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86.御三家1

 春の柔らかな日差しが入り込み、開けた窓から優しい風が迷い込む。私は窓の外を見て「今日は昼寝日和だな」なんて、呑気なことを考えていた。


 私の目の前では、鬼が二人睨み合っている。


 事の発端はほんの少し前に遡る。


 ここはアカデミーの王室専用サロン。我が家で行われた夜会も無事に終わり、屋敷の中は後片付けに追われている頃だろう。部屋中に飾られた花は行き場を失い、朝からホールにひしめき合っていた。


 役目を終えた花達の末路を考えると、居ても立っても居られなくなって、私は朝からそれらを馬車へと積んだ。結果、大量の花を持ってきた私は、アカデミーに持って来たてすぐに朝から花屋になっていた。良く世話になっている図書館に少し御裾分けをした後は、殺風景なサロンにでも飾ろうかと思っていたのだ。何をどうしてそうなったのか、列を成した令嬢達に結局一輪ずつ手渡す一大行事になってしまったのは、つい先ほどのこと。


 朝最初に出会った子が、花を見て「素敵」と頬を染めるものだから、手に持っていた花を手渡したところ、我も我もと人が集まって来たのだ。結果、馬車に積んだ花の大半が、人の手に渡ったのだから良かったのかもしれない。残ったのは、私が一抱えできる程度だ。


 花屋の真似事がなかなか終わらなくて困っていた時に、殿下とアンジェリカが現れて助かった。二人の姿を見て、集まった令嬢達は解散してくれたのだから。半ば呆れ気味の二人と共に、ようやくこのサロンに到着した時には、太陽は良い高さまで登っていた。二人が来なかったら、私の一日は花を配って終わっていたかもしれない。


 三人で始めた芸術祭の会議。長丁場を想定してあるのか、紅茶の他に軽食まで置いてある。


「まずは、数日席を外していたことを詫びよう」


 殿下の言葉から始まった会議は、穏やかなものだった。そう大きくはないテーブルを囲んで三人がそれぞれ1人掛けの椅子に腰掛ける。


 一際豪奢な椅子に座った殿下は、腕組みをして私達をゆっくりと見渡した。


「我が国にとって芸術祭は、今や重要な行事となった。そこで、更なる飛躍の為にも二人には協力して欲しい」


 殿下の落ち着いた声が部屋の中に響き渡る。まるで、物語の一端を見ている気分になって、私は目を細めた。いつもと少し違う雰囲気を感じて、私は心の中で小首を傾げた。向かいに座るアンジェリカも、殿下の考えを計りかねている様で、難しい顔をしている。


「勿論です。アレクの……いや、殿下の御心のままに」


 私は立ち上がり、わざとらしく右手を胸に当てて、腰を折る。視界の端で、殿下の口角が上がったような気がした。


「殿下が芸術祭に積極的になっていただけることは喜ばしいこと。私も出来る限りの協力をさせていただきますわ」


 少しわざとらし過ぎたかな、と思ったけれど、私の言葉に続くように、アンジェリカも立ち上がり、礼を取った。物語の一幕のような光景に、私はほんの少し胸を踊らせる。


 これから何が始まるのか、不安と期待とが入り混じった様な感覚だわ。


「二人には期待している。まずは座ってくれ」


 殿下に促されるままに椅子に腰掛ければ、向かいに座るアンジェリカと目が合った。何か聞きたげな目をしている気がしたけれど、私にもこれから何が起こるかわからない。困った様に、肩を竦めれば、アンジェリカは小さく顔を歪めた。


「芸術祭で生徒が関わることができるのは、演劇のみ。演劇に参加する人数は限られてくる。それでは、つまらないとは思わないか?」

「そうですね、演劇に関わらない者はやる事と言えば観賞くらいですから」


 私は殿下の問いに頷いた。『有志』と言う割には、身分の上下を気にしての配役。涙を飲んで、参加を諦める者も多そうだ。


「私は、できる限り皆が楽しめる芸術祭にしたいと思っている」

「それはつまり、家名を取り払った配役を進めたいという意味でしょか?」

「いや、私達は生まれた時から家名を背負っている。それは難しいだろうな」


 殿下は小さくため息をついた。身分の上下を気にせず配役を決めようというのは、理想論に近い。才能があるとはいえ、男爵家の次男が主役を張って、王太子が端役をやる姿は想像ができないもの。


