閑話6.リストとセイ2
男物のシャツと、パンツ。これらをいつもどうやって入手しているのか、という疑問をシシリーに投げかけたことがあるわ。けれど、彼女はにっこり笑って教えてくれなかった。今日もキッチリ二人分、用意がされている。
ウィザー家の別邸を物珍し気に眺める殿下は、いつも通りのお召物。こじんまりとした別邸のサロンにお通ししたのは初めてだわ。部屋の中には、シシリーと私、そして殿下の三人だけ。殿下の護衛は外で待機している。
「王太子殿下はこちらをご利用下さい」
ひそひそと、声を抑えて衣装を手渡すシシリーに、殿下は神妙に頷いている。勿論私は、殿下をお待ちしている間に着替えを終わらせていたわ。
「クリストファー様は、以前と同じ様に茶色の染料を。王太子殿下には黒色をご用意させていただきました。水に濡らせば取れますので、ご安心下さい」
シシリーは、最初に私の髪に丹念に染料を塗り込むと、殿下の髪の滑らかな髪にも同じように塗り込んだ。プラチナブロンドの艶やかな髪の毛は次第に黒色へと変化していく。
殿下は、黒髪の自身の姿が珍しいのか、鏡を何度も確認している。
「お似合いですよ」
毛先をいじる殿下に笑いかけ、私は伊達眼鏡をかけた。
「お前は、胡散臭くなったな」
「酷いなぁ」
眼鏡、そんなに似合わないかしら? 私は鏡の前で自分の姿を確認したけれど、そこまで酷いとは思えない。
「王太子殿下、クリストファー様、私が誤魔化せるのは、夕刻まででございます。陽が沈む前には必ず帰ってきて下さいね」
「勿論。あとは、よろしく頼むね」
「はい。何も無いとは思いますが、くれぐれも気をつけてください」
シシリーに見送られて、私と殿下は屋敷を出た。サロンには、直接庭園に出られる扉がある。そこからこっそりと抜けて出れば、誰にも見つかることなく、別邸は抜けられる。
今日の為に、別邸からほど近い所に抜け道も用意しておいた。これで、誰にも見つからないように抜け出すことができるの。それも、別邸には近寄らず。がウィザー家の使用人の中で決まり事になっているお陰なんだけど。
「アレク。演技はお上手ですか?」
「……演技?」
「ええ、『王太子殿下』として市民街に行くわけにはいかないでしょう?」
演技が上手いようには見えないけれど、さすがにそのままというわけにはいかない。髪を染めても、服を変えても彼の纏う雰囲気は、一般人とは違う何かがある。
「まずは名前からいきましょう。私は『リスト』です。ウィザー家に出入りしている商家の息子という設定です」
「なるほど」
「アレクセイ……そうですね、『セイ』でいきましょう」
「ああ、それで良い」
殿下は、真顔で頷いた。さて、あとは問題の設定よね。友達? は、素性じゃないわよね。こんなキラキラしてる市民、『友達』の二文字で片付けられないわよ。
「やはり、同じように商家の息子くらいの方が良いですよね」
「いや」
珍しく殿下が首を振った。何かいい案が有るのかと、殿下を見ると、ほんの少しだけ口角が上がったのが見えた。
「俺は、お前の護衛役になろう」
「……は?」
「今日はお供しますよ、リスト様」
不適な笑みを浮かべる殿下に、私は大きくため息をつくしかなかったわ。「嫌だ」と言ったところで、「わかった」と頷くような性格でもないのは、今まで付き合ってきて良くわかってるもの。頷くしかない。
「わかりました……いや、よろしく頼む、セイ」
こうなったら、とことんこの役の、演じ切ってみせるわ。
とは言え、生まれ持った育ちの良さとは滲み出るもので、市民街に出ればあっという間に注目を浴びることとなった。
私がシシリーと一緒に歩いても、こんなに注目を浴びはしなかったから、これは絶対に殿下のせいよね。
私の一歩後ろを歩く殿下の様子をチラリと見れば、物珍しそうに辺りを見渡している。人の視線はあまり気になっていないようね。
それにしても、このまま『商家の息子の護衛役』と言い張るには少しばかり無理があると思う。
私が悩んでいると、小物屋の女店主から声がかかった。
「おや、シシリーちゃんのとこの! 今日はシシリーちゃんはいないのかい?」
道の真ん中にいる私達の所までくると、女店主は私の肩を力強く掴んだわ。
「ああ、そうなんだ。今日はシシリーは仕事でね。相手をしてくれなくて寂しくしているよ」
やや大袈裟に眉を下げて見せれば、女店主は目を細めてから、ニイッと口角を上げて笑い、強引に店先まで引き込んできた。
「だったら、こっそりプレゼントなんてどうだい? そこのオニーサンも」
店先には、可愛い髪飾りやイヤリング、ブレスレットなど女の子が喜びそうな物が置いてある。
あら、奥の方にはドライフラワーも置いてあるのね。珍しい。とっても可愛いわ。可愛らしいドライフラワーの小さな花束は、奥の方にひっそりと置いてあった。
殿下の様子を伺えば、物珍しそうに小物を覗いていた。殿下の姿を確認すると、私は笑顔で頷いて、商品を見て行くことにしたわ。
「最近は、恋人に目の色を贈るのが流行ってるのさ。この青い石が嵌ってる髪飾りなんてどうだい?」
目の色に合わせて贈ると言うのは本当みたいで、石の色ごとに小物も分けられている。
シシリーが私の目の色を貰って喜ぶのかは、些か心配ではあるけれど。
殿下は真剣に、赤い石が嵌められている小物を物色しているわ。赤薔薇が飾られた髪飾りを手に取って、天に掲げた後、彼は事もあろうかことか、私の頭にかざしたのよ。
思わず一歩後ろに下がってしまったわ。真剣な紫水晶の瞳が、私を捕らえる。私の心臓が大きく跳ねた。私が『ロザリア』だってバレた……?
