げる。
「もう……いいのかい?」
「……うん」
死神は、大きな鎌を、振り下ろした。
青年は、少女の魂を抱えながら、彼女の死顔を眺めていた。もうあの鎌は、持っていない。
少女の頬に伝っていた涙をすくい取り、そっと舐めると、しょっぱさの中に幸せがあった。
この話で「宝箱のタペストリー」は300部分目を迎えました!
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