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79.月隠れ2

 アンジェリカは私を「探した」と言いっているけれど、その割には焦った様子はない。それどころか余裕すら感じられる。春の風に揺らめくスカートだけが余裕も無さそうに揺らめいている。


 今日のアンジェリカは、いつもと違う印象があるせいかもしれない。いつも流している艶やかな黒い髪は、綺麗に結い上げられている。それに、黒髪に一輪だけ飾られた白い花がとても気高い雰囲気を作っているようだ。いつもとは違うけど、やっぱり女王様は女王様だ。


「珍しいね。そういう髪型も似合っていて素敵だ」

「そういうところよ」


 ため息を吐きながら、アンジェリカは私の隣までやってきた。ヒールが小気味いい音を立てる。おもむろに左の手に持つグラスを手渡された。受け取ったグラスの中には、葡萄酒が踊っている。私は右手で軽く揺さぶりながらその様子を眺めただけ。葡萄酒の香りがほんのりと漂ってきた。それだけで酔ってしまいそう。私がそうしている間にも、アンジェリカは豪快にグラスを傾けた。


「それで、そういうところ(・・・・・・・)って?」

「わかっているんでしょ? その、息をするように誉め言葉が出てくるところよ」


 言い捨てると、彼女はグラスに残っていた最後の一口を一気に飲み干した。葡萄酒を流し込む横顔はどこか不満げだ。空になったグラスを無造作に弄び始めたアンジェリカは、物言いたげな目で私を見た。


 そんな目で見られても、髪型を変えてきたら褒めるでしょう?


 お父様だって、お母様がいつもと違う髪型で現れたら手放しで褒める。それと何ら変わらないと思うのだ。


「そうかな?」

「そうよ。まあ、それがクリストファー・ウィザーなのだから、仕方ないのかしらね。でも、そのせいで最近皆のお洒落に気合が入っているのよ」

「元から皆お洒落だと思うけど」


 可愛らしいドレスを身に纏う令嬢達は、いつ見ても皆お洒落で見ていて飽きない。流行に敏感で、いつも新しい物を身に着けている。私のせいでお洒落になったとは思えないのだけれど、アンジェリカの考えは違うようだ。


「貴方がチョーカーを褒めればチョーカーが流行るし、花の髪飾りが可愛いと言えば、皆花を髪に飾るのよ。だから、今はこれね」


 アンジェリカは、一輪の花を指さした。黒髪に佇む一輪の豪奢な白い花は、どこか誇らしげだ。そういえば、今日は皆生花を髪飾りにしていた。


「皆、花の妖精みたいで可愛いよね」

「それよ、そ・れ。本当に困るわ。この髪型も貴方のせいなんだから。次褒める時は、簡単に付けられる物にして」


 アンジェリカは、不機嫌そうに眉を寄せる。私は酷い言いがかりに肩を竦めた。


 このままでは更に色々と言われそうだわ。


 だから、彼女が口を開く前に、私から話題を振ることにしたのだ。


「そうだ、探していたと言う位だから、何か用があったんだよね?」

「そうよ。貴方と楽しくお洒落談義している場合じゃないのよ。わざとらしいわね。検討はついているんでしょう?」


 話題の転換は愚策だったみたい。アンジェリカの顔はわかりやすく不機嫌なままだった。今アンジェリカの気持ちを(わずら)わせている事柄で、私が関わっているものなんて一つしかない。


 アンジェリカは小さくため息をつくと、バルコニーの手摺に背を預け、私に視線を向けた。彼女の手元では、空のグラスがゆらゆらと揺れる。私は精一杯の笑顔で不安を覆い隠した。


「どうだろう?」

「私、回りくどいの嫌いなのよね」


 それは知っている。そう、返したら多分小言を二、三増やされるだろうけど。乾いた喉を潤そうと、グラスを口元に近づけて、中身が葡萄酒であることに気づく。今酔えたらどんなに幸せか。私は葡萄酒を踊らせながら、口元から離した。


「こんな所で話しても良い内容なら、聞くよ」

「大した話じゃないわ。安心して。深刻な内容なら、朝一番、門の前で待っていたわよ」


 その姿は簡単に想像できる。きっと、仁王立ちで腕を組んで待っていることだろう。


「それは怖いな」

「だからこれは、ただの雑談。それで、貴方から見て、殿下は本気で出演する気がないのかしら?」

「アレクのこと? それなら本人に聞いた方が早いと思うけど。」

「貴方が一番、殿下と仲が良いでしょう? ただ、友人から見た意見を聞きたいのよ。私が今本人に聞いたところで一刀両断よ」


 アンジェリカのグラスを持つ手に力が入る。心なしか、グラスが悲鳴を上げているような気がした。


「どうだろう? 口下手だから」

「あれを口下手で済ませる貴方を尊敬するわ。……まさか、まだ殿下とは連絡が取れていないの?」

「そのまさかだよ」


 私は肩を竦めるしかなかった。次の日、アンジェリカはもう一度私の元を訪れていた。本来なら、私と殿下と話す為だったのだけれど、その日から殿下はアカデミーに来ていない。それどころか、乱暴に書かれた手紙を渡された時、彼女は隣にいた。だからこそ、彼女は少し焦っているのかもしれない。


