88.適材適所1
たった三人だけの会議が終了した後、私とアンジェリカは、長い廊下を歩いていた。殿下は、早速レジーナを呼び出すそうだ。殿下に「あとは任せた」と、廊下に放り出された私達は、新たな目的地を目指すことにした。
「何なのよ、あの男っ!」
サロンを出た後から、アンジェリカは苛立ちを隠さない。長い廊下のずっと向こう側まで響き渡りそうな声で、アンジェリカは叫んだ。腹の底から出された声に、思わず両耳を押さる程の声量だった。
「雲隠れしたと思ったら、ポンポンポンポン我儘言って……有り得ない!」
今にも手に持つ扇子を床に叩きつけそうな勢いのアンジェリカを、どう宥めれば良いのやら。私は苦笑を浮かべた。右手の扇子が力一杯握られる。ギリギリギリギリ音が立ちそうだ。
「大体、何なのよ。あの豹変ぶり! 今まで何考えてるか分からない頼りない王子様だったじゃない。どこに隠し持っていたのよ!」
アンジェリカは、まだ言い足りないらしい。数歩進む毎に苛立ちをぶつける。私は隣で聞き役に徹するばかりだ。
アンジェリカは歩きながら殿下の逸話を語り始めた。リーガン侯爵の長男を「御学友に」と紹介されながら、「いらん」の一言で追い返した話を筆頭に、私の知らない五年分の彼の物語が語られる。ほぼ悪口に近いそれに、私はただ苦笑を返すしかない。
彼女の語る殿下の物語は、きっとミュラー家から見た殿下の印象なのだろう。孤独で頼りない王子様。きっとそれは、この国の貴族の大半が抱いている『アレクセイ』へのイメージ。それは多分、芸術祭でガラリと変わる筈だ。私は確信めいたものを感じていた。
反対に、不安もある。彼が無理をしているのではないか。背負う物が大きくなってしまったのではないかと。隣で支えるには、どうしたら良いのか。私は今、何が出来るのか。そればかり考えてしまう。
「それにしても、やってくれるわよ。こんなの、王太子殿下の一言で決定するじゃない。それを、わざわざ私達にやらせるのよ」
地を這うような声が、アンジェリカの口から発せられる。その後アンジェリカは、私の悩みなど吹き飛ばす様な大きくため息をついた。私達は殿下に二つのことを任せられている。一つは演目を増やす為の、アカデミー側との交渉。もう一つは、他の演目の参加者を集めるというもの。
二つとも、王太子殿下の身分をもってすれば一瞬の内に片付く話だった。殿下からの希望とあれば、アカデミー側が頷かない訳がない。それに、下手をすれば王族に対抗することなど、貴族の子女には到底難しい。
「アレクは多分、自主性を大切にしたいんだと思うよ」
命令で動かすのではなく、自ら動いてもらう為に私達が動くのだろう。そうでなければ、私達に任せる理由がないもの。
「ええ、そうでしょうね。その点、貴方という人選は、見事としか言いようがないわ」
アンジェリカは頷きながらも、「だから腹が立つのよ」と顔を歪めた。アンジェリカの言っている意味がわからず、私が首を傾げれば、わざとらしい大きなため息が返される。
「今や社交界ではすっかり人気者の貴方が、お願いや相談をすれば、みーんな協力してくれるわよ。……良い?」
アンジェリカは、わざわざ歩みを止めて私の方にくるりと振り向いた。思わず私の歩みも止まる。何度か目を瞬かせると、アンジェリカの何でも見透かしそうな瞳に、まっすぐ見つめられた。
「そう、今みたいにまっすぐ瞳を見つめて、『君の歌声が聴きたいな』って言えば良いのよ」
彼女は、いつもよりも低い声で私に向かって囁いた。まるで物語の王子様の様だ。思わず胸が跳ねてしまう程に。衣装を来て舞台に立てば、男役ははまり役になりそうな程きまっている。けれど、きっと今それを伝えたら怒られてしまうのだろう。怒られる所までを想像して、思わず笑ってしまうと、アンジェリカは形の良い眉を寄せた。
「何よ、言いたいことがあるのなら、言いなさい?」