「ア……」
ああ、今は『アレク』ではないのよね。私が言葉を続ける前に、女店主の大きな笑い声が、広がったわ。
「オニーサンったら、そんな可愛い髪飾り、男には似合わないわよぉ」
私が顔をひきつらせている横で、女店主は豪快に笑っている。赤い薔薇と赤い石が散らばった綺麗な銀細工。どう見ても女物だもの。私だってびっくりしているわ。
「いや、これはク……リスト様の妹君に、と」
「やだ、そう言うこと? オニーサン、そっちの人かと思って、ビックリしちゃったわよぉ」
ええ、私もビックリしたわ。本当にバレてしまったと思ったじゃない。こんなに驚いたのは久しぶり。
殿下は、髪飾りを元の位置に戻すと、恥ずかしそうに明後日の方を向いてしまった。
「でもそういう事なら、オニーサンの色の方がいいんじゃない?」
女店主は、負けじと紫色の石が嵌っている髪飾りを差し出す。見上げた商売根性だわ。
「ほら、妹さんにも似合いそうじゃないかい?」
次は女店主の手で、私の髪にかざされた。殿下も気になるのか、チラッと確認する始末。私はとうとう、人形と化してしまったわ。
女店主があーでもないこーでもないと、色んな髪飾りを飾ってみせる。それを殿下は真剣に吟味していた。
私は途中から諦めて、ジッと終わるのを待ってあげたわ。
「そうよ、妹さんの好みなら、お兄さんに聞かなきゃ」
なかなか決まらない殿下に痺れを切らしたのか、女店主は私に意見を求めてきた。殿下もジッと私を見る。
紫の石の髪飾りか、赤薔薇の髪飾り。どちらも素敵。でも。
「うーん、妹は花が好き、かな」
「なーら、この薔薇の髪飾りで決まりだねぇ!」
女店主は、ニコニコと笑いながら赤薔薇の髪飾りを手に取る。殿下も頷いて同意を示した。
「ああ、あとその奥のドライフラワーも一緒に包んでくれ」
「あいよ」
私が目を見開くと、殿下の口角がほんの少しだけあがったわ。
「昔から、花が好きだからな」
「きっと、喜ぶよ」
だって、私がこの店の中で一番気に入ったものだもの。
「さて、そろそろ行きますか」
私もシシリーにお土産を買い、小物屋を後にすることにした。店を去る前、可愛く包んで貰った髪飾りを渡された時に、女店主にコソッと耳打ちされたわ。
「あのお坊っちゃんは誰なんだい?」
ほら、やっぱり『護衛役』には見えないのよ。
「ああ、私の『護衛』ということにしておいてくれないかな?」
濁した方が相手が色々勝手に想像してくれるでしょう。どこかの貴族の子息とでも思ってくれれば良いわ。王太子殿下だとバレるより随分マシだもの。女店主は物知り顔で笑ったから、私は曖昧に笑みを返して、小物屋を後にした。
「さて、次はどこに行こうか?」
二人で近くの店先を冷やかしながら、歩いて行く。変わった食べ物や、変な形の壺も置いてあって、思わず覗き込んでしまったわ。
ふらふらとあるいていふと、雨粒が頬を叩いた。空を見上げると、怪しげな雨雲が頭上に集まってきている。
私と殿下は顔を見合わせた。
いつもありがとうございます。
書いていた小説が途中消えてしまっていつもより、更新が1時間ずれてしまいました…!
明日も更新予定です。
よろしくお願いします。