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2020/04/13『婚活』『虚無』『レコード』

今日のテーマはTwitterで募集しました。

sandalwoodさん、ありがとうございます!

 カランコロン……。

「おや、いらっしゃい」

「こんにちは。いつものください」

「かしこまりました」

 あまり人気(ひとけ)のない、こぢんまりとした喫茶店。木のテーブルや椅子はよく磨かれていて、天井から吊り下げられている灯りを受け、艶やかな輝きを見せた。

 常連客である彼女は、普段であれば店内に流れる音楽を楽しみつつ、店主(マスター)がサイフォンを使ってコーヒーを淹れる様子を眺めるのだが、今日は珍しく、手に持っていたスマホを弄り続けていた。

 そんな彼女の前にやって来た店主は、カウンター越しにそっとコーヒーカップを差し出した。

「ブレンドコーヒーでございます。――お客様が携帯をいじっているのを、初めて見ましたよ」

「ああ……実は今、婚活をしてまして。ご存知ないですか、それ専門のアプリがあるってこと」

 どこか恥ずかしそうに、気まずそうに、彼女は笑った。そしてスマホの画面をロックすると、コーヒーの香りを、そして味を楽しんだ。それを嬉しそうに眺めながら、店主は彼女と会話を続ける。

「テレビのコマーシャルでやっていますよね。なんでしたっけ……マッチングアプリ、ってやつですか」

「そうです。今、そこで出会った人と会う約束をしたところなんです。その人も、コーヒーが好きらしいので、ここに連れてきたいなって、そう思ってます」

「そうなんですか。なら、その日はいつも以上に心を込めて、コーヒーを淹れなければなりませんね」

 店主は優しく笑うと、流れている音楽に耳を傾け、こんなことを言い出した。

「……どうでしょう、今日は私も珍しく、昔話をしてみようと思うのですが。お客様、聞いていただけますか?」

 彼女は頷いてから「どんなお話ですか?」と問いかける。それに対して、店主は「たいしたお話ではありませんよ」と、どこか遠くを見るようにして言った。

「一人の男が、一人の女性に恋をした。ただ、それだけなのですがね」


 もう、だいぶ昔のお話ですよ。

 青年が、この辺りで暮らしていたんです。

 一人ぼっちで。毎日毎日、虚無感を抱えながら。

 ……ええ、あれは虚無感といっていいと思っているんですけど、もし言葉が間違っていたらすみませんね。

 もう、心が空っぽな感じなんですよ。過ぎゆく毎日に、自分に、価値を見出せなくて。どこにも、何もないんです。生きていたいとは、思えなかった。

 ただ、死にたいわけでもないので、結局生きるしかないんですよ。だから、必要最低限のことだけして、生活してたんです、その青年は。食べて、生活費を稼いで、眠って……ただ、それだけです。

 そんなある日、勤め先に向かう途中、青年はとある少女を見つけたんです。いや、少女といっても、歳は彼と近かったんですけどね。

 中古のレコードショップで、何かを探しているようでした。なんとなく気にかかって、何を探しているの、と尋ねてみると、少女は「お母さんの宝物を探していて」と言ったんです。

「お父さんが、間違ってお母さんの宝物のレコードを売り払っちゃったんです。お父さんはここに売ったって言うから、ここにあるはずなんですけど……」

「……それ、なんていう曲のレコードなの」

 青年は、彼女を手伝うことにしました。なんとなく哀れに思ったのか、あるいは気まぐれか、それは分かりませんが。

 しかし、青年が店番をしていた人に聞いたところ、そのレコードはとっくに売れてしまっていたことが分かったんです。

 彼は途方に暮れました。どうやって少女が探し求めるものを見つけ出せばいいんでしょう?

 そこで、思いついたんです。同じレコードを探し出そう、彼女の父親が売り払ったものそのものでなくてもいいのではないか、と。

 そこで、青年は一旦仕事に行き、その帰りに別の中古レコード店に寄り、少女が探しているものと同じレコードを買い、行きに寄った店に戻りました。

 少女はもう遅い時間だからか、あるいは諦めたのか、そのときにはいなくなっていました。

 そこで青年は、店番をしていた人にレコードを渡し、あの少女に渡してほしいと頼み、家に帰りました。

 その数日後、仕事に行く途中、青年はあの少女と再会しました。

「あの時の人ですよね? あの、お父さんが売り払っちゃったレコード、見つかったんです。だからお礼を言いたくて」

 ありがとうございます、と頭を下げられた青年が「……僕は、何も」とモゴモゴ呟くと、少女は笑ってこう言ったんです。

「だって、店員さんが言ってましたよ。あのレコードを探し出したのはあなただって。……ああ、優しい方だなぁって、心の底から思ったんです」

 その時青年は驚いて、そしてゆっくりと、彼女の言葉を噛みしめたんです。

 ――ああ、自分には「優しさ」があったのか。空っぽだと思っていたけど、そうではなかったのか、とね。

 ……それがきっかけで、二人は惹かれ合うようになったんですよ。青年は自分の『中身』を見出だし与えてくれる彼女に、少女は自分に優しく親切に接してくれる彼に。

 そして二人は結婚し、喫茶店を開いたんです。


「……お分かりでしょうが、その喫茶店が、この店になります。そして今流れている音楽は、妻との出会いのきっかけとなったレコードなんですよ」

「あっ、そういえば……そこにプレイヤーがありますよね。それで音楽をかけていたんですか」

「ええ。そして、妻と結婚するとき、彼女は母親から、あのレコードをもらってきたんです。その時、教えてくれました」


「――本当は気付いてたの。あのレコードが、お父さんが売ったものではないってこと。けれど、私を悲しませまいと同じものを買ってきてくれた。それが、とても嬉しかったのよ。お母さんも言っていたわ。『これは男の人とあなたが一生懸命探してきてくれたものだから、お父さんに売られてしまったレコードでなかったとしても私の宝物よ』って」


「その言葉がどんなに嬉しかったか……。妻には、たくさんのものをもらいました。私は、何も返せなかったのに」

「今から、返せないんですか?」

 常連客の彼女が問いかけると、店主は首を振り、一筋だけ涙をこぼした。

「――もう、この世にはいないんですよ」

 その言葉に、彼女は固まった。言ってはいけないことを言ってしまっただろうか、と店主の顔を窺う。

 頬の水滴を拭い、彼は微笑んだ。

「けれど、悲しんでいたら妻も悲しいだろうと思いましてね。今もこの店を続け、毎日楽しく暮らしていますよ。もらったものを大切に胸の中で抱えながら。……ああ、それこそが今私に出来る、最大の恩返しかも知れませんね」

 その店主の言葉を聞きながら、彼女はブレンドコーヒーを啜る。


 穏やかで静かな時間が、ゆっくりと過ぎていった。

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