閑話8.シシリーのよくある日常
前回あれだけ「ロザリア視点に戻ります!」とか豪語したのですが、キリが良いタイミングに閑話を挟みたくなる病気にかかりました。
ごめんなさい……!
シシリー視点でほのぼのしていって下さい。
吹く風は強く冬を押し流し、最近では陽も長くなって参りました。私、シシリーは大きなシーツを干しながら、強い日差しに目を細めます。
最近のお仕事は、本邸と別邸での割合が半分くらいでございましょうか。ロザリア様が本邸で旦那様の手伝いをするようになってからというもの、日に日に本邸にいる時間が増えております。
ロザリア様の元気な姿を見る機会が増え、本邸も賑やかになりました。六年間、ウィザー家に立ち込めていた暗雲が晴れていく様でございますね。
さて、そろそろロザリア様に休憩を促す時間です。ロザリア様もクリストファー様も、真面目でいらっしゃるから根を詰めてしまうのです。そういう時は、私が止めに入らなくてはなりません。
シーツを干し終えた私は汗を拭うと、調理場で休憩用のセットを受け取りました。最近では日課のようになっておりますから、皆様先に用意しておいてくれます。
ティーセットと美味しそうなチーズケーキを手にしていると、頰が緩みます。しかし、執務室の扉を叩きましたが、中からお返事がございません。
「ロザリア様、失礼致します」
入札の許可は頂いておりませんが、ゆっくりと扉を開きました。
「ロザ、リア様……?」
部屋をぐるりと見回しましたが、どちらにもいらっしゃらないようです。あり得ないと思いながらも、テーブルや椅子の下まで覗いてしまいました。
「困ったわ」
このままでは紅茶が冷めてしまいます。私はティーセットをテーブルに置くと、長いスカートを翻し、執務室を後に致しました。
ロザリア様はクリストファー様と違って、余り本邸を歩き回る様な方では無いのですが、どこを探しても見当たりません。休憩でもしているのかと思い、サロンも見てみましたが、サロンにもいらっしゃいませんでした。
奥様は本日お出かけになられておりますから、奥様の所でもございません。
廊下で悩んでいると、正面からセバスチャン様が歩いていらっしゃいました。
「セバスチャン様、ロザリア様をお見かけしませんでしたか?」
「ロザリア様ですか? いいえ、見かけていませんね。執務室にはいらっしゃらないのですか?」
「はい。休憩にと、紅茶をお待ちしたのですがいらっしゃらなくて……」
「ふむ……でしたら、別邸にお戻りかもしれませんね」
「ありがとうございます。少し別邸の方を見て参ります」
セバスチャン様への挨拶もそこそこに、私は二階の廊下を走りたい気持ちを抑えて、歩き出しました。
庭園を抜けた先にある別邸までの道のりが、いつもより少し遠く感じます。今日のように日差しが強い中、ロザリア様が一人でお歩きになったのならば、体調を崩されるかもしれません。
どこかで倒れていなければ良いのですが。
午前中、机に齧り付く勢いのロザリア様の、「私のことは放っておいてくれて大丈夫よ。必要な時に呼びに行くわ」という言葉にあっさり了承すべきではありませんでした。
庭園の花が甘い香りで誘ってきますが、今はその香りに誘われるわけにはいきません。花を揺らし、別邸へ向かいます。しかし、ロザリア様は別邸のどこにもいらっしゃいませんでした。
「マリアンヌ様。ロザリア様をご存知ありませんか?」
「ミャー」
猫に聞いたところで答えはわからないのですが、思わず日向ぼっこをしている白猫のマリアンヌ様に声をかけてしまいました。
眠るのを邪魔されて怒っているようです。けれど、今はロザリア様を探すのに必死ですから、彼女の怒りも気になりません。
「ごめんなさい。お昼寝の邪魔をしてしまったかしら」
極力優しく、頭から背中にかけて撫でてあげれば、鼻を鳴らしてすぐに丸くなってくれました。「放っておいて」と言わんばかりに、目を瞑られてしまいます。
「さて、ロザリア様はどこに行ってしまわれたのでしょうか」
別邸は小さいので、すぐに一部屋一部屋確認することができました。しかし、ロザリア様はそのどちらにもいらっしゃらなかったのです。
別邸から本邸に戻る間、可能な限り庭園も見てまわりましたが、やはりどこにもいらっしゃいません。一度、本邸の執務室に戻ってみましたが、冷めた紅茶と乾いたケーキが迎えてくれたのみでございました。
困った、困った。と、屋敷をうろうろしていると、洗濯物を抱えた侍女仲間に声をかけられました。
「どうしたの? シシリー」
「それが、ロザリア様が見つからなくって」
「執務室じゃないの? いつもあそこにいらっしゃるでしょ?」
「ええ、いつもならね。今はいらっしゃらないのよ。どちらに行かれたのかしら? もしどこかで倒れていたらと思うと……」
倒れているロザリア様が脳裏を過ぎり、私はふるりと震えました。
「シシリー、倒れていたら誰かが見つけているわ。きっと、余り人の入らない所にいるのよ。例えば……書庫とか?」
「そういえば、書庫は見ていなかったわ。ありがとう、行ってみる」
「走ると怒られるわよ!」
