27.初舞台は薔薇で彩られる1
王都の中でも一等地にあるウィザー公爵家から、王宮までは馬車でさほどかからない。つまり、心の準備をする時間は殆どないということ。
私は一人で、バクバク鳴る心臓をどうにか鎮めようと必死になっていた。澄ました顔で出てきたのは良いけれど、今日は朝から緊張のし通しよ。
今日くらい鍛錬はお休みする予定だったのに、いつもより早く起きてしまったくらいにはね。幸いシシリーにはバレていなかったみたいだけど。
緊張で心臓が口から出そう。なんて言うけれど、本当に出てきそうだわ。目の前でお父様とお母様が二人で楽しそうに話をしているから、口を開かなくて済んでいるけれど、今口を開いたら心臓が出ちゃうわ。
今日の夜会は私にとっての正念場。早く平常心に戻って頑張らないと!
「クリストファー」
「……はい」
「リストはちゃんと覚えたの?」
「ええ、勿論です」
お母様の質問ににっこりと微笑んで見せた。懸念していた心臓は、口から出なかったわ。大丈夫そうね。
「しかし、あの数全員こなせるかどうか」
「いいのよ、上から順番で。下に行けば行くほど重要ではなくなるわ。それに夜会は一度だけではないのですから。でも、上から五人は必ず声をかけるのよ」
「はあ……」
私は胸ポケットにしまってあったリストを、もう一度広げた。そこにはズラリと、年頃のご令嬢の名前が書かれている。
つまり、ダンスを申し込むリストだと言う。これを手渡されたのはつい先日。どうやらお母様に「うちの子をダンスに誘って欲しい」と打診をしていたらしい。
建前として、ダンスは男性から申し込むものだけれど、こうして夜会の前に裏で話を合わせておくこともあるらしいわ。
それにしたって多い。
「今シーズンのデビュタントはいつもより多いそうだよ。少し若くても無理矢理でもデビューさせようと言う家が多いようだ。さすが、赤薔薇と青薔薇が二人揃ってデビューするだけあるね」
他人事の様に笑うお父様を横目で見る。完全に楽しんでいる。
「皆、王族との縁を繋ぎたいのでしょう」
話題を殿下にすり替えてしまえばいいのよ。と、笑顔で返事をしたけれど、お父様は肩を竦めてそれを阻止したの。
「うちも結構良い家なんだよ?」
確かに、ウィザー公爵家は古い歴史を持つ。現公爵は宰相、嫡男の私は王太子殿下の御学友。客観的に見れば優良物件よね……。
「赤い薔薇も青い薔薇も、まだ誰の物にもなっていないんですもの。今シーズンの社交は、殿下と息子の話で話題は事欠かないわね」
「母上……息子を話のタネにしないで下さい」
お父様もお母様も二人で楽しそうに笑いあっている。屋敷から王宮までの距離が短くて良かったと、これ程思ったことはない。これ以上長いと、もっとこの二人に遊ばれてしまうもの。
馬車は程なくして、その足を止めた。慣れた足取りで馬車を出れば、王宮が私を迎え入れてくれる。殆ど毎日と言っていいほど来ている王宮だと言うのに、月に照らされる白亜の城は、まるで違う世界の様だった。
ネーム・コールマンが私達の名前を呼ぶと、私はお父様とお母様の後について入場した。沢山の視線が一気に集まる。お父様もお母様も社交界では大変有名だと聞いている。そのせいね。
優雅に進む二人とは裏腹に、私は色とりどりの花が咲いた様な景色に、思わず立ち止まってしまったわ。だって、本当に綺麗だったんですもの。まるで春の庭園の様な。
お父様とお母様に置いていかれない様に気をつけつつも、沢山の花に夢中になってしまったわ。カサブランカの様な艶やかな花。チューリップの様に可憐な花。レースとチュールがふんだんに使われたドレスを身にまとったご夫人もご令嬢も皆素敵。
一歩一歩進む毎に、私はゆっくりと彼女達の装いを観察してしまったわ。昼間に呼ばれるお茶会とは全く違うんですもの。私もいつか『ロザリア』に戻った時に着てみたいわ。
歩いていると、何人か見知った顔を見つけたわ。声をかけるわけにもいかず、私は軽く微笑むことで挨拶の代わりとしたの。そんな挨拶に気づいて貰えなくても、後でキチンと挨拶するもの、大丈夫よね。
