2020/03/05『少年』『魔王』『森』
森の中で少年は、ひとりの魔物に出会った。
「怖がらなくてもいいよ、君には何もしないから」
驚いて岩陰に隠れた少年に、その魔物は、優しい声でそう言った。
蝙蝠のような体。首から上は人と似ているが、鋭い牙を持っている。瞳は真っ青で、首の下まで伸びる癖っ毛は金色。背丈は160センチ程か。そんな魔物は、ラテワと名乗った。
「君はどうして、ここにいるの?」
ラテワがそう尋ねると、少年はナーウと名乗り、こう答えた。
「この森の中に、天気を変えられる魔女さんがいると聞いて、やってきたんだ」
「……そう。なら、夜にまたここを訪れるといいよ。あの魔女、知り合いなんだけどね、昼間は眠り、夜に起きる不思議な人だから。何か目印をつけて、一度街に戻ったらどうかな」
「――魔女様に願いを叶えてもらうまで、帰ってくるなって言われた」
ナーウの言葉に、影の差した表情に、ラテワはこの少年を放っておけないと、そう思った。
「……うちに来ないかい? 疲れただろう、お茶を用意するよ」
ラテワの家は、沢山の草花に囲まれた場所にあった。家の扉を開けるとそこにはリビングがあり、テーブルの上には、カゴに入った沢山の果物が置かれている。
「椅子に座りなよ。今、お茶を淹れるからね」
「この果物、食べていいの?」
「もちろん。それらはこの森で採れたんだよ」
「へえ!」
そのうち、ラテワは紅茶を二杯持ってきて、そのうちの一杯を少年に差し出してから、椅子に座った。
「さっきの話の続き……聞いても、いいかな」
そっとそう訊ねると、ナーウは静かに語り出した。
「僕ね、嫌われてるんだよ。パパとママに。なんでかは、よく分からないけど……でもいつも、あんたなんかいらないって言われるんだ。街のみんなは、パパのことを立派な村長さんって言うけど……僕ね、どうしてもそう思えなくて、だから、悲しいんだ」
ひとすじ、ナーウの目から涙が流れた。
「昨日の夜ね、聞いちゃったんだよ。この日照りをなんとかするためという名目で、あの子を魔女様のところに行かせよう。あんなに深い森の中なんだ、道に迷って帰ってこられなくなるだろう。もし帰ってきたら、また追い出す手段を考えればいい……って」
ラテワは息を呑んだ――この子の両親は、息子を捨てようとしているのか。殺そうとしているのか。
「僕、悲しくて、こっそり泣いたの。でも、村の人たちが日照りで困っているのは本当だし、なんとかしたくて、だから今日の朝頼まれたとき、頷いたんだ。それで、ここに来たの」
涙が二人の目から流れた。
「……ねえナーウ、うちにこない? そんなお父さんやお母さんと一緒にいるのは辛いだろう? 一緒に暮らそうよ」
思わず、ラテワは言い出していた。
「え……?」
「ずっと、一人ぼっちで寂しかったしね。ナーウと一緒なら、楽しくやっていけそうな気がするんだ」
そう言われても、ナーウはどうしても戸惑いが隠せない。
「……僕たち、出会ったばかりだよ?」
「でも、こんなに仲良く話せているじゃないか」
ラテワも、強引なのは分かっていた。けれど、この子を家に帰してはいけない。帰したらいつか、この子は死んでしまう――そう思ったのだ。
「……たしかに、ラテワさんと暮らすの、楽しそう」
「でしょ?」
「パパもママも、僕には帰ってきて欲しくないみたいだし……いっか。僕、ここで暮らしたいな」
初めて笑顔を見せてくれたナーウに、ラテワも満面の笑みを返した。
その夜のこと。
眠りについたナーウを見て、ラテワは、姿を変えた。
人間の、姿に。
「天気を変えられる魔女さん、か……それは私のことだよ、ナーウ」
本当は私、魔王なんだけど。ラテワは呟いて、元の姿に戻った。
「人間に化けることも出来るからね、たまたま出会った人のために力を使っていたら、いつのまにか天気を変えられる魔女と呼ばれるようになっていたよ」
音を立てぬように、家を出る。そして、空へと飛び立った。
歴代の魔王に比べると穏やかで、人とも仲良くしたいと思っていて、気まぐれで人に手を貸すこともし、それでいて魔物を統べる力もある。そんなラテワには、ひとつだけ、どうしても許せないことがあった。
それは、誰かを傷つけるということ。
それが魔物であろうが人であろうが関係なく、誰かを傷つけている者がいると聞けば、ラテワは容赦しなかった。
その夜、ナーウが住んでいた街には雨が降ったという。そして、彼の両親は、家に雷が落ちたことで火事になり、それに巻き込まれて死んだという。




