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70.月夜の幻想

おまたせしました!

引き続きアレクセイ視点です。

「……ロザリー?」


 俺の声は風に乗って向こう側に届いたようだ。見慣れた飴色の髪はゆらゆらと揺れる。瑠璃色の瞳は大きく開かれた。彼女(・・)はまた兄の服を着て俺に会いに来たのだろうか。俺はそんな馬鹿な夢を見ているのかもしれない。


 次、風が吹いたらこの幻想は吹かれて消えてしまうかもしれない。


 無情にも二人を別つ風は、前髪を(さら)い、視界を妨げた。マントを(ひるがえ)す程の風に、俺の見た幻は消えてしまっただろう。しかし、彼女(・・)は風に吹かれて消えたりはしなかった。代わりに、ほんの少し口角を上げただけだ。


「私が……ロザリーに見えますか?」


 聞き覚えのある声だ。それは、毎日の様に隣で聞いている大嫌いな親友の声だった。俺は、ロザリーとクリスを見間違えたのだ。六年前のあの日の様に。己の浅はかさに眉の間に皺が寄るのがわかる。


「悪い。忘れてくれ」


 動揺を悟られまいと、満ちた月に視線を戻した。まさか「ロザリーの幻想だと思った」などと言えるわけがない。男の格好をしたクリスに「ロザリーに見えた」というのもおかしな話だ。


 クリスが数歩側に寄って来たのが、視界の端で見て取れた。だが、すぐ近くまではやってこない。気を使われた距離だ。その距離に少しだけ安堵した。彼は俺と同じ様に月を見上げている。


 ほんの少しの間、静寂が訪れた。何度目かの風が頬を撫でたが、あまり気にはならなかった。


「母の前で言っていたことは、本当か?」

「えっ?」


 たまたま吹いた風の音が邪魔をして、俺の声はかき消されてしまったようだ。「分からない」とでも言いたげな視線が絡んだ。もう一度同じことを聞くことの気恥ずかしさを隠すように、眉間に皺を刻んだ。すると、クリスは可愛げもなく肩を竦めるのだ。


「すみません、風の妖精に邪魔をされてしまったようです」


 時々こいつは少女じみた表現をする。ロザリーの隣に毎日立ち、ロザリーの影響を沢山受けているのだと言われているみたいで、面白くない気分になるのだ。


「……母の前で言っていたことは、本当なのか?」

「王妃陛下?」


 風の妖精とやらに邪魔されないように、大きな声を出せば、次は少し考え込むように首を捻る。だが、すぐに思い出したようで、パッと笑顔を咲かせた。


「ああ、アレクのことをロザリーに全部話しているという話ですか? それなら――」

「違う。そっちじゃない。お前、わざと言っているだろう?」


 クリスはわざとらしく、話をはぐらかす。こういう所が昔から嫌いなんだ。いつも俺の邪魔をする。俺は大きなため息を漏らした。クリスは困った様に眉尻を下げる。


「そんなつもりはありませんでした。それで、何が本当なのか知りたいのですか?」

「ロザリーが……どう思っているか、という話だ」

「どう……」


 母とクリスの会話が過る。あの時こいつは、躊躇(ためら)いがちではあったが、しっかりと言ってくれたのだ。


『妹は、殿下のことを愛しています』


 クリスなら俺の邪魔をして、「好きではない」と言ってもおかしくないと思った。だから俺は、クリスを疑ったことを謝らなくてはならない。


「勿論、……本当です」


 クリスは、目をそらしながら呟いた。カッと頬に熱が集まる。冬の残滓(ざんし)よ、まだ残っているのなら、この頬の熱を今すぐにでも消し去ってくれ。だが、どんなに風が吹こうとも、頬の熱は高くなるばかりだ。暗闇が少しでもこの熱を隠してくれていることを願うしかない。


「そうか」


 どうにか返事はできた。俺から聞いておいて、照れているなどとクリスに言えるわけがない。幸いクリスは俺の熱に気づいていないようだった。ホッと胸をなで下ろす。


「クリス、お前は変わったな」


 いつも俺の邪魔をするクリストファーが俺は嫌いだった。こいつに隙を見せれば、ロザリーを一生俺の目の見えない場所に隠してしまいそうで、俺はいつも不安だったのだ。手紙を渡してくれているのも、今日味方をしてくれたのも全てクリストファーだと言うのに、俺は少しばかり勘違いをしていた様だ。


