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16.赤薔薇の王子1

 私は約五年ぶりの馬車に揺られている。ああ、こんなに尻に衝撃がくるものだったかしら?と、昔を思い出すことに専念したけれど、五年も昔の記憶は朧げだったわ。

 六人は乗れるだろう馬車に、私とお母様は二人きり。お母様と私は最終確認をしていた。


「つまり、私達と国王陛下、王妃陛下と王太子殿下以外の者は皆、『クリストファー』が肩に傷を負っていると認識しているわけですね」

「ええ、そうよ。ロザリアの今後のことを考えて、旦那様と国王陛下、王妃様と話し合って、他の者の()()()はそのままにしておこう、という話になったわ。あの時、ロザリアがクリストファーの服を着て、外に出たことが幸いしたと言ったら良いかしらね」


 まさか、十年前のお遊びがこんな形で真実を捻じ曲げるとは思わなかったわ。私がお兄様のお洋服で遊んだばっかりにお兄様の肩に傷があることになるなんて。


「クリストファー、今日が正念場よ。殆どの貴族は貴方の名前しか知らないわ。でも、王妃様と王太子殿下は五年前のクリストファーもロザリアも知っているのよ」


 お母様の真剣な眼差し。お母様の心配が窺える。そうね、バレてしまえばウィザー公爵家の恥を晒すことになるのね。ここは気合を入れないといけないわ。


「母上。私達の取り替えっこを見破れたのは、後にも先にも父上と母上だけです」


 お母様の心配を拭うように、私はにっこりと笑った。何度も遊んだ取り替えっこ。私達はとてもそっくりだから、あの頃は沢山の大人達を騙してきた。あの頃の私は、私とお兄様が殆ど同じだという証明みたいで、嬉しい気持ちが半分と、一個人を認識してもらえない不安が半分ってところだったわ。

 でもね、何度やってもお父様とお母様は私達を見分けてくれたの。どんなにうまくやれた日も、お母様は決して間違わなかったわ。それが、私には嬉しかったの。お父様とお母様は私のことを『ロザリア』だとわかってくれるって。


「わたくしには、今でも貴方が泣き虫のロザリアに見えるわ。でも、目に写っている貴方は、誰よりも男性らしい男性よ。ウィザー家を、お願いしますね」

「ええ、私は、母上が胸を張って『息子のクリストファー』だと紹介できる男になりましょう」


 お母様は、頷くと静かに瞼を閉じた。沈黙が馬車の中を満たしていく。ウィザー公爵家の屋敷から王宮まではそれ程遠くない。優しい沈黙は直ぐに霧散する。

 ここからは私の戦さ場ね。私はゆっくり馬車から降り、お母様をエスコートした。お母様は私の手を取り優雅に馬車から降りて、微笑みかけてくれたわ。もう、お母様からは不安が一切感じられない。


「貴方にエスコートしてもらう日が来るなんて」

「父上の代わりなら、いつでもしますよ」


 まさか娘にエスコートされる日がくるなんて、と言いたいのね。私はお母様の手をギュッと握って笑った。


 久しぶりに前にした王宮は、五年前より少しだけ小さくなったような気がする。いや、私が大きくなったからよね。五年前見上げた世界と、今見上げている世界は同じなのに、全く別の世界みたい。これが、『クリストファー』が見ていく世界の入り口になるのね。


 私はクリストファー・ウィザー。ウィザー公爵家の嫡男。十五の春まで、ウィザー公爵領で妹と静かに暮らしていた。春からは両親の住む王都へと二人で戻ってきた。可愛い双子の妹のロザリアは、病気の為別邸暮らし。

 病気の妹を溺愛し、ずっと共にいたけれど、十六歳を機に、一人でデビューすることを決める。

 それが、私。クリストファー・ウィザーだ。


 私はもう一度、しっかりと王宮を見上げた。私の大好きだった白亜の城は、静かに私を迎え入れてくれた。


 庭園が一望できるサロンに私達は通されたわ。何度か来たことがある懐かしい場所。大人達の話は私にはつまらなくて、ここから見える庭園でよく遊んでいた。

 お兄様と、アレクセイ様と、王女のリリアーナ様。四人で遊べるのはとっても楽しかったのよ。


「懐かしい?」


 窓の外を眺めていると、お母様が横に並んで、同じように外を見たわ。お母様もあの頃を懐かしく思っているのかもしれないわ。


「ええ」

「そうね、五年ぶりかしらね」


 お母様が上を向いて瞼を閉じた。お母様の瞼の裏には五年前のお兄様と私がいるのかしら?私はお母様に声をかけることができなかったわ。私が何かを言う前に、扉が三度叩かれてしまったの。