いつもは走ることがない廊下ですが、今はそれどころではないと、駆け出してしまいました。後ろから注意はされましたが、それよりもロザリア様を優先させてしまいます。
日の当たらない地下はまだひんやりしていて、肌寒さすら感じてしまいます。こんな所にロザリア様が長くこもっていたら風邪を引いてしまいますね。
書庫の重厚感ある扉を引くと、ギィと気味の悪い音が致します。昔、ここに用事を言いつけられる度に怖くて震えていると、ロザリア様とクリストファー様が一緒について来てくれたのを思い出しました。二人の笑顔を思い出すと、自然と頰が緩まります。
人一人分だけ開けた隙間を通ると、別世界が広がります。壁一面、天井まで伸びる本棚。ギュウギュウに詰まった色とりどりの本。背の高さも違えば厚さも違う本達が、ある法則によって並べられているのです。
書庫は、半地下になっており、上部からほんの少し日が差し込む場所がございます。小さな窓から差し込む光の先には、ちょうど、本を読むために設けられた机が設置されており、ロザリア様はそちらにいらっしゃいました。
私の入室にも気付かずに、本を真剣に見つめておいでです。手元のランプと、差し込む日の光に照らされて、飴色の髪の毛がキラキラと優しく輝いていて、どこぞの名画のようです。
本を一枚捲る度に優しく揺れる飴色の前髪に誘われて、私はその様子をしばらくの間、見つめるだけでございました。長い睫毛が影を落とす瑠璃色の瞳は真剣そのもの。ほんの少しその瞳に、無防備さと男らしさを感じて、私の胸が小さく跳ねました。
考え込むと、人差し指を唇に添える癖は、昔から変わりません。今も人差し指の第二関節を唇に押し当て、何やら難しい顔をしております。
いけませんね。職務放棄をするところでございました。
「ロザリア様」
突然大きな声を出したら驚かれると思いまして、小さな声で呼びかけましたが、ロザリア様の肩は跳ねてしまいました。けれど、何事もなかったように、ゆっくりと私の方に顔を向けてくれます。
「シシリー?」
ロザリア様は「なぜ?」とでも言いたげに、小首を傾げ何度か長い睫毛を瞬かせました。
「こんな所にずっといらっしゃると、風邪を引かれますよ」
「ごめんなさい。調べ物をしていたら、ついつい」
ロザリア様は一際可愛らしく笑い、胸の前で両手を合わせ肩を竦めました。
「もし、お読みしたい物があるのでしたら運びますから、執務室に戻りましょう。暖かい紅茶をお入れします」
「ありがとう、シシリー。この本だけ、持っていこうと思うわ」
厚い本を一冊手に取ると、ロザリア様は椅子から立ち上がりました。私が本を受け取ろうとすると、小さく首を振り断られてしまいます。
「一冊くらい自分で持てるわ」
優しい笑顔を見せたロザリア様は、両腕で本を包み込んでしまいました。わざわざ強引に奪う訳にもいかず、私は頷くのみでございます。
書庫の重い扉を押そうと、手をかけるとロザリア様は私の顔を覗き込みました。
「そういえば、シシリー。もう書庫は怖くないの?」
意地悪そうな顔で笑うものですから、私は思わず目を細めてしまいました。
「……何年前の話をしているんですか?」
「あら、私はシシリーが『お化けが出る』って青ざめていた姿を、昨日のことのように覚えているわ」
クリストファー様とロザリア様とは生まれた頃から一緒なだけあって、互いに恥ずかしい思い出が沢山あります。書庫の話はその一つです。
「クリストファー様が『お化けがいるなら会ってみたいから三人で行こう』と仰ってくれたから、私は無事にお使いを済ませられました。あの時のクリストファー様には頭が上がりませんね」
『お化け居なかったね』と残念がるロザリア様に微笑みながら『そうだね』と同意するクリストファー様の姿に、拍子抜けしたものです。
「今は一人でも来れるようになったのね」
「ロザリア様を探すのに必死になっていて、恐怖も忘れておりました」
苦笑すると、ロザリア様は眉尻を下げて困ったように笑いました。
「勝手に抜け出して、ごめんなさいね」
「いいえ、次からは一番先にここに来るように致しますね」
拳を握って頷けば、ロザリア様の眉も元に戻りました。私はホッと胸を撫で下ろします。
「さあ、休憩しましょう」
「今日はシシリーも付き合ってくれる?」
「仕事中ですので……」
「あら? お兄様とはいつもお茶会をしていたじゃない。不公平だわ」
「あれは別邸でこっそりやってましたからね?」
「だったら、執務室でこっそり休憩しましょう? 私はシシリーと一緒に休憩したいの。楽しいお話、聞かせて?」
有無を言わさないその笑みは、ロザリア様のものとは言い難く、思わず周りに誰もいないかどうか確認してしまう程でした。
さて、長い休憩時間が始まりそうです。
「どんなお話がお聞きしたいのですか?」
「そうね、まずは……アカデミーの様子から、かしらね」
楽しそうな笑い声が地下に響いたのは、言うまでもありません。
いつもありがとうございます。
レビューやブックマーク、評価などありがとうございます!
少しでも楽しんでいっていただけたら幸せです。
乾いたケーキと冷めた紅茶は、スタッフが責任を持って食べましたのでご安心下さい。
次回からは間違いなく、ロザリア視点に戻ります。