「ええ、そう思いますわ。では、どの様にしたいと仰るのでしょうか?」


 アンジェリカの質問に、殿下の口角が上がった。悪戯を仕掛ける前の子供みたいに、楽しそうだ。


「芸術は演劇だけではない。歌が得意な者、楽器が得意な者、絵が得意な者。皆それぞれに特技がある。しかし、それを見せる場は非常に少ない。勿体無いとは思わないか?」

「アレク、つまり、皆に舞台へ出る機会を与えるということですか」

「ああ、そういうことだ」


 私が尋ねると、殿下は満足そうに頷いた。しかし、殿下の表情とは裏腹に、アンジェリカは難しい顔をしている。


「突然演目を増やしたいと言って、うまくいくとは思えませんわ」


 新しく何かを始めるというのは、いつだって難しい。新しい変化を歓迎する者もいれば、受け付けない者も出てくるだろう。


「簡単ではないかもしれないな。だから、二人に協力を求めている。二人が居れば、うまくいくと私は思っている」


 殿下は成功を確信しているかのように笑った。その笑顔を見たアンジェリカは、静かに眉を顰める。殿下は、ゆっくりと椅子から立ち上がった。窓辺に向かって歩く背中を、私達はただ見つめた。


 窓辺には、私が持ち込んだばかりの花が飾られている。殿下はそのうちの三輪の花を抜き取ると、何事も無かったかのように、豪奢な椅子に座り直した。


「二十年続いた伝統を守ることは容易い。だが、今年は新しい形を作る良い機会じゃないか」


 殿下は腕を伸ばし、私達の目の前に三輪の花を差し出した。種類の違う三輪の花は、色も形も違う。それを一輪ずつ、ゆっくりとテーブルに置いていく。


「ウィザー家、ミュラー家、リーガン家。ここまで揃って、何もできないとは言うまい?」


 殿下の攻撃的な言葉に、アンジェリカは小さな深呼吸をした。


「そこまで言われて、「出来ません」とは言えませんわね。ミュラー家の者としては」


 アンジェリカは少し困った様に笑った。少し呆れている様な感じはするものの、楽しんでいる様にも見える。


「クリス、お前の力が必要だ。協力してくれるだろう?」


 殿下が私の目を真っ直ぐに見る。その紫水晶を前にして、首を横に振れるわけがない。


「勿論です。言ったでしょう? 御心のままに、と」


 わざとらしく、胸に手を当てれば殿下は口角を上げて笑った。今日の彼は少しばかりいつもと違う。私はそのことに、ほんの少し胸が擽られたような気持ちになった。


「心強い。やる事は山程あるからな。二人ともよろしく頼む」


 殿下や言葉に、私達は短く返事をして、頭を下げた。殿下は満足そうだ。アンジェリカも、今はやる気に満ちているようで、既に色々と考えを巡らせているようだ。一人でブツブツと呪文を唱え始めた。けれど、すぐにアンジェリカは、突然思い出した様に、殿下に視線を向けた。


「そうですわ。演劇の配役ですけど、主役は殿下が引き受けて下さるということで宜しいでしょうか?」

「ああ、問題ない」

「ありがとうございます。一つ心配事が減りました。あとは、クリストファー様の配役についてですが……」


 アンジェリカが、伺うようにチラリと私を見る。私はそのまま流れるように殿下を見た。


 昨日は、ヒロインを引き受けと言う話でまとまったけれど。


「クリスは提案通りヒロイン役が良いだろうな」

「ええ、私もそれが一番争いが無くなり、安心しますわ」

「クリスにヒロイン役を任せるに当たって、一つ条件がある」


 殿下がは腕を組み、アンジェリカを真っ直ぐに見つめている。


 条件なんて、昨日はそんな話聞いていなかったわ。


「何でしょうか?」

「恋敵の役は、アンジェリカ嬢、君にやって貰いたい」


 殿下の言葉に、私は二度目を瞬かせた。恋敵の役は二十年前、私のお父様が演じた役だ。それをアンジェリカが演じるというのは、どういう事なのか。私の疑問に答えるように、アンジェリカが絞り出すような声を出した。


「それは……クリストファー様が女役をする代わりに、私が男役をするということでしょうか……?」

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