「エリザベス王妃陛下のお着きでございます」


 扉から入ってきた侍女の言葉に、私は膝を折り頭を下げた。王妃様の霞色のドレスの裾が視界に入ったわ。そして、王妃様が私の側まで歩んで来たの。


「二人とも表を上げて頂戴な。今日は他に誰も呼んでないのだもの。昔のように楽にして欲しいわ」


 久しぶりの王妃様の声は、五年前と変わらずお優しい。私はゆっくりと首を上げると、紫水晶の瞳と目が合った。すると、王妃様は花が咲いたように笑うの。


「久しぶりね、クリストファー。よく、お顔を見せて頂戴?」

「お久しぶりでございます。王妃陛下」


 王妃様は私に一歩近づくと、私の頬にそっと左手を差し伸べた。私と同じくらい冷たい手先に、小さく身震いすると、王妃様は気づいてしまわれたようで、眉を下げて「ごめんなさいね」と仰った。私は首を振る代わりに、微笑んで見せた。すると、王妃様も笑み返してくれる。


「クリストファー。ロザリアと貴方は、今もそっくりなのかしら?」

「……ええ、とても。私がドレスを着たら、王妃陛下も見間違えるかもしれませんね」

「まぁ!昔のように?ふふふ、面白いことを言うのね。でも、今度はあの頃のようには騙されないわよ」


 王妃様は扇子で口元を覆い、コロコロと笑ったの。ごめんなさい、王妃様。私は嘘つきね。


「セラ、今日はクリストファーを連れてきてくれてありがとう」


 私の心の中なんて知りもしない王妃様は、私の隣にいたお母様に声を掛けた。王妃様はお母様のことをセリーヌの愛称である「セラ」と呼ぶ。

 お母様と王妃様は、小さい頃から仲良しなのだとか。だから、プライベートではどうしても砕けてしまうと、昔聞いたことがあるわ。


 王妃様が私達を椅子へと促してくれる。すると、侍女が音もなく紅茶を三人分用意してくれたわ。王妃様隣にお母様、その向かいに私が座って始まったお茶会は、私にとってはデビューの前哨戦みたいなものね。


「ごめんなさいね。エルザ、クリストファーだけで」


お母様が申し訳なさそうに謝ると、王妃様は何度も首を横に振った。


「いいのよ、クリストファーだけでも元気な姿が見れて嬉しいわ。ロザリアの容態は良くないのかしら?」

「そうね、良いとは言い難いわ」

「そう、心配ね」


 王妃様は、お母様の手を取り、我が事のように瞳を潤ませている。そして、私の方に向き直ると、そっとハンカチーフで自らの涙を拭った。


「クリストファー、『ロザリアのご病気が治ったら、またお花の話をしましょう』と、伝えてくれるかしら?」

「はい。必ず伝えます。ロザリアもきっと喜ぶと思います。妹は、王妃陛下と花の話をするのが好きでしたから」


 王妃様がお花の話を覚えていてくれたのは、とてもとても嬉しいわ。またいつか、あの頃のようにお花の話を聞かせてくれるかしら。


「よろしく頼みますね、クリストファー」


 私は、右手を左胸に当て、恭しく礼をした。ええ、しかとお伝えします。


 王妃様が「そうだわ」と、話を始めようとした時だったわ。扉が三度叩かれたのは。


「あら、ちょうど良かったわね。開けてあげて頂戴な」


 王妃様の言葉に、侍女はすぐさま反応して扉を開けた。私は、扉の先をただ見つめたの。部屋に入ってきた人物を見て、私の胸がざわめいたわ。だって、サラサラのプラチナブロンド、王妃様と同じ紫水晶の瞳。アレクセイ・セノーディアだったのだから。

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