閑話1.シシリーの受難
シシリー視点です
私の名前はシシリーと申します。ウィザー公爵家で、クリストファー様とロザリア様の専属侍女をしております。奥様の専属侍女のメアリーは、私の母親です。私が生まれる前からウィザー家にお仕えし、この屋敷で私を産み落としました。私を追うように生まれた双子のクリストファー様とロザリア様の乳兄弟として、私もウィザー家で育ち、今に至るのです。
専属侍女とは言っても、ここ五年間は、クリストファー様とロザリア様の行動範囲は、公爵家の別邸周辺。殆ど私のやることと言えば、お話相手でございました。そう、あの十五の春の日までは。
「シシリー、マリーを知らない?」
別邸の掃除をしていましたら、ウィザー家の嫡男である、クリストファー様が声をかけてきました。
飴色の柔らかい髪の毛は優しく揺れ、瑠璃色の瞳は見たものの心を吸い寄せてしまいそうなくらい深い色をしております。旦那様と奥様の良いところを取ったと言っても過言ではない容姿。そして、柔らかい物腰。真っ白なカッターシャツと紺色のパンツという、非常にラフな格好だというのに、品の良さがにじみ出ているではありませんか。
しかし、そんなことは問題ではないのです。なぜならば、彼は、いえ、彼女は女性なのですから。
クリストファー様がロザリア様と取り換えっこをしたのは、菜の花が咲き誇る、春のことでございます。朝の支度の手伝いをするために入った寝室で、長く美しい髪の毛を首元でバッサリと切り落としてしまわれたロザリア様の姿は、大変お労しかったのを覚えております。
今でこそ男性として屋敷中の侍女を魅了し、たった一度お会いしただけのご令嬢を魅了しているクリストファー様ですが、大変な苦労がありました。その話はまたの機会にでもできればと思います。
「クリストファー様、マリアンヌ様でしたら、ロザリア様の所ではありませんか?」
「それがロザリーの所にもいないみたいなんだ」
綺麗な指を顎に当てて眉をしかめるお姿も、お美しいとしか言いようがありません。恋する乙女が見たならば、顔を赤らめてしまうかもしれませんね。
「ここら辺ではお見掛けしておりません。これから本邸の方に行きますので、気にかけてみますね」
「ありがとう。シシリーは優しいね」
そう、これ。これです。優しい微笑み。瑠璃色の瞳を細めて、柔らかそうな唇が弧を描いて笑うのです。それはもう、菓子のように甘い笑み。これにご令嬢も簡単に落ちていくのです。私だって、クリストファー様が女性だと知らなかったらどうなっていたことか……と、幾度となく思ったことがございます。男性だと信じている方ならもう、イチコロですよね。
クリストファー様が去った後、私も本邸に向かいました。本邸は別邸と庭園を挟んで反対側。広大なウィザー家の庭園の端から端ですから、それなりに距離があります。そのおかげでこの五年間、クリストファー様とロザリア様は静かに生活できたのですが。
庭園を歩きながらもマリアンヌ様を探しました。マリアンヌ様とは、白くて愛らしい子猫のことです。琥珀色の瞳が庇護欲をそそるあざとい方なのです。クリストファー様とロザリア様はマリアンヌ様を大層可愛がっております。
庭園をゆっくり歩いてきましたが、マリアンヌ様は残念ながら見つかりませんでした。本邸では、侍女のフェリさんが窓拭きをしておりました。
「フェリさん、お疲れ様です」
ご挨拶をすると、私を一瞥し、また掃除に戻っていきました。完全に無視。無視でございますね。全然辛くはないです。予想通りと言いますか、良くあることです。フェリさんは侍女の中でも熱心なクリストファー様の愛好者と言いますか。クリストファー様のお世話をしている私のことを余りよく思っていないようです。でも、私はめげません。
「フェリさん、一つお尋ねしたいことがあるのですが」
「何かしら?」
私のことなど見もせず、窓を拭きます。返事をしてくれただけ良しとしましょうか。
「マリアンヌ様を見かけませんでしたか?」
「……いいえ」
「そうでしたか、ありがとうございます。見かけたら保護して下さると助かります」
お返事はありませんでしたが、きっと耳には届いていることでしょう。見つけたら嬉々として、クリストファー様の元へ届けるかもしれませんね。私ではなく。
私は、本邸の裏にある、使用人用の建物にやってきました。別邸の箒にガタが来たので、一つ新しいのを取りに来たわけです。
「シシリー、ちょっと良いかしら?」
振り向くと、先程本邸の窓を拭いていたフェリさんと、彼女と仲の良い侍女が二人、腕を組んで仁王立ちではありませんか。ここは本邸の裏。人目もなく、太陽も入ってこないジメジメした場所です。
「いかがしましたか?フェリさん、皆さんも」
残念ですが、マリアンヌ様を見つけた、という感じではなさそうですね。皆さん、苛立っているご様子。しかし、私は身に覚えがございません。
