2020/07/15『犯罪』『温かい』『暮らし』
街中を、一人の女性が歩いている。
大きなボストンバッグを抱えて。
胸元まで伸びた、艶やかな茶髪を揺らしながら。青く澄んだ目を輝かせながら。
彼女の耳に飾られているのは、ウサギの形をした金色のイヤリング。そこには流れるような文字で『フレア・フィリアンカ』と、彼女の名前が刻まれている。
「……この街とももう、お別れね」
ぼそっと、フレアは呟いた。
「思い返してみると、いろんなことがあったわねぇ」
ふふ、と笑いながら、すうっと目を細める。
通り慣れた道を歩きながら、彼女は少しばかり過去を思い出していた。
幼少期や青年期と呼ばれる時代を、彼女は孤児として過ごした。
親の顔なんて知らない。財産もない。学校にも行けないから知識もない(実際、彼女は文字が読めなかった)。あるのは生き抜くための悪知恵だけ。道行く人に情けをかけてもらったり、時には犯罪紛いのことをして毎日をやり過ごしていた。
そんなある日、フレアは自分の名が刻まれたイヤリングを預かっていた老女に出会い、彼女のもとで暮らすようになる。習うには少し遅い歳にはなっていたが、老女から教わって読み書きや計算を覚えた。
その後、フレアは両親を見つけ出した。お互いの生活事情から同居はできなかったが、連絡を取り合うことはできるようになった。そして、両親探しをしていた時に力を貸してくれた男性に心惹かれ、付き合うようになり、二人の結婚が決まった。彼の故郷で共に暮らすことになったため、フレアは引っ越しをすることになった。
彼の故郷へと旅立つ日は、今日。
フレアがボストンバッグを抱えて歩いていると、目の前に駅が見えてきた。改札前で本を読んでいる夫に、彼女はそっと声をかける。
「お待たせ」
「いや、全然待ってないさ……フレア、手が真っ赤だよ。大丈夫?」
重いものを持ち続けたせいで痛むフレアの手を、そっと彼は自分の手で包み込む。
「……温かいわね」
「よく言われる。……ここからは僕が荷物を持つよ。ほら、これ、フレアの切符」
「ありがとう」
これから始まるのは、二人の新たな暮らしへの旅。




