2020/06/27『路地裏』『甘い』『川』
飛行機の音を聞いた、と思った。
半ば反射的に空を見上げるけれど、狭く切り取られた雲の海の中に、飛行機は見えなかった。この辺りでは低空飛行をしているはずだから、雲があっても姿が見えるはずなのに。
「……空耳だったかな」
路地裏でひとり、呆然と上を向いたまま呟く。
意味もなく、ため息をひとつ吐いてみる。
次に息を吸い込んだとき、ふと、ふわりと甘い香りがした気がした。
懐かしい匂いに包まれて、なんだか泣きたいような、そんな気分に陥る。
ふっと視線を前に戻すと、すぐ近くの家で咲く薔薇が見えた。
甘くて、でもくどくはない、大人の香り。
飛行機事故で死んだ姉の匂いと同じだった。
「……薔薇の香水、好きだったもんな」
すうっと鼻で深呼吸。
もう一度道を踏み出すとき、懐かしさが胸を満たしていた。
その余韻に浸りながら、歩いて、歩いて。
……あれ、どこに向かっているんだっけ。
ふと気になって、足を止めた。
……行き先は分からない。だけど、まあ、気まぐれに散歩するのも悪くはないか。
「うん、悪くない」
そっと呟いて、のんびり、再び歩き出した。
……そうだ、姉が好きだった曲でも、口ずさんでみようかな。
飛行機の音を聞いた、と思った。
何故か怖くて仕方がなくて、ギュッと耳を押さえつつも、空を見上げていた。私はお休みだけど、仲間が今日も、飛んでいるはずだから。
広い雲の海を眺めていたけれど、音の発生源は見つからない。
「……空耳、だったのかな」
周りに誰もいないことをいいことに、呟いた。
河原をのんびりと歩いていると、心地よいせせらぎが聞こえてくる。
この世からいなくなった妹のことを考えていたら、川の流れに、あの子の歌声が混ざって聞こえてくる気がするものだから、不思議だ。実際には、全く聞こえてこないのだけど。
「あの子は歌うことと、川の流れを眺めることが好きだったから」
だから、妹が川で死んだと聞いたとき、思わず呟いてしまったものだった。
『あの子は川にかえったのね』と。
「もう一回聞きたいわね、あの子の声」
叶わない願望を口にして、河原を後にした。
さて、このあとはどこに行こう。
目的地は決まっていない。けれど。
「どこでもいいわ、のんびり歩きましょ」
ちょっと歩いて。
軽く駆けて。
とん、と地面を蹴って。
ふわり、空へ舞い上がる振りをしてみた。