「シシリーは、良いわよねぇ。ずーっとクリストファー様と一緒で」
「クリストファー様に色目使ってるんじゃないの?」
「やだぁ、身の程知らず」
フェリさん方は口々に声を上げました。私が話す隙など与えてはくれないようですね。私は仕方ないので、皆さんが話終えるまでゆっくり待ちました。
「シシリー、聞いてるのっ?」
フェリさんが、何も言わない私に苛立ったように怒鳴ってきました。
「私は旦那様、奥様からお二人のお世話を仰せつかっているだけですから」
事情が事情ですので、本邸に顔を出しても殆ど私が世話をしております。着替えの途中で見られたり、とかしたら一大事ですからね。クリストファー様もそれをよく理解していて、何かあると私を探します。それがフェリさんや他の侍女には面白くなかったのでしょう。
仁王立ちの三人は息を荒くして私を睨んでおります。こういう場合どうしたらよろしいのでしょうか?ロザリア様の愛読書の恋愛小説では、ヒロインが虐めにあっていると、王子様が颯爽と現れて助けてくれるものなのですが。残念ながら王子様はここにはおりません。そう、自身で何とかしなければなりません。
ここはやはり、適当に怒られて流れに身を任せるのが得策でしょうか。ああ、掃除がどんどん遅れていきます。
別邸に入れる使用人は私と母、クロードと執事のセバスチャン様だけなのです。掃除が遅れると取り戻すのがとても大変なのですが。
「シシリーが奥様に『一人ではお世話は大変です』と言えば良いことじゃない?ねぇ?そう思わない?」
「そうよ、クリストファー様のお世話は交代でやるべきよ。一人じゃシシリーも大変でしょう?私達はシシリーの為を思ってるのよ?」
フェリさんは笑顔で私を見ていますが、目が全然笑っておりません。どんなことがあっても、絶対にクリストファー様のお世話は誰にも代わってはあげられないのですが、ここで断るとまるで私がクリストファー様のお世話を誰にも渡したくないみたいですよね。困ったわ。
ああ、助けて王子様!
「シシリー?」
返事を頭の中でグルグルと考えていると、本邸の方から私を呼ぶ声がしました。私達四人が全員声の方を向くと、建物の影からひょっこり顔を出したのは、飴色の髪の毛を揺らしたクリストファー様ではありませんか。
「ク、クリストファー様っ!」
フェリさんを見ると顔を真っ赤にしてクリストファー様を見ております。後ろの二人も同じですね。さっきの威勢などすっかり無くしてしまったようです。
「ああ、いたね。シシリー。あれ?皆こんな所でどうしたのかな?」
「わ、私達は、そ、そのっ!」
緊張しているのか、突然のことで彼女達は声にならない声を上げております。クリストファー様はというと、不思議そうに小首を傾げています。そうですよね。こんな暗がりに四人でどうしたんだ、と。
「そうか、皆もシシリーに聞いてマリーを探していてくれたのかな?」
クリストファー様が優しく微笑むと、フェリさん達は何度も何度も首を縦に振って答えました。しかし、クリストファー様にはこの状況でマリアンヌ様を探しているように見えるのでしょうか?
「ありがとう、助かるよ。すまないけど、シシリーを借りても大丈夫かな?ロザリーのことでお願いしたいことがあるんだ」
「も、勿論ですっ」
「そう、ありがとう。シシリー、ここで待っているから、用事を済ませておいで」
クリストファー様は、建物に背を預け、腕を組み、待ちの姿勢です。フェリさんはそれ以上私に何も言えず、クリストファー様に頭を下げ、本邸の方にバタバタと戻っていきました。私もすぐさま新しい箒を手にし、クリストファー様の元へと戻りました。
「お待たせしました」
「大丈夫。箒、持とうか?」
クリストファー様の優しい申し出ではありますが、主人に箒を持たせる侍女など世界広しと言えど何処にもいないでしょう。私は大きく首を横に振りました。
「いえ、大丈夫です。それよりもロザリア様に何かありましたか?」
私がクリストファー様を不安そうに見ると、クリストファー様は瑠璃色の瞳を細めて、悪戯っ子の様に笑ったのです。
「ああ、あれ?ごめんね。何もないよ」
「……え?」
「シシリーが、困っているみたいだったからね」
クリストファー様は、軽くウィンクをすると、別邸の方へと歩きました。私はただ、呆然と彼の背中を見送るしかありませんでした。すぐにくるりと振り返り、小首を傾げるクリストファー様。陽を浴びて優しく揺れる飴色の髪。その姿は正に王子様。
「シシリー?」
「今行きます」
私は、クリストファー様を追って駆けました。
私は知っております。クリストファー様が女性であることを。だから私は、彼に恋をすることはないでしょう。それでもこんなに胸は高鳴るのですから、世の女性はきっとすぐに虜になってしまうのでしょうね。