表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
286/430

2020/08/12『電話』『酸っぱい』『姫』

『緊急停止します。ご注意ください。緊急停止します。ご注意ください』

 アナウンスと共に、急ブレーキがかかる電車。

 止まった瞬間、一部を除き落ちてしまった照明。

 薄暗い車内に、車掌の放送が響き渡る。

『ただいま、この先の踏切の危険感知装置が作動したため、緊急停止いたしました。安全のため、パンタグラフを下げております――』

 まじかよ、と声に出さずに呟く。

 自分も含め、人々は次々にスマホを取り出し、指を動かしだす。この状況をSNSにあげるのだろうか。それとも、家族に連絡をするのだろうか。

 ……おれは、後者だ。

 流石に電話はできないが、メールくらいなら容易く送れる。

《電車止まっちゃった》

 妻のスマホにそう送ると、返事はすぐにきた。

《あれま。大丈夫?》

《うん。むしろ貴重な体験ができてる》

 嘘ではない。一部の非常灯を除き、すべての電気が落ちている電車内なんて、なかなか見られない。行先などが表示される電光掲示も光っていないのだ。顔には出さないが、結構興奮している。

 薄暗い車内は、どこか神秘的に見える。もう薄暗くなっている窓の外の光景が容易く見れることも、その理由の一つだろうか。分からないが、貴重な体験であることには間違いない。

《ふーん、ならいいんだけど。わたしたちのお姫様が待ってるからね。できるだけ早く帰ってきてよ》

《分かってるって。もう安全確認は終わったみたいだし、そのうち発車すると思うよ》

《そっかそっか。気をつけてね》

「――あっちいんだよ、早くエアコンつけろよ」

 唐突に耳に飛び込んできた、見知らぬ男の声。

 おれの隣に座る、加齢臭の酷い奴が文句を言っている。酸っぱい臭いがふわりと漂ってきた。

 ……男は不機嫌そうだが、パンタグラフが上がっていない以上、エアコンをつけるのは無理だろう。どう考えても。それくらい我慢すればいいのに。いや、心の中で思うのはいいが、口に出すなよ。

『繰り返し、お客様にご案内します――』

「そんなの分かったから早く運転しろや」

 お前はそんなに文句を言うな。

 心の中でツッコミを入れながら、薄暗い電車内を楽しむ。

『運転を再開いたします。安全な場所に移動してから再度停止し、パンタグラフを上げ、運転いたします』

 アナウンスが流れ、薄暗い車両がぐらりと揺れる。

 そのまま発車し、十数秒ほどそれなりに速い速度で動いた後、再び『電車が止まります。つり革、手すりにお摑まりください』の声。ブレーキがかかり停車した瞬間、パッと辺りが一気に明るくなった。

 パンタグラフが、上がったのだろう。

 行先表示はまだ戻らないが、冷房はかかり始めた。

『大変お待たせいたしました。運転を再開いたします』

 再び、電車は走り出した。

《運転が再開したよ》

 妻にメッセージを送り、スマホを閉じた。

 さあ、帰ろう。

 おれたちのお姫様――可愛い娘が、家で待っている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