75.女王様と相談事2
お待たせしました!
人気者というのは大変なものなのね。
それが今日の私の唯一の感想だ。カフェテリアのクッキーは相変わらず美味しいし、新しく入ったという茶葉も申し分なかった。
目の前にいる二人の令嬢には、勿体ない程の紅茶だと思う。お喋りに夢中で、紅茶の味など気にしていないだから。喉を潤す為にこんな美味しい紅茶を使うなんて、なんと哀れなことか。
「アンジェリカ様、聞いておりますか?!」
殿下とクリストファーが如何に麗しいかを語り始めた辺りから、話半分で紅茶とクッキーに集中してしまったわ。話に夢中で気づいていないと思ったけれど、そうでも無かったみたい。
「え、ええ。勿論聞いているわ。殿下が愛おしそうにクリストファー様の頰に触れて微笑んだのだったかしら?」
「その話はとうに過ぎましたわ」
一人がため息をつくと、二人同時に冷めた紅茶を一気に飲み干した。茶葉を憐れみながら、私は「あら、そうだったかしら」と返すだけだ。
「ああ、アンジェリカ様もあのお二人の麗しい姿を見たら、甘いため息をついたに違いませんのに」
嘆かわしげに、ヨヨヨと泣き真似をされると、私もいよいよ面倒になってくる。あの二人の顔なんてアカデミーでも社交場でもいつも見ているし、ただ顔が綺麗なだけじゃない。
この話、いつまで続けるのかしら?
「それで、相談事って–––––」
「アンジェリカ様、まだ続きがありますのよ」
「そうですわ、アンジェリカ様。クリストファー様の側にお座りになってからも殿下は……」
彼女達は、どちらとも無く話し出す。二人はお互いの話に頷き合いながら、それはもう熱く語った。もう、私が止めることはできないわ。クリストファーが眠っている間、殿下が如何に優しい眼差しで彼を見つめていたのか、果ては殿下の寝姿まで細かく説明してくれた。私はただ、耳を貸し相槌を打つだけで、気力が消耗仕切ってしまったわ。
皿の上のクッキーを平らげ、紅茶を三杯もお代わりした頃に、一頻り話し合えた彼女達は大人しくなった。もう既に太陽はゆっくりと降りてきている。西陽が窓から差し込み、眩しい光が救いのように感じた。時間を言い訳にして退散することも可能だわ。
「楽しいお話を聞けて嬉しいわ。そろそろ、日も傾いて来たことだし、相談は後日にしましょうか?」
「あら! いやだわ。私達ったら……」
二人はわざとらしく頰に手を当てて恥ずかしそうにしている。私はただ頬が引きつらない様に気を付けながら、微笑むしかなかった。
「帰りが遅くなったら家の者も心配するでしょう? 話は明日にしましょう」
「いえ、早ければ早い方が良い内容ですの。すぐに済みますし、今日させて下さいませ」
何ということか。すぐ済む相談の前菜にこんなに長い話を聞かされたというの?
私は思わず漏れそうになるため息を飲み込むと、どうにかこうにか口角を上げることに成功したわ。頬が引きつっているのはご愛嬌よね。
「そう、では相談というのを聞かせていただけるかしら?」
一人の令嬢がコホンと一つ咳払いをすると、二人は佇まいを直した。陽も落ちかけになると、カフェテリアの人も殆どいない。静かなカフェテリアに響かない様に、ひっそりと声を出した。
「そろそろ芸術祭の準備期間に入りますでしょ?」
「ええ、そうね」
芸術祭。アカデミーの数少ないお祭りの一つだ。国内外の画家や芸人、料理人を集めて芸術を嗜む特別な祭り。その日はアカデミーに在籍している人のみならず、国中の貴族が集まる。芸術を嗜む愛好家にとっても、社交を目的とする家族にとっても特別な祭りだ。王宮で開催される舞踏会と並ぶ程の一大行事と言っても過言ではない。
準備などとは言うけれど、貴族の令息令嬢がすることなどたかがしれている。招待状の手配や公演の内容を決める程度のことだ。けれど、一つだけ大掛かりな準備が必要になるものがある。私はそれを思い出して、思わず眉を顰めた。
「アレクセイ王太子殿下とクリストファー様を、今年の演劇の主役に据えたいの。力を貸して頂けないかしら?」
二人の令嬢は、勢い良く立ち上がるとテーブルに手を付いた。大きな音が響いて、視線を一心に浴びた。少なくなったとは言え、まだ人は残っているのだ。しかし、彼女達は気にもせず、ずいっと私に顔を寄せた。四つの瞳が私を捉える。鬼気迫る表情に私は慄いた。もしも、背もたれのある椅子に座っていなかったら、後ずさっていたことでしょうね。
「り、理由を聞いても良いかしら?」
私は逸らしそうになる視線をどうにか固定し、どうにか返事を絞り出した。すると、彼女達は大きく頷き、椅子に戻った。ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、彼女達は話し出す。
