23.渦中の人
「王子……」
驚きで目が点になるとは言うけれど、今私の目は点のようだろうか?それを確認したい気持ちはあるけれど、残念ながら、この場はそういう雰囲気ではない。
「はい、『青薔薇の王子』と」
目の前のシシリーが、大きく頷いた。神妙な顔つきだけれど、目の奥は笑っている。ああ、これは楽しんでいるんだわ。今の状況をね。
別邸の小さなサロンで始めたお茶会はというと、一杯目から話題は『青薔薇』の噂話ばかりで、紅茶でお腹がタプタプになった今でもそれは続いている。
いつもの定位置は部屋の奥の長椅子。陽が当たって心地良いのよ。時々寝そうになる程よ。猫のマリーもこの場所がお気に入りみたい。シシリーは私の向い側。いつも扉に近い席を選んで座っている。
「王子……とは、王族の意味での王子?」
「うーん、どちらかと言うと、『物語に出てくるような』と言う意味での『王子』でしょうね」
気持ちを落ち着かせるために焦って飲んだ紅茶は、奇しくも気管に入ってむせてしまった。
あの『花のお茶会』から十日が経ったわ。十日しか経っていないと言うのにも関わらず、シシリーの耳には沢山の噂が入ってきているという。それにしても、シシリーの耳が良いのか、噂の足が速いのかは五年間引き籠もっていた私にはわからないわ。
「なんだってそんな名称……」
恥ずかしい。とても不本意な呼び名だわ。顔に熱が集まるのを感じる。黙って冷たい手の平で熱くなった目元を覆った。
「王太子殿下が『赤薔薇の王子』と呼ばれていますから、対のように名付けられたのかと思われますわ」
そんな簡単な理由で付けられた呼び名は、身に余るものだわ。一国の王太子と同列の扱いなんて、殿下にも失礼じゃないのかしら。
「お茶会も大きな原因ではありますけど、噂を大きくしたのは、お茶会以降、毎日のように王宮に赴いている姿を、多くの貴族が目撃していることによりますね」
そう、あの日から私はそれこそ毎日の様に王宮に、いいえ、殿下の元に赴いているわ。
『花のお茶会』が終わった次の日、私は殿下から一通の手紙を受け取ったの。
内容はざっくり言うと、『王宮で一緒に勉強するから来い』っていう招集だったわ。
突然の呼び出しに私も、お母様やお父様も驚いたわ。
私が殿下と一緒にいる時間が長ければ長いほど、私の秘密がバレてしまう危険性もグンッと上がるから、あまり乗り気ではなかったのだけれど、殿下の招集をお断りするのは難しい。
どうにかならないものかと、お父様が国王陛下に掛け合って下さったのだけれど、逆に「息子と仲良くしてやってくれ」とお願いされてしまったらしいわ。
そういう訳があって、私はここ数日、ほぼ毎日のように王宮の殿下の勉強部屋に通っている。勿論王宮に行けば、多くの貴族に会うのだから、それが噂になるのは仕方ないことね。
そのせいで、一番の楽しみだったシシリーとの恒例のお茶会は、毎日の開催から、三日に一度の開催に変わったの。それが一番残念なのよ。
家庭教師のエドワード先生と相談をして、王宮に行く日はお休みにしてもらったり、お父様とお母様と相談したり、色々スケジュールの調整には苦労したのよ。
「今まで王太子殿下には、親しい友人と呼べるような方はいらっしゃいませんでしたから、皆さんの興味も倍増なのでしょう」
にっこりと笑うシシリーに、私は大きなため息で返事した。シシリーは、どこからそんな情報仕入れてくるのかしらね。本当に凄いわ。
王妃様に花を賜り、王太子殿下の唯一の「御学友」となった『クリストファー』は、多くの人には大層輝いて見えるのかしら。
「青薔薇……か……」
ため息が溢れてしまった。上手く飲み込むことができなかったの。
「クリストファー様は、『青薔薇』はお嫌ですか?」
