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閑話7.リストとセイ3

 嘆かわしいことに、小雨とはいかないようで、雨粒が頬を叩くのを皮切りに、大粒の雨がしきりに降り注いだ。頬を伝う水をそっと手ですくうと、茶色く濁っていることに気が付いた。


 殿下の額からも、黒い汗が流れ落ちる。


 まずい。


 私と殿下は目と目で、語り合った。


「クリス」


 私が頷くと同時に、走り出した。大通りをまっすぐ進めば貴族街と市民街を結ぶ南門がある。私達はその門を目指した。と、言うのも、私達は市民街の道など大通りくらいしかわからないのだもの。市民街より貴族街の方が安全だもの、とりあえず門を抜けることを目指したわ。


 幸い、大雨に気を取られて、街の人々は私達のことなど気にしていない。店先の物を濡らすまいとしまう者、雨宿りをするために走り出すもので溢れていたわ。


 どうにか南門を抜けると、人通りのない道に入った。軒下に入り込んだ時には、髪の毛に塗り込んだ染料は殆ど流れてしまっていたわ。


 雨に濡れたプラチナブロンドは、頼りなさげに水を滴らせていた。


「さすがにこの状態で帰るのはまずいですね」

「ああ。そうだろうな」


 格好がどうあれ、このプラチナブロンドは目を引く。見る者が見れば、彼が王太子殿下であることくらいすぐに分かってしまうでしょうね。貴族街とは言え、さすがに護衛のいない中、優雅に歩いて帰るわけにはいかないわ。


 雨は止みそうにない。激しく降り注ぐ雨をジッと見つめても、雨脚は弱まりそうになく、私達をあざけるように激しい音を立てる。


「お手上げですね」

「まあ、仕方ない。雨が止むのを待とう」


 狭い軒下に私達はしゃがんだ。あんなに晴れていたのに。と、空を見上げれば、少しずつではあるけれど、青い空が顔を覗かせている。この分ならそこまで待たなくても良さそうね。


 濡れたシャツやパンツは、次第に体温を奪っていく。まだ秋の始まりだとは言え、雨で冷えた空気は温かいとは言えなかった。ブルリ、と身体が震えるのがわかる。さすがにこのままというのもマズいわよね。


 何かいい案は無いものかと、大通りを見ていると、見覚えのある馬車が止まった。ウィザー家の所持する馬車だ。市民街の入り口には似つかわしくない豪奢な馬車が一台、道を塞いでいる。


 すぐに馬車からはシシリーと殿下の護衛官が姿を現した。どうやら、私達を探すためにかけつけてくれたみたい。


「アレク、大冒険はせずに済みそうですよ。ただし、お小言は覚悟しなくてはいけません」

「ああ、仕方ないな。しかし、助かった」


 私達は半ばあきらめ気味に、馬車へと近づくと、すぐに気づいたシシリーに泣きながら迎えられてしまったわ。


「本当に、良かったです。もう、雨が降り始めた時は心臓が止まりました」


 シシリーの涙を拭ってあげたいけれど、私の服も体も水で濡れていて、逆に私に抱き着いたシシリーの服がしっとりと濡れてしまっている。


 雨が降ってすぐ、シシリーは護衛官に今回の計画を白状したらしい。王宮の馬車では目立つからと、我が家の馬車でここまで来たようだわ。うちの馬車でもとっても目立っているけれどね。


 すぐに馬車に乗り込むと、シシリーは殿下に手ぬぐいと着替えを手渡した。


「このような所で申し訳ありません。しかし、身体が冷えては、お体に障りますので」

「ああ、すまない」


 広いとは言え、馬車の中、着替えるには窮屈だわ。でも風邪を引くよりはマシだもの。


「クリストファー様は、どうぞこちらを羽織って下さい」


 シシリーは、大判のブランケットを肩から掛けてくれる。とても暖かくて、私はホッとため息をこぼした。


「ありがとう。シシリー」

「いいえ。帰ったら着替えて温まってくださいね」

「ああ。そうするよ」


 シシリーの頭をそっと撫でていると、シャツを着替えたばかりの殿下が眉を顰めたわ。


「クリスもここで着替えればいいだろう」


 私とシシリーは、一緒に目を瞬かせた後、大きく見開いた。


「い、いえ、王太子殿下の御前でそのようなことできかねます」

「別に構わない。風邪を引かれるよりはマシだ」


 慌てて首を横に振ったけれど、彼は納得しそうにない。


「屋敷にはすぐ着きますから。大丈夫ですよ」

「良いと言っているだろ?」


 さすがに殿下の隣で着替えるわけにはいかないわ。そんなことすれば私が『ロザリア』だってバレてしまう。


「王太子殿下、申し訳ございません。クリストファー様は、肩の傷を人に見せるのを憂いておいでなのです」


 シシリーが、蚊の鳴くような声で、言うと、殿下の眉がピクリと動いた。そして、チラリと護衛官の方に視線を向ける。


 肩に傷を背負っているのは、『クリストファー』ではなく『ロザリア』であることを殿下は知っている。けれど、護衛官は『クリストファー』が肩に傷があると思い込んでいる筈。


