2020/03/21『空白』『童話』『受難』
「この空白を埋めるのは、君だよ」
にこり、その壮年は笑って、少女に白い本を渡した。
「さあ、君が見たいものを書けばいい。世界に一つだけの、物語を」
少女は本を受け取り、キラキラとした目で壮年を見上げた。
「これ、わたしのもの? なんでも書いていいの?」
「もちろんさ」
「わあっ、ありがとう!」
そう叫んでから、少女は目をぱちくりさせた。というのも、目の前にいたはずの壮年が、忽然と消えてしまったからだった。
――さあ、君だけの素晴らしい、夢の世界を。
そんな言葉を、残して。
ぴちち、ちち。
小鳥の鳴き声で、少女は目を覚ます。
「……ゆめ?」
あの白い本に、何を書こうかとワクワクしていたのに。少女はがっかりしてしまった。
が、枕元を見た瞬間、憂鬱な気分は吹っ飛んだ。何故って、そこにはあの白い本があったのだから!
「夢じゃなかったんだ!」
少女は本をぎゅっと抱きしめて、頬擦りした。
「なに書こうかな、なに書こうかな」
歌うようにそう言う少女のことを、窓の外から、烏がじっと見ていた。
最初に少女が書いたのは、ちょっとした童話だった。
表紙には『幸せの種を植えましょう』というタイトルと、空色の鳩。そして、様々な形をした『種』のイラスト。
物語は、とある街の片隅にある店『たねや』のオーナー、空色の鳩が、この店を訪れる人々にぴったりの『種』を探し、お客様にお渡しするというもの。
イラストを沢山使い、絵本のように仕上げたはいいものの、短いお話だったので、白い本のすべてのページは埋まらなかった。
そこで、少女は背表紙側から、もうひとつ物語を書くことにした。今度はホラー小説。裏表紙には『ペアルック』というタイトルを、禍々しい文字で書いた。
仲良し二人組が些細なことから仲違いになり、一人が冗談半分、気晴らしのために相手に呪いをかけたところ、本当に相手が死んでしまう。そして、その呪いが自分へと返ってくる……『ペアルック』は、そんな物語だった。
この二つの小説で、白い本のすべてのページが埋まった。
――自分だけの一冊ができた。
その思いに、少女は胸をときめかせた。
『――可哀想に、あの子は知らないんだねえ』
窓の外で、烏がくつくつと笑っていた。
『あの白い本は、書いたことがすべて現実になる本だよ。そして、作者は必ずその出来事に巻き込まれる』
嗤う声は、ますます大きくなっていく。
『あの子は何にも知らないで、登場人物が全員死ぬ話なんて書いちゃって。そんなことしたら、自分まで死んじゃうよ?』
カア、カア、カア……。
烏の鳴き声が、響き渡る。
いつまでも、いつまでも……。