不安そうな表情で、首を傾げたシシリーに微笑んで見せたけれど、あまり安心した様子はなかったわ。
「いいや、『青薔薇』なんて一番『クリストファー』にお似合いな花はないと思っているよ」
「お似合いですか?」
シシリーは不思議そうな顔をして、傾いた首を更に深めていく。そんなシシリーが可愛くて、私は思わず目を細めて笑ったわ。
「実在しない青薔薇なんて、偽りばかりの私にはとても似合っていると思わないかい?」
「……クリストファー様」
彼女の顔が次第に歪んでいく。ごめんなさい、そんな顔をしてしまうのは、きっと私のせいね。私は前屈みになって、シシリーの頭に腕を伸ばした。ポンポンと頭を撫でてあげる。だって、シシリーのそんな顔を見ていられなかったんだもの。
「あのガラス細工は、とても美しかったです。まるでクリストファー様のように凛としていて」
シシリーの手が、頭を撫でた右手に重なった。私の冷たい手が、じんわりと温められていくのがわかる。温かいわね。
「ありがとう。そうだね、私は作り物のように美しい、理想の青薔薇として、咲いてみようか」
「そうですね。その方がクリストファー様らしいですわ」
私とシシリーは見つめ合って、そして、笑いあった。段々と私の手も温かくなっている様な気がしてとても嬉しかったわ。
「そういえば、クリストファー様」
コホン、と咳払いをして空気を変えたシシリーに、次は私が首を傾げる番だったわ。
私の右手から温かいシシリーの手が離れて、名残惜しさを感じながらも、彼女の頭から手を外した。
シシリーは、また物知り顔で私を見て、得意げに話し始めたの。
「最近ご令嬢の方々が、青い薔薇のモチーフを買い込んだり、作らせたりしているようですわ」
「それには、何か意味があるのかな?」
嫌な予感がする。こういう予感はあまり外れたことがないの。
「ええ、噂ですけれど、最近のご令嬢の間では、社交の場で意中の人の瞳の色の物を髪やドレスに飾るのが流行っているそうです」
シシリーは肩を竦めると、ティーカップを手にした。その先は、言わずもがな、ということなのでしょうね。
「話したことのあるご令嬢なんて、片手で数える程度だけどね」
意中も何も、私のことを知っている令嬢はほんの数人。シシリーの耳に入る程噂になるとは思えないわ。
「あら、お父上は宰相、次期公爵が約束されて容姿端麗の優良物件なんて、そうそうおりませんよ。しかも婚約者はまだおりませんから」
「喜んで良いのか悪いのか」
「それに、奥様が皆様に「息子に政略結婚させるつもりはない」と縁談の釣書を突き返しているようですので」
今度こそ、私の目が点になっていないか確認して貰っても怒られない雰囲気かしら?思わず、口を半開きにさせてしまったわ。
「今、クリストファー様が婚約するわけにはいきませんから、面倒な縁談を躱す為の言い訳だとは思いますが、その言葉を皮切りに、クリストファー様にどうにかお近付きになろう、と考えているご令嬢は後を絶たないと聞いています」
「なるほどね……」
私には相槌を打つ程度の力しか残って居なかったわ。確かに私が今婚約者を作ることはできない。だって、女だもの。いつかはお兄様に『クリストファー』を返すのに、易々と婚約者なんて作れないわ。
確かに、政略結婚をさせないと宣言すれば、婚約という、ウィザー家としては当分考えることができない問題を後回しにできるものね。
それにお父様とお母様が、大恋愛の末に結ばれたことは貴族の間でも有名だから、それが後押しになったのだと言うのも予想できるわ。
「クリストファー様が沢山のご令嬢を魅了したとしても、クリストファー様自身がご令嬢に恋をしない限り、大丈夫ということです」
「よかったですね」とにっこり笑うシシリーに口の端が引き攣るのを感じたわ。