「様になってるな。と」
当たり障りの無いように、言葉を選んだけれど、アンジェリカには鼻で笑われてしまった。
「あら、今のは貴方の真似よ」
反論しようとしたけれど、彼女はそのままくるりと背中を向けて、歩き出した。右手を上げてひらひらと振る。
「じゃあ、私は演目追加の交渉の準備をするわ。貴方はその笑顔で、沢山垂らし込むのよ」
アンジェリカは、そのまま歩く速度を上げてしまった。そうなると、どんどん小さくなる彼女の背中を見送る他ない。口では何だかんだ言いながらも、アンジェリカの瞳はやる気に満ちていた。
遅れを取ってはいられないかな。
右に曲がればカフェテリア。左に曲がれば庭園がある。昼下がりという時間もあって、人が良く集まる場所は決まっていた。
「歌や楽器が得意な子、かあ……」
私はカフェテリアへと足を向けた。まずは情報を手に入れようと思ったのだ。女性は噂話が好きだと、常々シシリーから教えて貰った。ならば、誰がどんなものを得意としているか知っているのは、女性であろうと踏んでのこと。
カフェテリアには、何組かの令嬢達がお喋りに花を咲かせている。一人でここを訪れる人は少ない。皆、誰かと話す為にこの場所を使用することが多かった。だから、私の様に一人でカフェテリアに入ると目立ってしまう。けれど、今はそれが助けとなった。
カフェテリアまでの道のり、どうやって話かけようかと悩んでいたけれど、入ってみれば杞憂であったと分かる。一組の令嬢達と目が合うとすぐに、あちらから声をかけてくれたのだ。
「クリストファー様、お一人でいかがされましたの?」
彼女のお陰で、私は驚くくらい簡単に一組の中に溶け込むことができた。寧ろその後の方が大変だった。お喋りが大好きな彼女達は、矢継ぎ早に話し始める。昨日の夜会の話や、今日私が花屋の真似事をしていた時の話。私が声を出す暇も無いくらい、次々に話題が上がった。
このままでは、芸術祭の話一つできずに終わってしまいそうだわ。
一人話せばまた一人と、話し出す。うまく話を切り出さなくては、と焦っていると、一人が思い出した様に声を上げた。
「そういえば、今日は王太子殿下とアンジェリカ様と、芸術祭の為の打ち合わせが有ったとお聞きしましたわ。今年の芸術祭はきっと華やかになりますわね」
彼女が芸術祭に想いを馳せて、うっとりとした後、ため息をつく。彼女に合わせて周りも大きく頷いた。私はこの機会を逃すまいと、背筋を伸ばす。
「きっと今年の芸術祭は、いつも以上に華やかになると思うよ」
今までの流れを断つ様に、ゆっくりと声に出す。ついでに、周りの席にも聞こえる様にいつもよりも大きな声を出した。彼女達は口々に「まあ! 素敵!」と声を上げる。その声に私は出来る限り優しく微笑んだ。
どうにかして、このカフェテリアにいる全員を味方に引き込もう。
「今年はね、もっと沢山の人に参加して貰いたいと思っているんだ」
私は目の前にいる令嬢一人一人と目を合わせていった。出来る限り長く、瞳を覗き込むよう。目を合わせると、彼女達は静かに頬を染めたり、肩を震わせたり様々だ。
「皆、協力してくれるかな……?」
最後の一人に目を合わせながら問えば、皆口々に「はいっ!」と大きな声を上げた。あまりの勢いに驚いてしまった程だ。周りの席にいた令嬢達も、「私に出来ることはありませんか?」と輪に入ってくる。
想像以上の反応に、後退りそうになるのを堪えながら、私は笑みを作った。ぐるりと周りを見渡す。随分大世帯になってしまった。このままでは、カフェテリアを占領しかねない。今も大分占領してはいるのだけれど、これ以上人が集まると、苦情になりかねない雰囲気がある。
「ありがとう、ここだと皆と話ができないね。場所を変えようか」
私は立ち上がりながら、最初の難関は突破したのではないかと、ほくそ笑んだ。




