2020/05/10『魔法』『電話』『畑』
――ああ、こういうのを走馬灯って言うんだろうな。
時間はどこまでも引き延ばされ、目につく記憶は私にとある感情を抱かせるものばかりで。
そして突然、世界は闇に飲みこまれた。
海が近い、畑に覆われた田舎町。
そこで農家を営みながらのんびりと暮らす夫婦がいた。
二人には、大人びた高校生の娘と可愛らしい小学生の息子がいた。
四人は幸せな日々を過ごしていた……はずだった。
ある土曜日。夫婦が畑仕事をしていると、そこに息子が駆けこんできた。
「お父さん! お母さん!」
何故か家の固定電話の子機をぎゅっと握りしめ、涙目で、少年は立ち尽くしている。
「どうしたの?」
母親が優しく問いかけると、彼はしゃくりあげながら、なんとか言葉を絞り出す。
「お姉ちゃんが……学校に行く途中に、事故に遭って……死んじゃったって、今、電話が……」
娘は今日、高校の部活動に参加するため、学校に向かっていた。
しかし、その道中で車に轢かれて死亡したのだという。
娘は無残な姿で戻ってきて、数日後に骨となった。
彼女の死を受け入れたくなかったのだろう、母親は骨壺を抱えて泣いていた。
妻の分も働かなければならないからか、あるいは泣いてばかりの姿を見たくないのか。分からないが、父親は今まで以上に仕事に精を出した。
そんな両親を見ながら、どうしたらいいのか分からない弟は、部屋にこもりがちになった。
少年は考えていた。たった一人の姉のことを。
たまに意地悪なことを言ってしまったり、悪戯を仕掛けてしまったりしたけれど、大好きだったお姉ちゃん。喧嘩もよくしたけれど、いつも優しくしてくれたお姉ちゃん。困ったとき、悩んでいるとき、呆れた顔をしながらも相談に乗って励ましてくれたお姉ちゃん……大切な、かけがえのない人は、もういない。
「お姉ちゃんがいるときに言えば良かったなあ……ごめんねって、ありがとうって」
後悔の念が、湧きあがる。
「……会いたいなあ。会って伝えたいなあ……」
真夜中の、満月が輝くある夜に、一筋だけ涙を流して、そう願った。
少女は、ずっと思っていた。
自分の命がこの地上から消え去ったその時から。
いつも支えてくれた両親に、感謝の言葉を伝えていなかった、と。
大切な弟に、大好きだと言ったことがなかった、と。
「――生きているときに、言えば良かったなあ」
奇跡が起こればいいのに、と思った。
あるいは、魔法があればいいと思った。
弟や両親に会って、最期の言葉を伝えられるような、そんな奇跡や魔法が。
ふと、名前を呼ばれた気がして、振り返った。
奇跡が起きた、と思った。あるいは、優しい魔法をかけられたのか、と。
「……お姉ちゃん」
「やっほ。……私、ここにいるよね? 夢でもなんでもないよね?」
姉の言葉に、少年はがくがくと頷いた。
「僕、僕……お姉ちゃんに言いたいことがあったんだ。あのね、今までごめんね。たくさん迷惑かけて。あと……ありがとう。僕、お姉ちゃんのこと、大好き」
「私も。私もあんたのことが大好きだよ。これからはそばにいることはできないけど、いつもあんたのこと、見守ってるからさ。だから、私の分まで、生きてよ」
二人は泣きながら、握手をした。相手の手を摑むことはできなかったけれど手をつないだのだと、少年と少女は思った。
「またね。元気で生きるんだよ」
「お姉ちゃん……またね」
少年の目の前で、姉の姿はふっと消えた。
翌朝、少年は両親から、不思議な話を聞いた。
「そういえばね、昨日の夜、あの子が夢に出てきたのよ。それで、今まで迷惑かけてごめんね、ありがとうって、私はいつでも見てるから、だからお母さんも前を向いてって、悲しんでいるのを見るのは私も悲しいからって、そう言ってたの」
「おれも夢の中で会ったぞ。今まで支えてくれてありがとう、困らせるようなことたくさん言ってごめんねって、あんまり無理はしないでねって、そう言ってたな」
昨日の夜は、この一家にとっての奇跡か、魔法の時間だったのかもしれない。そんなことを思いながら、少年は口を開いた。
「あのね、僕もお姉ちゃんに会ったんだよ」