 もう、クリストファー・ウィザーは敵ではない。


「そう、でしょうか?」

「ああ、あの場で味方をしてくれるとは思わなかった」


 首を傾げるクリスに、俺は鼻で笑ってしまう。もしかして、自覚がなかったのだろうか。昔はあんなにあからさまな態度で俺からロザリーを引き離そうとしていたというのに。


「事実を話しただけですから」

「お前はあくまでロザリーの味方、と言いたいわけか」


 困ったように、けれど上品に笑うクリスは、ロザリーが好きだと言っていた恋愛小説に出てくる王子様の様だった。


「クリス、ロザリーに謝らせて欲しい」

「何をですか?」

「期限のことだ」

「ああ、あれですか。それでしたら伝えておきます。安心してください」

「直接言いたい」


 風の妖精が邪魔をする。ロザリーにそっくりの飴色の髪の毛が(なび)いた。右手で髪の毛を抑える姿がロザリーと重なって胸が少しだけ跳ねてしまう。どうやら、俺の頭は少しおかしくなってしまったようだ。


「手紙ならいつでも渡してあげますから」


 クリスは素っ気なく言うと、俺に背を向けてしまった。どこか切り捨てられたような物言いだ。


 前言撤回だ。クリストファー・ウィザーはまだ味方とは言い切れない。


「アレク、行きますよ。そろそろ姿を見せないと捜索隊が出るかもしれません」


 少しだけ首を捻って見せたクリスの横顔からでは、気持ちまでは見て取れない。しかし、ロザリーの話を早く終わらせたいのは伝わってくる。こういう時に重ねて話しても意味がないことはわかっていた。だから、俺は小さくため息をつくことでやり過ごすことにしたのだ。


「仕方ない。楽しくないダンスにでも興じるか」

「アレクはダンスどころか会話すら楽しくなさそうですけどね」

「そういうのはお前に任せる」

「私が代わりにやってもアレクの評価には一切繋がりませんよ」


 俺達は隣に並んで、他愛のない会話に興じた。王宮の庭園から、舞踏会の会場までの短い道のりで話せることなど大したことはない。舞踏会の入り口には、すぐに着いてしまった。


 扉をくぐれば、クリスは多くの令嬢から引っ張りだこだ。「女性からダンスに誘うなんて」と言っていた淑女ですら、誘ってくれと色目を使う。


 俺は離れた所でクリスの様子を静かに眺めていた。玉座の隣には俺の席も用意されてはいるが、戻れば母に何を言われるか分かったものではない。


「殿下、お隣よろしいですか?」


 安息の地を最初に踏んだのは、レジーナだ。綺麗な挨拶を見せる彼女は、アカデミーにいる様に友人は連れていない。


「ああ、構わない」

「殿下ともあろう方が、壁の染みだなんて」

「なんだ、気を使って声を掛けてきたのか?」

「そうですわね。『ロザリア様を待つ』と宣言したばかりの殿下にダンスを誘える勇気のある女は、わたくしくらいかと思いましたの。殿下、一曲お誘い下さいませんか?」


 レジーナに、手を差し出された。俺は渋々ではあったが、その手を取ることにしたのだ。一曲も踊らなければ、母やクリスに何か言われかねない。そんな仕方のない理由からだ。


 ゆったりとした曲が流れる。色とりどりの花が咲くダンスホールでは、ゆったりとした曲に合わせて踊り、会話を楽しんでいる者が多い。


「わたくし、殿下のことまだ諦めておりませんから」


 レジーナは俺を見上げた。上向きの長い睫毛から覗かせる瞳は、しっかりとした意志を持っている。


「レジーナ嬢……」

「それ以上は言わないで下さいませ。今振られても意味はないですもの。来シーズンの最初のダンスまではわたくしにだって戦う権利はあるでしょう?」


 真っ赤な唇が不敵に笑う。彼女は本気の様だ。どんなに「ロザリアを好きだから諦めてくれ」と言っても首を縦には振らないだろう。


「クリストファー様が本物だったのは誤算でしたけれど」


 レジーナは眉尻を下げて笑った。彼女の言葉に俺は眉を(ひそ)める。俺は彼女の言っている意味がわからなかったのだ。


「どういう意味だ?」

「そのままの意味ですわ。わたくし、クリストファー様は六年前のあの事故でお亡くなりになっていて、ロザリア様がクリストファー様の代わりをしていると思っておりましたの」

「それは面白い発想だな」

「ええ、本当に。クリストファー様の肩には傷がありましたし、お屋敷を訪ねてみたらクリストファー様に瓜二つのロザリア様がいらっしゃるのですもの。馬鹿なことを考えたと思っておりますわ」


 レジーナは自嘲気味に笑うと、俺の腕からするりと抜けた。


「でも、まだ負けではありませんから。屋敷に籠っているだけの子ではなくて、わたくしのことにも少しは目を向けてくださいませね」


 曲が終わる前に、レジーナはダンスホールに背を向けて歩いた。他の男の誘いを片手で制し、人ごみに消えていく。


「クリスの肩に、傷……?」


 俺の小さな疑問は呟きとなったが、軽やかな音楽と人の笑い声に溶けていった。
















いつもお読みいただきありがとうございます。



楽しんでいただけたら幸いです。

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