46.赤薔薇の恋文3
王太子殿下から直接渡された正式な書状を床に放置したまま、私は紫水晶の瞳の奥にある思惑を覗こうと躍起になっていた。
何が目的なのかしら。
手紙を渡すだけなら、サロンでも出来た筈。こんな目立つ場所で、わざわざ皆が見ている時に。彼をジッと見つめれば、彼は床に落ちた手紙を拾い、私の手に戻した。
「渡してくれるだろ? オニイサン」
周りの騒めいていた声が、一気に静まった。誰もが、私達の言葉を一語一句余さず聞き取ろうとしている。
「これは……どういう風の吹き回しですか?」
「何、簡単なことさ。想いを隠しておいても良いことはないとわかったんだ」
つまり、『私はロザリア・ウィザーしか眼中にないから他の奴は構うな』という牽制ね。ここまでされては仕方ない。私は彼の脚本に乗っかることにした。
「中身を見ても?」
「駄目に決まっているだろ?」
「前の手紙は、良いって言ってくれたでしょう?」
一度ではないことを示唆すれば、どこからともなく声が上がる。
「今回は、駄目だ」
「わかりました。今回は、我慢しましょうか」
私は、しっかりと手紙を胸ポケットにしまった。それを皮切りに、教室中にまた騒めきが広がる。それを見て、殿下は一人満足そうに口角を上げている。
「私はいつから伝書鳩になったんでしょうね」
大きなため息は、騒めきによって消されてしまう。確かに殿下の思惑がうまくいった。この日を堺に、レジーナの積極的なアピールは雲隠れしたのだから。
赤薔薇の恋文の噂は、国中の貴族の間に駆け巡った。現場を見ていた者達が、親兄妹に、そしてどんどん形を変えて、彼らは既に婚約寸前なのだと、そんな話にまで発展していった。
愛の伝書鳩となった私は、この手紙をどうすべきか迷い、結局はお兄様に手渡すことにした。お兄様は目を丸くしてそれを受け取ったのは言うまでもない。
「私が見ても良いのかしら?」
「今の私が見るのは、何だか公平ではない気がするんだ」
クリストファーが見ることを許されていないこの手紙を見ることで、『ロザリア』と『クリストファー』の境界線が曖昧になるような気がした。その不安を素直に言えば、お兄様はすぐに頷いてくれた。
「じゃあ、『ロザリア』を返す時まで、私が預かっておきますわね」
「ありがとう」
だから、私はあの手紙の中身を知らない。数日後にお兄様が用意した返事の中身もまた、私には教えて貰えなかった。
ただ、赤薔薇の恋文の噂のお陰で、私は頭を抱えることになってしまった。
冬季には珍しい、冷たい雨が降りしきった日、私はアンジェリカと、いつものカフェテリアで何度目かのお茶会を開催していた。慣れたもので、周りの注目も殆どなくなった。
「良かったじゃない。殿下のお陰で、貴方の噂は泡となって消えていったわ」
確かに、アンジェリカの言う通り、私とマリアンヌの噂は、全くと言って良い程聞こえなくなった。けれど、それを喜ぶことができない程に、頭を抱える事態となっているのもまた事実。
「全然喜ばしくないよ」
今は笑顔すら浮かべる余裕はない。私は何度目かのため息をついた。私の陰鬱とした気分を現す様な雨は、まだしとしとと降り注いでいる。
「最近辛気臭いわよ、貴方。『青薔薇の王子の憂い顔』なんて言われているけど、話を聞いているこっちは堪ったもんじゃないわ」
綺麗な顔が歪む。彼女なりの激励なのだとわかっていても、なかなかいつも通りの反応はできなかった。
それもその筈。王太子殿下の恋のお相手として、世間に名が広がったロザリアは、瞬く間に時の人となった。否、名前だけが独り歩きしていると言っても過言ではない。
私が『クリストファー』として社交界にデビューを果たした際、ロザリアが病気の為療養していることは、公表している。
しかし、ロザリアが王太子殿下の婚約者に一番近いと知るや否や、『ロザリアを表舞台に』という声が広がったのだ。
「『ウィザー家の深窓の令嬢』は、少しでも表に出てこれないの?」
アンジェリカが真剣に問う。私は笑顔を返したけれど、ぎこちなく頬が攣っているのがわかる。
「今日は寒いね」
「え? ええ」
外を見れば、雨脚が激しさを増している。それがどうしたのか、と言いたげに、アンジェリカは首を傾げた。