「そうか、なら仕方ない。急ぎ屋敷に戻ろう」


 殿下は頷くと、それ以上着替えは進めてこなかったわ。私はホッと胸を撫で下ろし、ブランケットに包まるりながら、ジッと屋敷に着くのを待っていた。


 殿下は隣で、先程買ったドライフラワーを見て眉を顰めた。雨に濡れて、萎れてしまっている。


「渡す前に駄目になってしまうとはな」

「それ、捨ててしまいますか?」

「ああ、持っていても仕方ない」

「なら私に頂けませんか?」


 殿下は少し眉を顰めて私を見たけれど、すぐに頷いて、ドライフラワーの花束を私の方に寄越した。


「別に構わないさ」

「ありがとうございます」


 萎れてしまった花束を受け取ると、顔を近づける。あまり匂いはないみたい。萎れてしまったけれど、捨てるには勿体ない。何より、『ロザリア』が貰う予定だったものだもの。私が貰っても良いじゃない? 可憐な花に自然と顔が綻ぶのがわかる。殿下は少し驚いたように目を見開いた。


「どうしました?」


 首を傾げて見せると、殿下は大きく首を振った。


「いや、なんでもない」

「そうですか」


 良くわからない人だわ。けれどこれ以上追及しても何かわかるわけでもないので、納得した振りをすることにする。


 馬車が揺れる。誰が話すわけでもなく、沈黙が続いた。


 少し続いた沈黙を破ったのは、殿下だったわ。


「……今日はすまなかった」

「いえ、雨は不可抗力ですし、行くと決めたのは私ですから。潔く怒られましょう」


 これからのことを考えると少し憂鬱。きっとお父様とお母様に、お説教をされるのは間違いないもの。


「いや、今日のことは全て私の責任だ。お前に責が行かないよう、宰相にも伝えておく」


 真面目な顔で私を見る。あまりにも真剣だから、思わず笑ってしまったわ。殿下は彼なりに責任を感じているのね。私が笑えば、彼は不満とばかりに眉に皺を寄せた。


「何がおかしい」

「いえ、お気遣いありがとうございます。そのご厚意は、受け取っておきましょう。次はうまくやりましょうね、アレク」


 口角を上げて、悪戯に笑って見せる。殿下の目が丸々と見開かれた。隣にいるシシリーなんて、今まで静かに私達を見守っていたのに、盛大にため息をついたわ。殿下の隣に座る護衛官の目も、大きく見開かれていたわ。


「ああ、その時は二人も勿論共犯です。護衛がいれば問題ないでしょう?」

「ですが」


 護衛官があからさまに狼狽の色を見せる。ここは笑顔で押し切るのが一番。私は飛び切りの笑顔を張り付かせて、護衛官を見つめた。


「大丈夫。今日は我が屋敷でアレクと私はずっとチェスをしていた。残念ながら、アレクは勝てませんでしたけど。ね?」

「おい」


 殿下が口を挟もうとするのを、私は手で制したわ。


「いや~、チェスに夢中になっていて、雨が降っていたなんて、気が付きませんでした。ね? アレク?」

「……ああ、そうだな。」


 殿下が初めに折れた。私の話に乗っかるように、神妙に頷くと、護衛官は大きくため息をついたわ。


「わかりました。駄目だと言って、勝手に出かけられるよりはマシというものです。次からは、事前に相談させて下さい」

「ありがとうございます」


 私がもう一度にっこり笑うと、大きなため息が馬車を埋めつくしたわ。












「ただいま、ロザリー」

「あら、おかえりなさい。お兄様。市民街は楽しかった?」


 殿下を見送り、暖かい湯船で体を温めてから、私はお兄様の部屋を訪れた。今日の計画を知っているお兄様は、笑顔で迎えてくれたわ。


「んー、雨に濡れて散々だったよ」

「その割に、顔が楽しそうだわ」


 手に持っていたドライフラワーの花束を窓辺に飾った。青薔薇のガラス細工の隣。少し萎れてしまっているけれど、まだ命は尽きていない。


「あら、素敵なドライフラワー」

「殿下からの贈り物だよ」

「あら、お兄様からじゃなかったのね」


 お兄様は少し不満そうだわ。「ごめんね」と頭を撫でて、私は横に寝転んだ。


「お土産の代わりに、今日のお話聞かせて下さいね」


 お兄様も私と一緒になって寝転んで、楽しそうに笑った。


「いいよ。『リストとセイの大冒険』! 雨のせいで全然冒険できなかったけどね」


 寝物語には短すぎる大冒険を、ゆっくりと語った。 

いつもありがとうございます。


明日からまた本編の続きを更新させていただきます。


よろしくお願いします。

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