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91.影の参謀

 すっかりいつもの姿に戻った屋敷は、昨日の賑やかさが嘘のようだ。いつもより多く飾られた花が、わずかに昨日の華やいだ一日を思い出させる。ふわりと香る甘い花の香りも、いつもよりも強く感じた。


 昨日は夜会が終わったのは、すっかり夜も更けた頃だった。別邸に戻った時には、お兄様はベッドに入られた後で、起こさないように、そっと隣の部屋に戻ったのだ。朝も早く出たお陰で、おはようの挨拶もできず仕舞い。そのせいで、私はお兄様に会って、沢山お話しがしたくて仕方なかった。今日有ったことを全部聞いて貰いたい。


 いつもと違う殿下の表情も、いつもよりも柔らかくなったサロンの侍女達の顔も。勿論、相変わらずなアンジェリカの話もしなければ。進展のない病気の話も聞いて貰いたかった。


 私の希望が叶えられたのは、晩餐が終わった後のこと。まだお母様の誕生日を祝い足りないお父様が、新しく花を抱えて来たことで、晩餐は笑い声で一杯になった。昨日から何度も見ているお母様の笑顔が、どんどん日常になっていく。そのことがとても嬉しくて、お兄様とこっそり笑い合った。


 お兄様と二人でベッドの上に転がってお話しをするのは、小さな頃から良くある光景だ。大きくなった今でも、十二分に広いベッドの上に仲良く転がった。「はしたない」と叱る人が居なければ、こっちのもの。私達は、子供みたいに靴を脱ぎ捨てて、頭を付き合わせた。


「寝なくて良いの?」


 家族だけのお祝いが長引いたせいで、すっかり夜も更けている。いつもなら、眠りについていてもおかしくない時間だった。けれど、お兄様は三日月みたいに口角を上げて、悪戯っ子みたいな笑顔を見せる。


「今日は特別」


 お兄様のいつもより陽気な声は、私の気持ちを幸せにする。嬉しくなって、頬が零れ落ちそうだった。二人で笑い合った後は、私が話役でお兄様が聞き役だ。昨日の夜会の話から始めると、実に丸一日分。お母様の笑顔が素敵だった話も、お父様が思わず目に涙を浮かべた話も、全部披露した。お兄様は微笑みながら相槌を打つ。


 今日のとびきりの話題は、アンジェリカの男役。私はとっても驚いたんだもの、きっとお兄様も驚く筈だ。私は目を丸くさせるお兄様を思い浮かべながら、頬を緩ませた。


「それでね、演劇でアンジェリカ嬢が男役を演じることになったんだよ」

「そうなの? とっても似合いそう」


 お兄様はにっこりと笑うだけ。予想と違う反応に、肩透かしに有った気分だ。思わず目を瞬かせると、お兄様が首を傾げた。


「もっと驚くと思っていた。まるで知っていたみたいだ」


 今度はお兄様が目を瞬かせる番だ。長い睫毛を上下に揺らしている。私はそれに合わせて首を傾げた。


 何か変なことを言ったかしら?


「そんなことないわ。今、初めて聞いたもの」


 お兄様が優しく微笑み返す。こういう時のお兄様の微笑みは何かを隠している顔。十六年も見ているのだから、間違い無い。じっと瞳を見つめると、瑠璃色の瞳がわずかに揺らめいたような気がした。


「本当に?」

「ええ」


 お兄様は大きく頷いたけれど、隙のない微笑みが余計に怪しい。お兄様が何かを隠していることは分かる。けれど、何を隠しているかまでは分からない。きっとお兄様は、私に聞くよりも早くに、アンジェリカが男役を演じることを知っていた筈だ。答えを探る様に、何度もその瞳の中を覗き込んだ。私の(いぶか)しむ顔が、瑠璃色の瞳いっぱいに映り込んでいた。


「あ、わかった。本当はシシリーに調べて貰ったんだ」


 顔が広いシシリーならば、そんなこともお手の物だろう。困った時のシシリー頼みをしている私が言えた話ではないけれど、きっとお兄様もシシリーにお願いしたに違いない。最近は殿下とずっと会えず仕舞いだったし、夜会の後も結局お話が出来なかったから、お兄様も気になっていたのかも。


 私は確信を持って口角を上げると、お兄様は二、三度の瞬きをした後、諦めた様に肩を竦めた。


「……シシリーを怒っちゃ駄目よ」

「勿論」


 お兄様は大きく頷いた私を見て、まるで大輪の花が咲いたようにふわりと笑った。


「でも残念。とびきりの話題だったのに」

「ごめんなさい。次はもっと上手に驚く様にするわ」


 お兄様は申し訳なさそうに眉を下げる。それも何だか違う気がして、思わず眉を(ひそ)めた。お兄様のわざとらしい表情がなんだか面白くて、笑いが込み上げてくる。お兄様も同じだったみたいで、私達は、お互い顔を見合わせて笑った。


