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69.アレクセイ・セノーディア6

 庭に咲くお気に入りの花のこと。


 王宮の庭園に咲くスノードロップが見たいと願っていること。


 好きな恋愛小説に出てくる王子様がクリストファーに似ていること。


 クリストファーが最近良く熱を出すこと。


 クリストファーが熱を出す度に涙が出そうになること。


 この日俺は、彼女の話にただ耳を傾けていた。ロザリーを独占して、彼女の話を聞けることがただただ嬉しかったのだ。ロザリーは色々な話をしてくれたが、特に兄、クリストファーのこととなると饒舌(じょうぜつ)になる。クリストファーの話を聞いている時ばかりは胸に色々な物が渦巻いていたけれど、俺はグッと堪えた。


「またね」


 ロザリーは、曇りなく笑った。今日は蜂蜜みたいに甘そうな、揺れる飴色の髪の毛を触ることはできなかった。けれど、彼女の笑顔一つで心は満たされていく。


 次がいつ来るのかはわからない。けれど、彼女は次の約束をしてくれた。ロザリーが『また』と言えば、それは絶対に来る気がして、期待と幸福で胸が一杯になった。


 冬から始まる社交のせいで、王宮は慌ただしさが増した。父と顔を合わせる機会が減り、母の開催するお茶会が減り、庭園に咲く花も枯れていく。その頃には、庭園の花を見るのが俺の日課となっていた。


 俺はロザリーに会えない期間、彼女が好きだと教えてくれた恋愛小説を読み漁った。甘い言葉の羅列に何度途中で本を閉じたことか。それでも数冊読み終えれば、彼女の言う「お兄様に似ている王子様」というものが何となくわかってきた。


 今まで読んできた少年が冒険する話には絶対に出てこない様な男達ばかりが出てくる世界。


 そのことを、家庭教師に話したことがある。彼はニコニコ笑って答えてくれた。


「女性はそう言う、優しい王子様に憧れますからね」

「じゃあロザリーも?」

「殿下の意中の方には会ったことはありませんが、恋愛小説が好きなのでしょう?」


 俺が大きく頷けば、人の良い顔をした家庭教師は、細い目をそれ以上に細めて笑った。


「でしたら、きっとその小説に出てくるような優しい王子様に憧れているのでしょうね」

「俺も、あんな風になったら、ロザリーと結婚できるか?」


 小説のような優しい王子様になれば、ロザリーの一番になれる。そんな確証が欲しかった。俺の真剣な眼差しに、諦めたのか家庭教師は参考書を閉じて、向かいの椅子に腰かけた。


「うーん、結婚できるかと聞かれると、私には断定できませんが、幸い殿下とロザリア様は身分の釣り合いも、年齢の釣り合いも取れておりますから。殿下が望めば、結婚は容易いかと」


 困った様に目尻が下がる。けれど、家庭教師の答えは、俺が望んでいたものからは程遠かった。


「違う。そういうことじゃない。そんなことしたら、また泣かせてしまう。ロザリーも俺と結婚したいって思わないと駄目なんだ」


 眉を寄せて抗議すれば、下がっていた目尻が更に下がる。困った様に頭をかいた彼は、少し悩んだ後に細い目を開いた。


「では、好きになって貰う努力をすることですね」

「好きになって貰う努力?」

「ええ、小説に出てくる王子様は、相手の女の子のことを考え、思い、大切にしている。その優しい努力が相手に届いているから、彼らは結ばれるのです」


 それは暗闇に一筋の光が射した様な気持ちだった。そして同時に反省もした。今まで俺は多くの人にどんな態度で接してきたかと言うことを。いつもつまらなさそうに、話も聞かず適当にあしらっていたじゃないか。


