68.アレクセイ・セノーディア5
俺にとってお茶会とは、ロザリアに会える唯一の楽しみのことだった。母の悪魔の様な条件をのむまでは。
庭園には、国中の女性を集めたのではないかと思われるくらいに女性が集まり、年が近い子供を紹介された。しかし、こんなに人が集まっているというのに、ロザリアの姿は無かったのだ。
俺はただ適当に挨拶を返し、話しかけてくる奴ら全員を跳ね除けた。後からその事を咎められたのは言うまでもない。
「あんな姿見たら、ロザリアだって貴方のこと嫌いになるわよ」
この頃の母のとどめの一言は、いつだって「ロザリアに嫌われる」だった。しかし、当時の単純な俺には、それが一番効く薬であったことは言うまでもない。ロザリアに嫌われない為に勉強もした。人に会えと言われれば、挨拶くらいはしたものだ。
しかし、どんなに「嫌われる」と言われても、一度や二度会ったことがある程度の人間と、会話を楽しむことはできない。お茶会に参加する際は、自ら会話に入るわけでもなく、庭園でロザリアとの思い出に浸っていることが多かった。気がついた時には、「王太子は気難しい」という噂が広まっていた。
人が多いだけのお茶会を楽しいと思ったことはない。何より母だってつまらなさそうに笑うのだ。こんなお茶会やめればいいのに。と、何度思ったことか。勿論、その事を母にも言ったことがある。
「大人になると、楽しいことだけではなくなるのよ。大切なものを守るためなら、つまらないお茶会の一回や二回些細なこと」
不貞腐れた俺の鼻を人差し指でちょんっと触る母の表情は、物語に出てくる勇者の様だった。
「俺がお茶会に出るのも意味がある?」
「そうね、ロザリアを守ることにもなるかしらね」
「本当?」
「ええ。それに、貴方の行動に意味のないことなんてないわ」
「どうして?」
「それがわかったら、いい男になった証拠よ。早く良い男になりなさいな。お父様みたいにね」
最後に惚気を加える所が母らしい。俺は大きく頷いて、母を見上げた。
母に愛される父の様になりたい。ただその思いだけが俺の心を占めていた。
秋になると、庭園の花を愛でる為のお茶会が開催される。母は年がら年中愛でていると言うのに、この会の必要性は何年経ってもわからない。これは嫌いな方のお茶会だと踏んでいた俺は、朝から非常に憂鬱だった。仮病でも使って休みたい。しかし、一度それで痛い目を見ている俺としては、踏ん切りがつかなかった。渋々ながらもお茶会の参加を決意したのだ。
その判断は間違っていなかったと言えよう。新しい洋服を着せられて、嫌々出た庭園で待っていたのはロザリアだった。正しくは多くの貴族達が参加していたのだが、俺の目にはロザリアしか写っていなかったのだ。
「お久しぶりです、殿下」
可愛らしい挨拶に一度胸が締め付けられる。頬が緩みそうになるのを必死で押さえつけた。次にロザリアに会った時に用意していた言葉など、空の彼方に飛んでいってしまった。
「ずっと、会いたかった。ロザリア」
思わず口から出た言葉のせいで、頰に熱がたまる。甘ったるいお菓子の様な言葉がついて出るなんて、思ってもみなかったのだ。
始まって最初の内は、全員から挨拶を受ける。見知った顔も有れば、初めて見る顔もあった。しかし、既に俺の心は上の空。早くロザリアの手を取り、庭園を歩きたい。次はどんな花を見せようか。俺の頭はそればかりだ。
珍しいこともあるもので、俺の落ち着かない様子に見兼ねた母が、助け船を出した。
「ロザリアは久しぶりの庭園ね。アレクセイ、案内して差し上げたら?」
「はい、母上」
俺の声は弾んでいた筈だ。近くの席に座るロザリアの元まで行くと、手を差し出した。
「一緒に花を見に行こう」
ロザリアは少し頬を染めながら、俺を見た後、困った様に隣に座るウィザー公爵夫人を見上げている。夫人は、にっこり笑って彼女の背中を押してくれた。
「はい」
ロザリアは花の様に笑うと、俺の手を取ってくれた。頬が緩む。もう、抑えられない様だ。あまりにも格好悪くて、少し下を向いてしまった。
