2020/08/01『紫』『酸っぱい』『畑』
「ここがね、私の故郷なの」
そこは、だだっ広い畑が並ぶ田舎町。近くには青い海も見える。
海と空の青、土色、コンクリートの道、野菜の緑、緑、緑……そんな中、つややかな黒髪を腰まで伸ばした彼女の後姿が、はっきりと見えた。
僕の、大切な恋人。誰よりも愛しい彼女。
さらさらと髪が揺れる。潮の香りを、心地よい風がふんわりと連れてくる。
「私の家も農家なの。私の弟が畑を継いでくれるのよ。……あ、家の畑に寄っていく? ちょっと見せたいものがあるのよ」
「なあに、見せたいものって」
そう問いかけると、こちらを振り返って太陽よりもまぶしい笑みを見せる彼女は、桜色の唇をそっと開く。
「見れば分かるわ、ちょっと意外に感じるものだと思うの」
そうして連れてこられた先にあったのは、紫色の、見たことのない花だった。
「う、わぁ……」
暴力的だと感じてしまうほど強い、甘い香り。そして、紫のじゅうたんのように、たくさん咲き誇る花。
「びっくりしたでしょう? この花はね、この街でしか育てられていない、希少な花なのよ。この強い香りは、虫を呼んで受粉させるためだといわれているわ」
この街の人々が守ってきた花なのよ、と彼女は誇らしげに微笑む。
「次の……いいえ、何代も何十代も、ずっと先の世代まで――できれば永遠に、この花を咲かせていきたいわ。そのためにも元気に成長させて、種をたくさん残してもらって、また花を咲かせていきたいの。それが、この街に住む人みんなの願い」
素敵だね、と言ってから。誇らしげな彼女の表情に見とれてから。
紫色の花を見てから。
けなげだなあ、だなんて。命をつないでいくために一生懸命生きているんだなあ、なんて。
そんなことを考えた時。
なぜか、背筋が凍った。
なにか酸っぱいものが、胃から逆流してくるような感覚に襲われる。
――待て、なにがあった?
甘い香りの中で、頭の中はだんだんと冷静になっていく。
すると、次の瞬間。
――この花がもし、自分たちだったら。
そんな言葉が、ふっと浮かんだ。
命をつないでいくために、彼女の言う通り『ずっと先の世代まで、できれば永遠に』存在するために、自分たちが生きているのだとしたら。
彼女に恋をしているこの気持ちも、未来に『人間』という生き物を残していくためのものなんじゃないか、なんて。
そんなことを、考えてしまった。