 ロザリーの憧れる優しい王子様には程遠い。


 俺の神妙な顔つきに、彼は失礼にも喉の奥で笑った。こっちは真剣に悩んでいるというのに、本当に失礼な奴だ。しっかり睨むと「すみません」と言いながら肩を揺らす。


 ひとしきり笑った後、彼はコホンッと小さな咳払いをすると、姿勢を正して俺に真っ直ぐ目を向けた。


「でも、勘違いをしてはいけませんよ、殿下。優しければ良いと言うものでもないのです」

「何故だ?」

「女性の心はパズルの様に複雑です。ピースを掛け違うと絵は完成しません」

「言っている意味がわからない」


 この男、頭は良いらしいが、時折よくわからないことを言う。俺が眉を寄せれば、彼は困った様に眉尻を下げた。


「そうですね、女性は『誰にでも優しい男』より、『自分にだけ優しい男』を求めるものなのです。ここを間違えないようにお気をつけ下さい」


 俺は、難しい顔で頷いた。もっと沢山聞きたいことがあると、頭を上げた時には既に遅く、家庭教師は口角を上げて参考書を開いていた。


「さあ、殿下。そろそろ再開しましょうか。ウィザー公爵家の双子はとっても優秀らしいですよ。優しくても馬鹿な男は嫌われますからね。まずは、勉強です」


 彼の言葉に反論の余地は無い。まだ聞きたいことは山程有ったが、俺は渋々参考書に視線を落とした。



 ◇◇◇◇



 ロザリーに会えないままスノードロップの花は落ちてしまった。痺れを切らした俺は、まだ忙しそうな母の元を訪れ、人生初めての駄々をこねたのだ。


「もう少し待ちなさいな」

「嫌だ……もう沢山待ちました」


 季節を一つ飛び越えた。これは、待ったと言えよう。母は柳眉を逆立て、俺を見下ろす。けれど、そんなことで引きさがれるわけがなかった。


「少しでも良いから」

「……わかったわ。今度、ウィザー公爵家でパーティがあるの。それに連れて行ってあげる」

「ロザリーの屋敷に?」

「ロザリアとクリストファーの屋敷よ。二人と遊べる様にお願いしてあげるわ」


 母は俺の頭をポンポンと優しく撫でると、目尻を下げて笑った。


 俺はとても、浮かれていたようだ。久しぶりにロザリアに会えること、初めて彼女の暮らす屋敷を見ることができることに。


 いつもなら面倒だと嫌がる衣装選びも楽しいと感じた。


 しかし、運命とは時に残酷なものだ。意気揚々と母に着いて行ったウィザー公爵家のパーティに、ロザリーは居なかった。


「クリストファーが急に熱を出してしまいましたの。今は別邸で休んでおります。息子と娘が今日のお相手をできず、申し訳ございません。アレクセイ王太子殿下。」


 ウィザー公爵夫人は、形の良い眉を下げて謝った。落胆する俺の代わりに応えたのは母だ。優しく頭を振っている。


「良いのよ。この子の我儘で来たのだから」


 俺は唇を噛み締めて俯いた。真剣に選んだ真新しい靴が、キラリと光るだけだった。


 大人ばかりのパーティは子供にはつまらないものだ。しかし、大人達は俺を子供ではなく、王太子殿下として接する。放っておいてくれれば良いものの、何度も何度も声を掛けられた。


 辟易していた頃、ウィザー公爵夫人の元に注目が集まった。俺は好機とばかりに会場を抜け出し、庭園に入って行ったのだ。


 別邸と言うくらいだから、この敷地の何処かにある筈だ。月明かりを頼りに、俺は奥へ奥へと走る。高い木が邪魔をして、先が見えない場所があった。


 きっと、あそこだ。


 俺は真っ直ぐに高い木々を目指して走った。強い風が吹き、蒸せるような菜の花の香りに襲われた頃、二階建ての小さな建物が俺を迎えてくれた。


 二階の窓からほんのりと灯りが漏れている。小さな可能性に賭けて、俺は足元の小さな小石を手にした。


 コツン、コツン。小石を二階の窓に投げつける。当たっては小さな音を立てた。気づいて欲しいと期待を胸に、俺は二階の窓を見上げる。


 何度目かの折に、窓が少しだけ開いたようだ。暗くてそれ以上は分からない。もしもロザリアだったら、と期待に胸が膨らんだ。しかし、窓を見上げていても、それ以上何も変化は無かった。


 ふわりと風が舞う。薔薇の香りが鼻をついた。近くに薔薇が咲いていたのかもしれない。花の香りに誘われて、左を向けばそこに立っていたのは、月明かりに照らされた、クリストファーだった。


 ロザリアと同じ飴色の前髪が風に揺れる。嫌いな男を前にしても、何故か嫌悪感はなかった。


「……クリストファー?」

「申し訳ありません、アレクセイ様。私はロザリアの方です」


 少年の格好をしたロザリーは、少し困惑した様に眉を下げる。あの時の衝撃は忘れられない。クリストファーそっくりの、ロザリーを。


 もしもロザリーが、女の子の格好で現れたとしても、俺はあの日の彼女を忘れることはできなかっただろう。あの日は一番幸せで、一番不幸な日だった。何よりも俺にとって、彼女と一緒に過ごした一番新しい記憶なのだから。


 今日の月は、欠けたところがない見事な月だ。あの日とは全く違う。


 あの日の様に風が吹いた。舞い上がる髪の毛を邪険に振り解くと、あの日と同じ様に、薔薇の香りが鼻についた。


 思わず過去を辿る様に左を向けば、月明かりに照らされ、キラキラと光る飴色の髪が目に入った。


「ロザリー……?」











いつもありがとうございます。



アレクセイ編終了です。アレクセイの過去にお付き合いいただいありがとうございます。

次回、名前を呼ばれたロザリアは……!



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