「ええ、アンジェリカ様は有志による演劇の起源をご存知かしら?」
「いいえ。毎年、アカデミーの生徒が演劇を披露することが慣例になっている。ということくらいね」
「あまり有名ではありませんから、仕方ありませんわ。起源は二十年程前に遡りますの。現在の国王陛下がこちらのアカデミーに通われていた頃の話になりますわね。陛下は当時の芸術祭を見て、『芸術を鑑賞するだけではなく、何か私達でもできないものか』と考えたそうですわ」
「成る程。それが、有志による演劇の起源。というわけね。それと殿下とクリストファー様が演劇に出演して欲しい理由と、どう関係するのかしら?」
「初めての試みですから、陛下の立案とは言え反対の声も大きかったとか。そこで陛下の周りに有志として集まったのが、ウィザー公爵と夫人、そしてエリザベス王妃陛下だったそうです。国王陛下自ら主演をはり、王妃様がヒロインを務めたと。ウィザー公爵は恋敵の役を熱演されたそうですわ」
「つまり、それに擬えて殿下には主演をはって欲しいということかしら?」
「その通りですわ。二十年前のように殿下には主演を、そしてクリストファー様も出演して欲しいのです」
二人は何度も頭を縦に振った。先程の寝顔を思い出しながら悶えるだらしのない顔とはうって変わって、真剣そのものだ。
「そういうことなら、殿下にお願いしたら良いのではなくて? 殿下だって悪魔ではないのだから、話くらいなら聞いていただけるでしょう?」
「アンジェリカ様の仰る通り、お願いに伺えばよろしいのですが……」
「ですか? なにかしら?」
何か問題でもあるのかしら?
二人の令嬢は苦しそうに唇を噛み締めている。何が彼女達の障害になっているのかと、私は小首を傾げた。
「私達……殿下とクリストファー様を前にして言葉を紡げる自信が無いのです!」
「……は?」
思わず、素っ頓狂な声を上げてしまったわ。幸い彼女達は気にした様子はない。私は取り繕う様に、コホンと咳払いをした。
「どういう意味かしら?」
「クリストファー様もさることながら、殿下も凛々しく美しいお顔立ち。あの様な二人を前にして言葉を紡ぐことなどできましょうか。私達は遠くから見ているのが精一杯ですわ」
その結果があの覗き見だというのだから笑止千万だわ。けれど、彼女達は至って真面目。一人は苦しそうに胸を抑え、眉を寄せる。もう一人は両手を胸の前で組んで遠くを見ていた。これは、私が想像していたよりも重症ね。
「つまり、相談というのは……」
「はい。お二人を説得するのを手伝って頂けないかしら?」
「何故、私なの? 他にも居たでしょう?」
「いいえ、殿下はあの通りクリストファー様以外に親しくされている方はおりません。それにクリストファー様も皆にお優しいですし、色々な噂はありますけど、特別親しい方はお見掛けしませんわ」
「確かに、そうかもしれないわね」
婚約者探しの為にアカデミーに入ったという噂の割に、殿下もクリストファーも真剣には相手を探してはいないようだったわ。殿下は既に意中の相手がいたというのだから理解できるけど、クリストファーは皆に優しいだけで、誰にも靡いている様子はない。どこぞの戯曲にでも出て来そうな甘い言葉を連ねる割に、その声に甘さが含まれている雰囲気は無かった。秘めた恋をしているのか、まだ恋愛に興味はないのか。どちらかよね。
「けれど、以前クリストファー様はアンジェリカ様を『友人』だと仰っていたとお聞きしましたの。私達がお願いするよりも、ご友人として話していただけた方が、殿下もクリストファー様も話を聞いていただけるのではないかと」
「友人、ね……」
クリストファー本人が周りに私のことを「友人」と言っているのだとしたら、悪い気はしない。思わず緩みかけた頬に力を込める。
「アンジェリカ様、どうしても貴女の力が必要なの。お二人の説得にお付き合い頂けないかしら?」
「そうね、アカデミーの歴史にも関わることですし、一肌脱ぎましょうか」
「まあ! ありがとうございます。良かったわ。私達では絶対断られてしまいますもの」
「ええ、私達では無理ですわ」
「そうかしら?」
殿下は確かに取っ付きにくい雰囲気はあるけれど、両親の前例を持ち出せば頷いてくれる可能性も大いにあると思う。なんなら、王妃様に話を通せば嫌々でも頷く筈だ。
「そうに決まっておりますわ。私達が突然、クリストファー様にヒロイン役をお願いしても絶対に引き受けては下さいませんもの」
彼女達は、嬉しそうに笑った。満面の笑みとは反対に、私の口がだらし無く開いたのは言うまでもない。
いつもお読みいただきありがとうございます。
昨日までバタバタしていましたが、ようやっと書く時間が確保できるようになりました!
明日も更新予定です。
お楽しみいただければと思います。
よろしくお願いします。