2020/02/13『緑』『メモ』『受難』
引っ越した。古いアパートの一室に。
建てられてから経った年数から想像するよりも、新しく見える内装。立地も良く、駅の近く。近所にはスーパーもある。そして、安い家賃。
少しだけ迷ったが、ここに決めた。
そして、今日荷物を持って、やってきたのだ。
四階建てアパートの、404号室に。
悪くはないが、良くもない室内だ。想像よりも新しく見えるとは言ったが、それでもやっぱり古いものは古い。だが、それは承知の上でここにした。
狭い玄関を抜ければ、近くに物置と寝室。その先にトイレがあって、脱衣所・洗面所・風呂があって。ダイニングキッチン、そしてリビング、という感じだ。
さて、片付けるか。
なんせ、家具やら何やら全部持ってきたのだ。大きなものは引っ越し屋がやってくれたとはいえ、まだまだ荷物はある。幸いなことに、時間はあるのだ。
段ボール箱を、一つ開けた。
ほとんどの物を片付けた頃には、夕方になっていた。外からカラスの声が聞こえる。窓から見える黄昏は、紺と紫と橙と……いくつもの色が重なって、とても綺麗だった。
うんと伸びをして、鞄を手に取る。夕飯の買い物をしてこよう。今日は弁当か何かにしようか。軽い足取りで、部屋を出た。
——ごちそうさま、の声が響く。寂しく、虚しく、消えていく。
リビングに置かれた丸テーブル。その上に置かれた、空の弁当。ラジオが午後七時半を告げ、軽やかなトークを繰り広げる。
弁当を片付け、寝室へ。ベッドに控えめなダイブをし、携帯を開いた。通知が来ている。友人からの連絡に、返信する。何事もなく引っ越しは終わった、ぜひ遊びにきて欲しい、と。ちゃんと住所も書いておく。
ごろん、寝返りを打ち、壁を見つめた。遠くから消し忘れたラジオが聞こえる。
——なんだ、これ。
ふと気が付いた。謎の「それ」に。
ベッドと壁の間にある、緑色の紙。
不思議に思って、取り出した。
しわしわで変色したそれを、汚いな、とゴミ箱に入れた。
また携帯を開く。
今週中にでも行く、と返事をよこしてきた友達に、待ってるよと心の中で言った。
それからは、おかしなこと続きだった。
寝室に入れば頭痛になるし、キッチンで作ったものを食べれば、必ず腹を壊す羽目に。トイレからは謎の音が聞こえるし、リビングに置いたラジオは何も受信しない。湯船にはったお湯は、湯気が立っているのに冷たく、洗面台で刃物を使うと必ず怪我をする。
唯一何もないダイニングで、毎日過ごす。寝るのもダイニング。頭が痛くなるのが嫌で、布団一枚持ってこれない。冷たい床で寝るのは辛かった。
キッチンで作ったものは食べられないから、いつも何かを買う羽目になる。出費も嵩む。
どうすればいいのか、頭を抱えた。
そんなある日、友達がやって来た。
そして、玄関に踏み込んだ瞬間、友達は顔色を変えた。
「……ヤバいところに、引っ越しちゃったのか」
一言そう言うと、無地のメモ帳を取り出し、何かを書きつけた。
そして迷うことなく寝室に踏み込み、ベッドと壁の間に突っ込んだ。何かをごにょごにょ呟きながら。
「……ねえ、ここに緑色の紙、なかった?」
友達の問いに、部屋の外からうなづいてみせる。
「あった。なんか汚い、古い紙。だから捨てた」
そう言った途端、ため息をつかれた。
「あのねえ、多分ここ、事故物件だよ。で、悪霊が出るから、封印してたの。お前さんが捨てた緑色の紙で。ほら、入ってきて、見てごらんよ」
恐る恐る寝室に入ると……頭が、痛くならない!
「ほら、これ」
指差された先にあったもの、それは、メモ帳ではなく緑色の紙。どうして、捨てたはずなのに?
「友達が悪霊退治する仕事してて良かったね。とりあえず封印はしといたよ。お前さんが捨てた緑色の紙――呪符の再現を、とりあえずメモ帳でしておいたから。あくまでも仮の処置だし、今度ちゃんと除霊しに来るよ……それはともかく。
部屋に貼られてる紙は、意味があることが多いから捨てちゃダメ。分かった?」
友達にこっぴどく叱られてしまい「……分かりました」としか言えなかった。
それ以降、おかしなことは起こらなくなった。