まずは今回の主催である国王陛下と王妃様にご挨拶。我が国の社交の始まりは冬。王宮の舞踏会を皮切りに、多くの夜会が連日の様に開催される。この日は、国中の貴族達が集まるのよ。だから人も多い。
そして、特別な事情がない限り、今シーズンのデビュタント達はこの舞踏会でデビューを果たす。私もその一人。大体十二歳から十八歳くらいがデビューの時期とされているわ。私は今十六になったから、早くもなく遅くもないそんな年齢ね。
さっき、お父様がお母様に「やっぱり若い子が多いね」と声を掛けていたわ。私は例年を知らないからわからないのだけれど。確かに、私よりも幼い子が多い印象を受けるわね。
私達は、国王陛下と王妃様の前で膝をついて礼を取った。
「本日はお招き頂きありがとうございます。息子のクリストファーです」
慣例に習って礼をし、慣例に習って挨拶をする。国王陛下とも王妃様とも、王宮で何度も顔を合わせる仲になってしまった。この挨拶に何の意味があるのか。と思わなくもないんだけれど、デビュタントらしく、といったところなのかしら。
「クリストファー・ウィザーでございます。本日はお招き頂きありがとうございます」
「うふふ、楽しんでいって頂戴な。その衣装、とても似合っていてよ」
王妃様は私を頭のてっぺんから足の先までじっくりと見て笑った。
白を基調とし、青薔薇の刺繍を入れたこの正装は、なんと言っても王妃様たっての希望だったのよ。なんでも赤薔薇と青薔薇が対になるような服装が良いと仰って、殿下の衣装は黒を基調に赤薔薇の刺繍を施すという徹底ぶりだったのだから。
「ありがとうございます」
「後であの子と二人で並んだ姿を見せて頂戴ね?」
「はい」
私は笑顔で頷いたわ。王妃様はとっても楽しみにしてるみたいだけれど、殿下はお揃いでという話をいただいた時に、とても嫌そうな顔をされていたのよね。どうやって王妃様の前まで連れて行くか、それが問題よね。
国王陛下と王妃様へのご挨拶が終わると、私達の周りには多くの貴族が押し寄せてきたわ。それだけで、目眩がしそう。
お父様が私を紹介すれば、例文みたいに私は笑顔を張り付かせて言うのよ。
「クリストファー・ウィザーです。よろしくお願い致します」
お父様が紹介してくれるような人物は、事前に貴族名鑑を見て記憶している。相手だって私のことは知っているけれど、「知り合いになりましたよ」っていう、必要な慣習なのよね。笑顔が引攣らないように気をつけないと。
紹介されている中には、勿論リストに入っているご令嬢がいて、今の内に、顔と名前を一致させる。私の今日一番の使命は、多分このリストを埋めることのような気がしてならないわ。
世辞と世間話と仕事の話が行き交う中、私はそれに耳を傾けつつ、愛想笑いを浮かべる。
挨拶の波は、軽やかな音楽を合図に引いていったわ。国王陛下のエスコートで、王妃様がダンスホールの中央に堂々と向かう。
我が国では、まずは一曲主催が踊る。それを合図に舞踏会が始まるの。王妃様の軽やかなステップ。動く度にふわりと広がるドレス。まるで妖精みたいだわ。とっても素敵。
国王陛下と王妃様のダンスが終わると、皆思い思いに手を取り始めた。最初のダンスは皆、エスコートをしたパートナーと踊るのだから、私は給仕の者からグラスを受け取り、ゆっくりそれを眺めることにした。
くるくる回るご令嬢達を見ていると、本当だったらお兄様と私も。という気持ちが少しだけ沸いてくるわ。いつか、そう、いつか本当のデビューの日は必ず二人で踊るのよ。その時私、ちゃんとステップが踏めるかしら? お兄様の足が痣だらけになってしまったらどうしよう。
二曲目が終わったら、私のお仕事が始まる時間よ。私は心の中で参考書を思い浮かべながら、クリストファーになる。外行きの、いつもより甘い笑顔と、柔らかい物腰。作り物のガラス細工みたいな青薔薇に。
「可愛らしいお嬢さん、是非私と一曲踊っていただけませんか?」




