表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
74/150

67.アレクセイ・セノーディア4

お待たせしました!

 アイリスの花が咲いた頃、家庭教師の目を欺き、母のお茶会を覗いたことがある。しかし、そこに会いたかった少女の顔は無かった。母とウィザー公爵夫人が楽し気に笑っているだけだ。


 もしかしたら、庭園の花を見ているのかもしれないと、淡い期待を胸にそのまま庭園に足を運んだけれど、紫色の見事なアイリスの花が上品に笑っているだけだった。


 それ程までに俺との結婚が嫌だったのかと、思い悩むこと数日。俺は珍しく熱を出した。高熱に苦しむ中様子を見に来た母は、「知恵熱ね」と笑った。熱にうなされる中、心配すらされないことに、憤りを感じたのは言うまでもない。


 ベッドに噛り付くこと七日。当に熱は下がっていた。それでも何となくベッドから起き上がる気分ではなく、俺は人生で初めての仮病を使ったのだ。こんなにも胸を痛めているのだから、これしきのことで咎める者も、罰するものもいないだろうと自分自身の傷を舐める。しかし、思った以上に仮病には重い罰が下った。


 夕暮れ時。目深に被った布団の隙間から、俺は赤に染まる夕日を眺めていた。そろそろ横になり過ぎて首回りや肩が痛い。布団の中でうじうじしているのも今日が限界だと感じていた。


 誰に言うわけでもない言い訳を考えていると、ぎしりと、小さな音が鳴った。侍女の誰かが俺を起こさない様に入室したのだろうか。小さな足音はベッドへと近づいてくる。あまりの不気味さに身を強張らせた程だ。


 しかし、足音はいとも簡単にベッドを過ぎ去っていった。安堵のため息を喉元で留め、布団の隙間から見えないものかと凝視すると、出窓に花瓶を置く侍女の姿を見つけた。


 しかも、今俺を苦しめているアイリスの花。


「なんで……」


 久しぶりに出した声は思った以上に掠れていた。俺以上に驚いたのは、突然声を掛けられた侍女だったのだろう。肩を震わし、振り返って見せた顔は戦々恐々としていた。


「起こしてしまい申し訳ございません、王太子殿下。早く飾った方が良いかと思いまして」

「それは、母上からか?」


 心痛の息子を(あざけ)る為のものだろう。母はそういう笑い飛ばせない冗談のようなことをすることがある。七日も布団の中で何もできないでいる息子を揶揄(やゆ)しているのかもしれない。勝手に屈辱を感じ、非難するように侍女を見ると、彼女は大いに目を丸くし、大げさまでに首を振った。


「いいえ、ウィザー公爵令嬢ロザリア様からとお聞きしております」

「ロザ……リア……?」


 全ての音が霧散した。色々と聞きたいことは沢山ある筈なのに、俺は好きな女の子の名前を頭の中で反芻することしかできない。しかし、戸惑う侍女の一言で、現実に引き戻された。


「え、ええ、王太子殿下の体調を心配されていたみたいです」

「今日、来ているのか?」

「はい。先程帰られ――」


 侍女の言葉を最後まで聞かず、俺は部屋を飛び出していた。もしかしたら、まだ会えるかもしれない。ほんの少しでも可能性があるのならば、それに賭けたかった。


 王宮内を走るのはいつ振りだろうか、「王太子として」は褒められたものではない。しかし、沈む夕日が「急げ」と言っている。


 王族の居住空間から、王宮の馬車寄せは遠い。息を切らして走り切った頃には、真っ赤な夕日は既に隠れ、(あざけ)るようにやせ細った月が輝いていた。


「あらあら、そんな格好で、困った子ね。アレクセイ」


 落胆した背中に浴びたのは、聞き慣れた声だった。振り返れば、母が楽しそうに笑っている。


「母上、何故このような所に」

「そっくりそのまま返すわ、アレクセイ。それに、そのような格好でどうしたの? 夢でも見ていたのかしらね?」


 王妃と王太子。馬車寄せには到底似合わない。しかも、俺は着替えてすらいなかった。


「母上、ロザリアが来ていたと聞いて」

「ええ、アイリスの花を見に来たのよ。そういえば、『アイリスを数本頂けませんか』ってお願いされたのよ。()せっている貴方にも見て欲しいと言っていたのよ。優しい子ね」


 母は優しく俺の頭を撫でた。けれど、それが優しさからではないことくらい、俺にでもわかっている。


「何故、呼んでくれなかったのですかっ!」

「あら、貴方は体調を崩していたのでしょう? 無理はいけないわ」

「でも、ロザリアが来るなら――」


 無理してでも会いに行った。そう言いたかった。ただの仮病だったわけだから、無理でも何でもない。しかし、言い終える前に、母の両手に俺の頰が強く挟まれてしまった。思うように言葉が出てこない。


「貴方はまだ子供ね。早く良い男におなりなさい。振られたくらいで引き籠っている男は良い男とは言えないわ」


 母には全てお見通しなのだろうか。仮病を言い当てられた俺は、恥ずかしさにもう一度布団の中に潜り込みたい衝動に駆られた。けれど、ここは馬車寄せだ。しかも、冷静に考えて今の格好はいただけない。夜着の上に裸足であった。


 冷静になればなるほど恥ずかいことこの上ない。


「母上」

「何かしら? 謝罪ならいらないわよ。貴方には充分な罰だったでしょう?」


 母は目元と口元に薄い微笑みを浮かべた。俺は頷くことしかできない。もう、仮病など出来ない程に、大きな罰だったのだから。


「ロザリアにアイリスのお礼を言いたいのです」

「あら、そうね。贈り物にはお礼が必要だもの。手紙と贈り物を送って差し上げたら?」

「いいえ、直接渡したいのです」


 母が満ちた月のように、目を丸くさせる。俺はそのアイリスの花みたいな目を真剣に見つめた。


「男の顔もできるのね。いいわ、アレクセイ。でも、条件があるわ。何でもできる?」

「できます」


 ロザリアの為なら、何だってできる気がした。勉強もマナーも、剣術や馬術だってなんだって。


「そろそろ……とは思っていたのよ。貴方には、次のお茶会に参加して貰います」


 母が見せた笑みは、背筋が凍る様な笑みだった。しかし、俺には選択肢は無い。ここで頷かなければ、当分ロザリアには合わせて貰えないだろう。俺は、唇をギュッと噛み締めながら、神妙に頷いた。














いつもお読みいただきありがとうございます。



少しずつですが1話から修正しております。

誤字とか表現とかは直しておりますが、話の大筋は変わっておりません。


明日も更新する予定です!

よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