61.春の嵐1
大変お待たせしました!
顔を隠さない月が、満面の笑みで主張しているような夜だった。王宮からは軽やかな音楽が鳴り響き、楽しそうな笑い声で満ちていた。仕事の話をする紳士、噂話を楽しむ淑女、新しい恋を探す令息令嬢達。皆がその役割を全うし、この華やかな舞踏会を彩っている。
見渡せば、春を思わせる優しい色のドレスが多い。結い上げた髪の毛には、春らしい花が飾られている。この日ばかりは、王宮に少し早い春が訪れたようだった。
目に映る年頃の令嬢達は、流行りのシフォンをふんだんに使ったドレスを身に纏う。それは、物語に出てくる妖精の様で、その可愛らしさに私は顔を綻ばせた。けれど、『クリストファー』としては、あまり緩い顔を晒すわけにもいかず、誤魔化すように微笑めば、近くにいた令嬢の何人かは、扇子で顔を隠してしまった。
頬が緩んでいたのが、彼女達にバレてしまったのかもしれない。恥ずかしい。
私は、久しぶりの大きな舞踏会に今一度、身を引き締めた。冬の間、私は多くの夜会に参加しては社交に勤しんできたし、王宮には毎日の様に通っていた。私にとって王宮は、行き慣れた場所だというのに、舞踏会となると話は別だ。やはり、少し緊張しているようだった。
王宮の舞踏会とあって、今日はお父様もお母様も一緒だ。いつも忙しく、社交の場に余り出ないお父様の周りには人だかりができる。お母様の肩を抱くお父様の優しい笑顔は、どこかお兄様に似ていた。
お父様とお母様の後について歩けば、同じように多くの人に囲まれて、挨拶を受ける。私は、その一人一人の顔と名前を頭に叩きこみながら『クリストファー』の仮面を貼り付けた。
挨拶にさりげなく見合いの話を混ぜてくるのは、良くある社交辞令の一つなのか。多くの人に『私の娘』の話と共に、お茶会のお誘いまでいただいた。
「先日クリストファー様も、お茶会を開かれたとお聞きしましたわ」
噂話の大好きなご婦人が、パタパタと扇子で扇ぎながら身を乗り出した。皆、興味があるのだろうか。婦人に乗じて代わる代わると口を開く。
「ロザリア様もいらっしゃったとか」
「ロザリア様のお加減はいかがですの?」
「うちの娘も青薔薇のお茶会に参加したいと言っておりましたのよ。次は是非――」
この状況から、噂は上手く回っているは良くわかった。婦人方に笑顔で返事を誤魔化していると、視界の端に得意げな顔をしたアンジェリカを見つけた。
「少し、失礼します」
婦人方に惜しまれつつも、中座して私はさり気無くアンジェリカの横に立った。アンジェリカは澄ました顔で、遠くを見ている。誰かを探しているようにも見えるし、ただ眺めているだけのようにも見える。だから、私も倣うように辺りを見渡した。
他から見た私達は、きっと壁際で仲良く横に並んでいるだけなのだろう。興味深そうに、私達を見ている人もいれば、会話に勤しんでいる人もいる。
軽やかな音楽と、雑音に包まれながら、どこにも属さない私達は、別の世界に残されたみたいだった。
「人気者は大変ね」
こちらも見ずに、アンジェリカは笑う。クスクスという笑い声が隣から聞こえて来た。
「誰かさんが上手に噂話を流したからじゃないかな?」
「あら、誰かしら。でもそうね……女はいつだって刺激を求めているものよ。だから、女の口に戸は立てられないの」
たかがお茶会の噂に、どのような刺激的が詰め込まれているのか。私にはわからなかった。小首を傾げれば、アンジェリカは鼻で笑う。さすがにその令嬢らしからぬ笑い方は、こんな大勢の人がいる中では、やるべきではないと思うのだが。それを伝えたとしても、彼女が「誰も聞いていない」と一蹴することは容易に想像できる。私は口を噤んだ。
「男には、女のことはわからないものね」
私はれっきとした女なのだが、彼女には女には見えないらしい。見えない方が良いに決まっているのだけれど、なんだか少し複雑な気分だ。
「女心がわかったら、世の中の男は苦労しないだろうね」
分かったような口ぶりで返して、あとは笑って誤魔化すことにした。男心なんて、私もよくわからない。しかし、アンジェリカはその返事に異論はないらしい。
「男も女も同じね。私も男心なんてわからないもの」
私は思わず笑ってしまった。
だって、アンジェリカと『クリストファー』が恋の話を始めているように聞こえるのですもの。
アンジェリカの物言いたげな冷たい視線のおかげで、あっさりと笑いは奥に引っ込んで行った。
「何よ」
「別に」
今度は私が澄ました顔で会場を見渡す番だ。こちらを気にしている人が増えた気がする。さすがに二人でいると目立つようだ。しかし、アンジェリカの雰囲気が人を寄せ付けない。いつだって、彼女は誰にも媚びずに、堂々と立っている。
