番外編1.クリストファー様の恋の噂
甘いケーキと、華やかに香り立つ紅茶。軽食やクッキー。そんな絢爛たる席のお供は、いつだって噂話。
「アンジェリカ様、こちらのケーキはいかが?」
「ええ、いただこうかしら」
薦められるがままに頷くと、侍女の一人がすかさず現れて私の前にケーキを用意する。別の一人が心得たように、紅茶を新しいものに取り替えた。気の利く侍女が何人も居る家というのは、それだけで豊かである事を示す。きっと、一番仕事のできる侍女を配置したに違いない。
今日のお茶会の参加者は、私を入れて五人。ミュラー家に関わる家からの招待を無下に断る訳にもいかず、仕方なく参加した。私よりも妹の方がお茶会の類は好きなのよ。だから、妹に代わりをと思ったけど、彼女達のお目当はどうやら私みたい。「アンジェリカ様に是非来てもらいたい」と指名されたので、仕方なく足を運んだのよ。
キラキラした八つの瞳に囲まれて、私は口の中にケーキを運ぶフォークを置いた。
「皆様方、先程から私の顔に何か付いているかしら?」
始まってからずっと、彼女達は期待の眼差しで私を見ている。それが何を求めているのか、実は予想はついているんだけど。
だからと言って、簡単にお喋りを始めたら尻軽にも程があるわ。私は優雅にティーカップを口元に運ぶ。
「いえ、何でもありませんわ」
単刀直入に聞くことはできないらしい。彼女達は困ったように私から目を逸らした。
さっさと聞けば良いのよ。クリストファーのことかしら? それとも、ロザリアのこと?
ロザリアが表舞台に出てからというもの、この手のお茶会の誘いは、五度目。昨日はロザリアのことをこと細かく聞かれたけど、今回はどっちかしら?
私がクリストファーやロザリアと懇意にしているというのは、周知の事実となりつつある。そのせいか、探りを入れるのはまず私からになっているみたいなのよね。
本人に直接話しかければ良いのに。
「そ、そういえば、先日の舞踏会はとても素晴らしいものでしたわね?」
「ええ、それはもう。冬が始まった気がしますわ」
慌てた彼女達は、取り繕うように話を始める。話題は先日行われたばかりの舞踏会に決まったらしい。クリストファーの話を始めるにせよ、ロザリアの話を始めるせよ、舞踏会から始めるのが有効と判断したのかしらね。良い判断だわ。
「今年のデビュタントは本当少なくて驚きました」
「あら、昨年は殿下とクリストファー様がデビューされるとあって、皆様足早にデビューしてしまったせいでしょう?」
四人の令嬢達は皆頷きあう。私も合わせて頷いた。昨年のデビュタントは、驚く程に多かったのよね。王家や公爵家に取り入る機会を易々と逃すような家は、きっともう潰れているもの。うまく息子や娘がどちらかにお近づきになれば、出世の道も開けるかもしれない。
今年や来年デビューする予定だった者が、皆こぞってデビューしたのだから、今年のデビュタントは少ないに決まっているのよね。むしろ、ロザリアみたいに病弱だったり、留学していたり、訳ありの子ばかり。
「昨年の舞踏会も素敵でしたけど、今年のクリストファー様も素敵でしたわぁ」
一人が癖の強い巻き毛を弄りながら、うっとりと呟いた。彼女達の目的はクリストファーの方なのね。
「クリストファー様、この数ヶ月で随分と雰囲気が変わりましたわね?」
「身長も伸びたようですし、髪型も少し前よりも短くなされて」
さすが人気者、良く見られているわね。その辺の一筆書きみたいな男が少しばかり変化したところで、話題にも上げないでしょうに。
雰囲気が変わったも何も、中身が変わっているのよ。なんて、言える訳もなく私はケーキを口に運ぶ。
砂糖がふんだんに使われたケーキは、私の口の中に広がって癒してくれる。思わず頬が緩んでしまうわ。
「クリストファー様、前はもっと笑顔が優しかった気がしませんこと? ……あら、このケーキ美味しい」
「確かに。どことなく冷たい感じがしましたわ。……やだ、こちらのクッキーもしっとりしていて美味しいわ」
二人とも良く見ているじゃない。私は頷きそうになる頭を固定して、クッキーに手を伸ばした。あら、本当。しっとりしていて美味しいわ。
「でも、ロザリア様に笑いかけている時は、前と変わらない優しい笑顔でしたわよ?」
それも正解よ。ロザリアがその顔を真似ていたのだから、似るのも当然よね。だって、ロザリアはあの優しい微笑みしか知らないのだから。
他に目を向ける時の瞳の冷たさと言ったら、池に張る氷の如く。思い出しただけで寒気がしてきた。
「そ・う・い・え・ば……以前お父様が言っておりましたわ……」
さわさわと、落ちたかない様子で巻き毛を弄りながら、一人の令嬢が真剣な面持ちで口を開いた。私を含め、三人の令嬢は彼女の真剣な表情に、思わず視線を向ける。
「何かしら?」
「気になるわ。教えて」
「私もよ」
そんなに焦らさないで欲しいわ。
「お父様が以前言っておりましたの……『人は恋をすると変わる』って……」
彼女の言葉に三人は視線を合わせた。彼女達の目が「それだ!」と言っている。それでは無いわよ、多分。
「もしかして、クリストファー様、領地に行った先で恋に……?」
「報われないような哀しい恋だったのでは無いかしら?」
「ええ、きっとそうよ。それでなければあんな哀しい瞳をする訳がないもの」
あの冬の風よりも冷たい目を、『哀しい瞳』と認識したらしい彼女達は頷きあった。
ま、違うのだけど。
別人になっただけよ。でも、そんなこと言える訳ないじゃない。罷り間違って、「今までリアがクリストファーとして生活してたしてたから、元に戻った今、雰囲気が違うように見えるのよ」なんて、言ったところで誰が信じるかしら?