「朝からロザリーは熱を出してしまった」
出かける前、お兄様の部屋を覗いたら、苦しそうなお兄様の息使いが部屋中を支配していた。私の冷たい手とは裏腹に、熱を持った額。頬は苦しさを物語るように真っ赤になっていた。
私に気づいたお兄様は、苦しそうに「大丈夫」と笑った。
大丈夫なわけないのに。
今朝のことを思い出して、ぶるりと身を震わせると、困った顔をしたアンジェリカと目が合った。誤魔化すように笑えば、益々彼女の綺麗な顔が歪む。
「……あんの馬鹿王子は、黙ってレジーナの相手をしていれば良かったのよ」
忌々し気に悪態をついたアンジェリカの顔は、もう侯爵家の令嬢でも、アカデミーの女王様のものでもなかった。
思わず私は、ぐるりと辺りを見渡したわ。さすがに、王太子殿下を『馬鹿王子』なんて言ってることが聞かれれば、ただじゃ済まないもの。
「大丈夫よ。近くには誰もいないわ」
しれっと言うものだから、思わず笑いが漏れてしまった。いつも澄ました顔の裏になんてものをかくしているのか。
「彼もこの事態は予想外で、相当落ち込んでいるからね。それに、あの茶番に乗った私も同罪だよ」
思わず殿下を擁護するくらいには、アンジェリカの顔は、忌々しげに歪んでいる。それに、殿下も、それはもう相当落ち込んでいる。「こんなつもりではなかった」と、頭を抱えているくらいには。だからこそ、殿下一人の責任にするつもりは無かった。
「どこかの夜会に顔を出せば、この騒ぎは一度は納まるのでしょうけど、その様子だと無理そうね」
アンジェリカは自分のことの様に、考えこんでいる。その姿になんだか少し、胸の辺りが温かく感じる。
まるで友達みたいね。
心の中で、笑っていると、アンジェリカは何かを思いついたのか、大きく目を見開いた後、悪党みたいに口角を上げた。もう、その顔は悪党そのもの。綺麗な顔でやるものだから、よけい恐いのだ。
「良いことを思いついたわ。貴方が女装して夜会に出ればいいのよ」
「双子でしょ?」なんて、笑いながらサラリと悪魔みたいなことを言う。呆然と、彼女の笑顔を見てしまった。
「いや、さすがにそれは……」
それでは、私が『クリストファー』なのか『ロザリア』なのかあやふやだわ。
「あら、良い案だと思ったけど? 男にしておくには勿体無いくらい綺麗な顔をしているし、案外似合うんじゃないかしら?」
「……すぐにばれるんじゃないかな」
「そう?」
突拍子もない提案を、アンジェリカは大いに気に入ったようだ。もう既に入れ替わりを実行している身としては、それをあまり否定することもできず、苦笑いに留めておくことにした。
「それなら、今は誤魔化しながら静観するしかないわね。どうせ騒いでいるのは、ウィザー公爵家に力をつけて欲しくない反対派くらいでしょうし」
私は神妙に頷いた。彼女の話には一理ある。つまりはクリストファー・ウィザーの立ち位置は『王太子殿下の側近』として盤石であるというのは明白だ。その上、王太子妃にウィザー公爵家令嬢であるロザリア・ウィザーが選ばれれば、ウィザー家は王家に次ぐ、いやほぼ王家と同列の権力を保持することになると、懸念されているのは明らかだ。
「今は何もできないのだから、『クリストファー・ウィザー』の仮面くらいしっかり付けておきなさい」
「手厳しいね。最近そんなに酷かったかな」
「ええ、折角の顔が台無しよ。何ともないって顔で立ってないと足を掬われかねないわ」
アンジェリカは、難しい顔をしながら、冷めきった紅茶を口に含んだ。
そうよね、最近の私はお兄様の体調の変化と、噂のせいでうまく立ち回れていなかったかもしれないわ。
私は、ゆっくりと息を吸い込んだ。
「ありがとう。アンジェリカ嬢は優しいね」
にっこりと微笑んだ。きっといつもみたいに笑えている筈。
「貴方が腑抜けだと、張り合いがないのよ」
アンジェリカは、頬を朱に染めて、ふいっと顔を背けてしまった。
私は、クリストファー・ウィザー。この国に一輪しか咲かない青い薔薇だもの。美しく咲いて魅せましょうか。
クリス「それでアレクにはどんな返事を書いたの?」
ロザリー「うふふ、勿論お兄様には秘密よ」
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