「まあ、良いわ。良いことを教えてあげる。リーガン侯爵夫人には気を付けなさい」
「レジーナ嬢の?」
「ええ、お母様ね。噂だけれど、最近苛立っている様子だって聞いているわ。とても刺激的な噂でしょ?」
「それはもう、とってもね」
余りにも刺激的な噂に、私は肩を竦めた。一難去ってまた一難。なかなか平穏は訪れないようだ。
「お礼はそうね……ダンス一曲でいいわ」
「君と?」
私は目を見開いた。実の所、アンジェリカとは一度だってダンスを踊ったことはなかった。こんな形で誘われるとは、思っても見なかったのだ。しかし、すぐさま彼女の歪んだ顔に、その考えは打ち消される。
「なんで私が貴方と踊らないといけないのよ。カロリーナに決まっているでしょ」
そんなに顔を歪めて否定しなくても良いと思うのだけれど、彼女は実に嫌そうに顔をしかめている。
「相変わらず、妹思いだね」
「王太子妃の席が埋まったも同然の今、国内の最優良物件は、どう考えても、次期ウィザー公爵様の貴方じゃない。妹を気に入ったなら、いつでも相談して頂戴。好きな色から好きな食べ物まで、貴方には特別に教えてあげるわ」
アンジェリカは、言うだけ言うと颯爽と去っていった。彼女は時折、本気なのか冗談なのか分からないような冗談を言う。彼女の後姿を見送ると、数名の令嬢がジワリジワリと近寄ってきた。アンジェリカには、凄い力があるようだ。彼女が離れた途端に、人が寄ってくるくらいには。
周りの令嬢達が、互いに牽制し合いながら近づいてくる様子に、少し恐怖を覚えながら、私はその場を去る算段を立てる。しかし、そんな計画等立てなくても、救いの手は差し伸べられた。
「クリス、こんな端にいたのか」
数段上がった王座の横に座っていた殿下は、笑顔の一つも見せずに、私の側まで闊歩してきた。その瞬間に、令嬢達の足が止まる。彼もまた、計り知れない近寄りがたさを放っている一人だ。今はそれに感謝しながら、笑顔を向けた。
「アレク、セイ殿下。ごきげんよう」
ここは公式の場だ。気軽に愛称を呼んで良いような場所ではない。殿下は少し嫌そうに眉をしかめたが、「仕方なし」とでも思い直したのだろう。すぐに眉間の皺は解かれた。
「珍しいな。こんな端で」
「たまには。壁の染みにでもなってみようかと」
「随分目立つ染みだな」
ため息交じりに言い放つ殿下に、私は肩を竦めるほかなかった。しかし、こんな壁際だというのに、殿下と二人でいるだけで注目を浴びる。どこかへ別の場所へ移動した方が良さそうだ。
「それにしても、今回も趣向を凝らした衣装ですね」
「その言葉、そのまま返すぞ」
思い返せば、社交嫌いの殿下はデビュー以来の社交の場。今日は、二人そろって詰襟の軍服仕様の衣装だ。殿下は臙脂色を基調としており、襟と袖には金の薔薇の刺繍が施されている。対照的に、私は紺色を基調として、襟と袖に銀糸で薔薇の刺繍が施されていた。
肩章もボタンも、殿下が金で、私が銀という拘りよう。肩からはマントまで垂れ下がっており、王妃様の要望をふんだんに取り入れられているようだ。殿下は既に諦めているのか、はたまた服装に拘りがないのか、大人しく着ているようだ。
昨日、初めて袖を通した時は、「王子様みたいだ」と、シシリーと二人で盛り上がったけれど、実際舞踏会に着ていくとなると、別だ。とにかく目立つ。今まで目立たなかったと言ったら嘘になるが、今回の服装は群を抜いている。アンジェリカに揶揄されなかったのは、奇跡と言って良いのではないか。しかし、今日この会場に入ってから、この格好を「おかしい」と否定した者は皆無ではあるけれど。
「着ていると自分自身の姿は見えないので、そこまで気にならないのですが、同じような格好をしている人を目にすると、少しくるものがありますね」
「概ね同感だな」
私達は、静かにため息を飲み込んだ。王妃様の趣味を揶揄するわけにはいかない。それは、殿下も同意見なのだろう。それ以上この服装については何も言わなかった。
ダンスが始まるまでの間、ずっと壁に染みを作っているわけにもいかない。殿下に声を掛けようとした時、奥の方がざわついた。何やら諍いがあったようだ。
殿下も少し気になるようで、声のする方に視線を向けている。私は人の隙間から騒動の中心に、お父様の姿を見つけて目を見開いた。
いつもお読み頂きありがとうございます。
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私にできるお礼と言えば続きを書くことくらいです。
私もGWに入ることができたので、GWの期間中は毎日投稿したいと思っています。
麻疹が流行っているようですので、皆様お気をつけてGWをお過ごし下さいね。
これからもよろしくお願いします。