 話はまだまだ尽きそうにない。とびきりの情報をお兄様に知らせる大役は、シシリー奪われてしまったけれど、今日令嬢から聞いた沢山の情報は、流石のシシリーも知らないだろう。私は得意になって披露した。


 時折、お兄様が約束通りにわざとらしく目を丸くさせる。それを見て私が口を尖らせた。私達はお腹を抱えるくらい笑いあう。一頻り笑った後は、ベッドにごろんと寝転んで、二人で天井の模様を見ながら息を整えた。


「芸術祭を成功させたいな」


 天井の繊細な模様を追いながら、私はポツリと呟いた。思わず零れた願いを拾って、お兄様が私に顔を向ける。飴色の前髪が、視界を邪魔するように静かにベッドに向かって滑った。


 お兄様は何も言わずに私を見つめる。まるで、「何でも聞くよ」と言われているようで、私は思わず悩みを零してしまうのだ。


「新しい演目を増やして、演劇をやって、それだけだと足りない気がするんだ。他に皆が楽しめるような何かができたらいいのに」


 新しい演目を増やすだけでも大変だというのに、他に何ができるのかと聞かれたら難しい。けれど、私は今日見た令嬢達のキラキラとした笑顔が忘れられなかった。


 楽師や芸人を呼んで始まる芸術祭は、最終日がアカデミーの生徒にとって本番だ。その日演劇を披露して毎年幕を閉じている。


 けれど、それでは何かが足りないような気がしてならない。芸術祭はアカデミーにとっても一大行事。なのに、生徒が楽しめる場は本当に少ない。


「歌や楽器は習う人もいるけど、全員じゃないから」


 歌や楽器もさることながら、絵画を描く人も本当に少ない。趣味として描いてる人を珍しがる程には。歌と楽器、絵画の展示、そして演劇。これでは全員が楽しむような芸術祭には程遠い。


 お兄様は私の隣で考えこんでしまった。いつものことだけれど、こうなると長くなる。けれど、折角お兄様が考えてくれているんだもの。私も隣で何かいい案がないか、考えることにした。


 最近の社交場で話を聞いていても、どちらかと言うと、芸術を観て聴いて楽しむ人が殆どだ。全員が楽しめるような何かを企画したいという願い自体が、私の一人よがりなのかもしれない。けれど、折角アカデミーに入ったのだから、一年に一度のお祭りを全員が楽しめるようになっていても、バチは当たらないのではないか。


「ダンスとかはどう?」


 考え込んでいたお兄様が、思いついたとばかりに突然声を上げた。けれど、お兄様の提案に私は首を捻った。


「ダンス……舞踏会ってこと?」

「そう、私達には社交はつきものだもの。ダンスなら皆が習っているわ。あれだって芸術だと思わない?」


 確かにダンスなら、社交界にデビューしている貴族の子女なら当たり前にできる。けれど、それではなんだかいつも通りだ。しっくりくるものがなくて、私は小さく唸った。


「それだと、いつもと一緒だよ?」

「アカデミーの生徒だけのパーティなら社交とはまた違って、楽しそうじゃない?」


 私は同じ年代の男女だけの舞踏会を思い浮かべる。社交場には、お見合い目的の若者が多い夜会も数多くあった。そんな時でも、大人達は必ずいる。若者だけのパーティは、なんだか新鮮な気がした。私は頬を緩ませた。


「同年代だけの『一年間お疲れ様』を込めたパーティか。楽しそう」


 私はひょいっと起き上がると、腕を組む。追うように、お兄様も起き上がった。そして、楽しそうに笑いながら私の顔を覗き込む。悪巧みでも考えているような笑顔だった。


「皆近い年齢なら、もう少し羽目を外しても良いかもしれないわ」

「例えば?」

「コンテストをしてみるとか。その日一番輝いている人を投票して貰うの」

「面白そう!」


 思わず大きな声を上げて、私は両手で自分自身の口を塞いだ。あまり大きな声を出したらシシリーが慌てて来てしまう。もう良い子は眠っている時間なのだから。


 私は一段と小さな声を出した。


「そういうの小説で読んだことがあったな」


 大好きな恋愛小説の一つだった。


「確か、その日輝いていた男女一人づつを選んで投票して貰うんだったかな。最後に一位になった二人がラストダンスを踊るんだ」


 ヒロインは、愛する人と最後にダンスをする。見つめ合う二人を想像して、何度物語に浸ったことか。


「そういうのって、頭の固い大人がいるとやりにくいもの。良いと思うわ」

「実現したら楽しそうだな」


 私は提案を受けた三人の顔を想像する。殿下は眉を顰めるだろうか。アンジェリカは案外賛成してくれそう。レジーナには、逆に反対されてしまいそうだな。


 私は三人の攻略法を相談しようとしたけれど、それは叶わなかった。なぜなら、扉を控え目に叩く音が部屋に響いたからだ。私達は顔を見合わせて、小さく肩を竦めた。


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