ロザリアは、すっかり『結婚』のことなど忘れているようだ。楽しげに俺と話をしてくれる。しかし、もう一度「結婚しよう」などと言う失態は犯さない。なぜなら、家庭教師に「こういうものには段階が必要なのです」と言われたからだ。
俺は勉強もそこそこに、『段階』とやらを強請った。家庭教師が教えてくれたことを反芻しながら、俺は今ロザリアとの楽しい時間を送ろうしている。
「今日はクリストファーはいないのか?」
「お兄様、お熱が出てしまったの」
「そう、か」
きっと、ここで喜んではいけない。いつもの邪魔が入らないことの喜びを決して顔に出してはいけない筈だ。ロザリアは、クリストファーが熱を出した事を悲しんでいるのか、瑠璃色の瞳を潤ませる。
「殿下、お兄様にこのお花、持って行って上げてもいいかしら?」
「勿論。元気になる様に、沢山摘んであげよう」
「ええ」
嬉しそうに、飴色の髪の毛が揺れる。何度も触れて見たかった柔らかそうな髪の毛。思わず伸ばしそうになる手を俺は必死に堪えた。あの日、家庭教師が言ったのだ。「婚約もしていないのに、こちらからベタベタ触る男は嫌われますよ」と。
宙に浮いた手を力強く握りしめると、ロザリアは訳も分からずに首を捻った。
「いや、何でもない。それよりも、ロザリーって呼んでも良い?」
突然の申し出に、ロザリアは目を何度も瞬かせた。その度に長い睫毛が上下に揺れる。
「どうして?」
「クリストファーも呼んでるんだろ?」
「ええ……」
ロザリアの瞳は、困惑したように左右に揺れる。
「駄目、か?」
不安が優った。断られたくない一心で、俺はロザリアの顔を覗き込んだのだ。
「駄目じゃ、ないです。……とっても嬉しいわ」
ロザリアの、いや、ロザリーの屈託の無い笑顔に胸が締め付けられそうになった。庭園の花が祝福してくれている様に満開だ。
「私のことはアレクって呼んで」
「それはさすがに難しいわ」
「何故?」
「だって、王太子殿下だもの。怒られちゃうわ」
こんな時にまで、身分が邪魔をするとは思ってもみなかった。
「じゃあ、アレクセイは?」
「それも、駄目だと思うわ」
ロザリーは何度も首を横に振った。
「そうか……」
そこまで拒否をされると、頷くしかない。俺は芝に視線を落としながら、了承した。
「ロザリーには、名前で呼んで欲しかった」
思わず心の呟きが漏れてしまった。慌てて訂正しようと顔を上げると、頬を真っ赤に染めたロザリーの顔があった。
「あの……アレクセイ、様……」
真っ赤な頬を更に赤くして、ロザリーは俺の名前を呼んだ。俺の頬も、彼女の熱が移ったみたいに熱くなる。思わず顔をそらしてしまったのは失敗だった。ロザリーの顔がまともに見れないのだ。
「ロザリー、もう一回」
意を決して、ロザリーに視線を戻すと、彼女は真っ赤な顔を両手で覆って、しゃがみ込んでしまったのだ。顔を隠したまま、何度も頭を振っている。
「駄目か?」
もう一度、名前を呼んで欲しかった。けれど、ロザリーの柔らかそうな髪の毛が左右に揺れるばかりで、一向に名前を呼ばれる気配はない。
そんな時、家庭教師の「好きな女の子に無理強いは絶対に駄目ですよ」という有難い教訓を思い出した。
「ごめん、慣れたらで良いから。また呼んで」
頭を撫でようとする手を抑えて、俺はギュッと唇を噛みしてた。少し離れた所でロザリーを待とうと、彼女に背を向ける。優しい風が頬を撫でた。背中から俺を追う風は、花の香りと共に大好きな女の子の声も一緒に運んでくれた。
「……アレクセイ様」
空耳を疑うよりも先に、振り返ると、はにかんだような笑顔が待っていた。
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アレクセイ編は次で終わりの予定です。
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