「『急用』なんて言って、逃げているだけじゃないの?」


 さすがにそれは無いと思うけれど、断言もできずに私は苦笑を返す。アンジェリカは大きなため息を吐く。それは空まで届いたのではないかというくらい大きかった。


「殿下が乗り気でないのはわかっているわ。でも、どうにかできないかしら?」

「どうにか、か。殿下抜きでの演劇は難しい?」

「ええ、難しいわね。他にめぼしい人にあたってはいるわ。けど、今の所全員に『殿下を差し置いて』って断られてしまうのよ」


 二度目のため息は、闇夜の中に溶けて行った。アンジェリカの言う通り、殿下を差し置いて他の誰かが演劇で主演を張るのは難しそうだ。アカデミーでも、夜会でも皆、殿下の出演を楽しみにしている。余り表に出たがらないから尚更かもしれない。


「そうだね。皆と同じ立場なら私も断るかも」

「でしょう? だから、今回の演劇には殿下と貴方の出演が不可欠なのよ。貴方は物分かりが良くて助かるわ」

「でも、ドレスを着るのは御免かな」

「あら、似合うわよ。でも、殿下も貴方のヒロイン役の話を聞いてからの反応が、頑なだった気がするわ。何故かしら?」


 アンジェリカはグラスを持った手を顎に当てながら一人考え悩んでいる。本人がいないのだから、考えたところで答えはわからない。


「男同士で恋物語はさすがに嫌だったんじゃない?」

「大丈夫よ。似合うのはロザリア様で保証済みなんだから。でも、もし殿下の気がかりがそこなら、別に貴方が違う役をやっても良いのよ。要は二人の出演が成功の絶対条件なんだから」

「アンジェリカ嬢にとって、芸術祭の成功は重要なんだ?」


 私は未だ想像の域を出ない芸術祭が、どれ程重要なものなのかわかっていない。有志による演劇と銘打っているだけあって、「今年は無し」では駄目なのか。そんな風に思うことだってあるほどだ。


「芸術祭なんて、ただのお祭り。いわば娯楽。それはどうだっていいの。でも、ミュラー家の長女がこれくらいのこと卒なくこなせなかったら、一族の恥よ。だから、私が在学中は成功以外ありえないの」


 堂々と腕を組む姿は、正にアカデミーの女王そのものだった。彼女もまた、家名を背負って立っている。それも堂々と。悩みながら歩いている私とは大違いだ。


「かっこいいね」


 素直に思った言葉がこぼれた。私も彼女の様に強くなりたい。前を向いて歩いて行かなくちゃ。アンジェリカは目を細めて嬉しそうに笑った。


「そう? 惚れちゃだめよ。私、ミュラー家を継いでくれる人としか結婚できないから」

「……それは、残念」

「全然残念そうじゃないわね。もっと感情を込めなさい」


 私とアンジェリカは暫く見つめ合い、そして笑いあった。腹の底から笑ったのはいつ振りかしら? お腹が(よじ)れそう。一頻(ひとしき)り笑った後、私は話を戻す様にコホンと小さく咳払いをした。


「目の前の問題から逃げる程、アレクも子供ではないから、色々考えているとは思うよ。だから、もう少し待とう」

「ええ、そうね。それに、もう少ししたら会えるでしょうし」


 アンジェリカは口角を上げた。確信めいた表情に、私はただ首を傾げた。


「もう少し? 何か有った?」


 アカデミーの行事でこれと言って大きなものは無かった筈だ。王宮の舞踏会も当分はない。王妃様のお茶会は時々開かれているけれど、招待状は届いていなかった。せっかちなアンジェリカは、私が答えを出す前に、大きなため息をついた。


「貴方の家でやるでしょ。夜会」

「アレクは参加しないと思うけど」


 確かに我が家で六年振りに夜会を開く。けれど、殿下は社交嫌いで有名だ。王家主催の夜会以外に参加したことがないのに、我が家の夜会に参加するとは思えない。そんなこと、アンジェリカも知っていると思ったけれど。


「あら、絶対参加するわよ。だって、お忍びとは言え、王妃様にはエスコートが必要でしょう?」


 王妃様がお忍びで来ることは周知の事実。お母様と王妃様は仲が良いことは知れ渡っている。それに、お母様の誕生日が近づくにつれて、王妃様の機嫌がどんどん良くなっていると小耳にはさんだ。きっと、夜会が楽しみなのだろう。と、最近では皆が噂をしている。


「そうか。盲点だったよ。確かに、王妃陛下に頼まれたとあれば断れない、か」

「そういうこと。だからあと数日の辛抱だわ。その時にとっ捕まえるのよ。勿論……手を貸して下さいますわよね? クリストファー様?」


 屋敷から漏れ出た人口の明かりが、アンジェリカの怪しい笑みを照らした。
















いつもありがとうございます。


楽しんでいただければ幸いです。

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