2020/06/15『本』『星』『リアル』
「――この本をもらおうか。帯の言葉がいいねえ……『綺麗事だと分かっていても、信じたいものがある』。この年になってようやく、その通りだと気づいてね。昔は綺麗事なんて大っ嫌いだったんだが……。この表紙、綺麗な箔押しもいい。まるで、本物の星みたいだ。中の紙もうっすらと読むのに邪魔にならない絵が描いてあって、なんて素敵なんだろう」
「ありがとうございます。これは出版社の営業さんも一押しの本でしたからね。なんだか本が得意げに笑っているみたいに見えますよ。――カバーはおかけしますか?」
「ああ、頼むよ。この表紙が汚れるなんて嫌だからね」
「分かりました。お会計が三千三百円になります」
本屋街の隅にひっそりと佇む、個人書店『星の欠片』。そこでオーナーを務めているのは、二十代の女性だった。
彼女の名は、薄羽繻子。両親も祖父母も、繻子が知る親戚はみんな日本人だが、遠い先祖に外国の人がいたのだろうか、髪は深紅に染まり、目は色素の薄い色をしていた。
その見た目と、浮世離れした美しさ、そして本に関する知識の量、やってきたお客様にぴったりな本を薦めることから、彼女は『本屋街の魔女』と呼ばれていた。
「――まさか、私がリアルな魔女だと思ってる人はいないと思うけどさ」
閉店後の『星の欠片』で、ぽつり、呟く。
薄暗い本屋の中心に立ち、そっと目を閉じる。すると、繻子の耳にはさざ波のような声が聞こえ始める。
『魔女さん、明日はあたしのことをおススメしてね』
『いやあ繻子さん、私だって早く読み手のもとに行きたいんだからね』
『まあまあ、ケンカしないの。自分たちにふさわしい読者が見つかったら、必ず薄羽さんはその人と引き合わせてくれるんだからさ』
『まあでも、気持ちは分かるなあ。どんな人がおれを手に取ってくれるんだろうなあ』
楽しげな声を楽しんだら、ひとつ、深呼吸。
「――皆様」
さざ波が、すうっと引いていく。
「約束します。必ず、読み手の方と皆様のことを繋ぐことを。薄羽繻子の名にかけて」
目を開ける。温かな気配が自分を包んでいるのを、繻子は感じ取った。
それは、本たちの期待と信頼の証。
「おやすみなさい」
繻子が優しく挨拶をして、二階の住居に向かう。
それを送り出すかのように、『星の欠片』に静かな「おやすみなさい」の合唱が響き渡った。