きっと、「ミュラー家の長女は頭を打ったらしい」くらいの噂が立つのがオチよ。
妄想話が広がった彼女達の中では、領地に行った先で出会った未亡人に恋をしたクリストファーの物語が一つ出来上がった。
恋愛小説さながらの、壮大な物語に仕上がる頃には、テーブルの上のケーキもクッキーも姿を消していたわ。
甘いお菓子とは裏腹に、悲恋で幕を閉じたクリストファーの物語は、何だかほろ苦い。ここまで作り上げた彼女達の想像力には拍手を送りたい程だ。今年の芸術祭の脚本を書かせてみてはどうかしら?
「そういえば、アンジェリカ様はクリストファー様と仲がよろしいでしょう? 実際、どうなんですか?」
四人の真剣な眼差しが一気に私に向けられた。思わず最後の一枚のクッキーを手からこぼすところだったわ。
実際と言われても困る。クリストファーの雰囲気がガラリと変わったのは、ただ単に本物に戻ったからでしょう。悲恋の代償でも、失恋の傷でも何でもない。けど、領地でめくるめく恋の物語が無かったと、聞いているわけではなかった。
それはそうよね。無いものを話す人はいないもの。
それに、否定しても肯定しても、「やっぱりアンジェリカ様は、クリストファー様と仲がよろしいのね」という結論に結び付けられてしまうのは間違い無いのよね。
けど、勝手に勘違いしてくれればクリストファーとロザリアとしても、入れ替わりの疑いをかけられること無く過ごせて万々歳よね。
私は四人の令嬢達に、にっこりと微笑みかけた。
「皆様、クリストファー様が領地でどのような生活を送っていたかは存じあげませんが、一つ言えるのは、失恋の傷を癒すのは新しい恋ではないかしら?」
彼女達の肩がピクリと跳ねた。四人は顔を見合わせて目で会話を始める。
私には何て言っているか分からないけど、四人にはわかるのかしらね?
さしずめ牽制のしあいといったところかしら。
「わ、わたくし用事を思い出しましたわ!」
「いけない、私もです!」
一人また一人と立ち上がる。今からどこに急ぐつもりなのかしら。クリストファーの元にでも走るの?
「あら、残念だけれど、今日はお開きに致しましょう」
私は膝の上で、手にしていたクッキーをさりげなくハンカチーフに包みながら微笑んだ。すぐに同意の言葉が上がった。
やっと解放されるわ。
私は馬車の中で一人、伸びをする。なんて開放感なのかしら。当分お茶会はごめんだわ。
「でも、あのクッキーは美味しかったわね」
あのクッキーが出るなら、もう一度くらいは呼ばれても良いかもしれない。
「それにしても、今日は良いことしたわ」
クリストファーとロザリアの入れ替わりを、疑われる前に阻止したんですもの。感謝されても良いくらいだわ。
あの妄想がどこまで大きくなって、どこまで噂として広がるかは、あの四人の手腕にかかっている。
あとの対処は、本人に任せれば良いのよ。別にいつも澄ました顔が慌てたところを見てみたい、なんて思ってるわけじゃないわ。
私は最後の一枚のクッキーをハンカチーフから取り出して、口の中へと放り込んだ。
「どこで手に入るか聞いておけば良かったわ」
最後の貴重な一枚を噛み締めながら、私の揺れに身を委ねた。
数日後、令嬢達による売り込み合戦の火蓋が切られた。残念ながら、私が望むようなクリストファーの歪んだ顔は一度だって見ることはできなかったわ。
いつもありがとうございます。
完結してから数日が経ちましたが、新たなブックマークや評価などありがとうございます。
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番外編も楽しんでいただけたら幸いです。