137.エピローグ
本日連続更新の二話目です。
お気をつけ下さい。
優しい陽の光が窓をすり抜け、部屋の中を照らす。私は一人きりで、ベッドの下を弄った。
ベッドの下に隠しておいたのは、大きな箱。中には、一人分の洋服と、真っ黒な鬘。そして、サラシ。
洋服は、以前『クリストファー』として生活していた際に着ていた物。お兄様の身長が伸びた今、誰にも袖を通して貰えない可哀想な子。処分される前にこっそりしまっておいた物の一つだ。
慣れた手つきでサラシを巻いていく。今までは毎朝シシリーが手伝ってくれていたっけ。今日は一人で巻きつけていく。
シンプルなブラウスとパンツ。上着も極力シンプルな、けれど上品な物を選んだ。最後は黒い鬘を被る。前髪の長い鬘は、私の瑠璃色の瞳を上手く隠してくれる。地毛よりも強い癖のある長い髪の毛は、右側で纏めて紐でくくった。胸の辺りまで伸びた髪の毛はなんだか久しぶりで新鮮だ。
アンジェリカにお願いして、芸術祭で使った鬘を分けて貰ったのだけれど、これなら誰も私をロザリアだとは思うまい。
「よし、完璧」
鏡の中を覗くと、黒髪の青年がこちらを覗いていた。
窓をゆっくりと開けると、冷たい風が舞い込んでくる。目を細めながら風を正面から受けると、作り物の前髪が、ざわざわと騒ぎ出す。
窓から外を見渡して、誰もいないことを確認すると、シーツを刻んで作った縄を窓から垂らした。ベッドに括れば、人一人分くらい大丈夫だろう。
見つかる前に出かけなくちゃ。
私は力一杯手を握りしめると、真っ白な縄に手を掛けた。
二階から地上までは然程高くはない。もしも頼りないこの縄が千切れてしまったとしても、大した怪我にはならなさそうだ。
ゴクリ、と喉がなる。大丈夫だと思っていても、少し緊張してしまう。けれど、急がないと。
シシリーに見つかってしまったら、この計画も破綻してしまうのだから。
体重を乗せると、ミシッと音がした。縄ではなく括り付けられたベッドが悲鳴を上げたのだ。
さっさと降りよう。
木から降りるよりも不安定な白い縄にぶら下がる。少しずつ地面が近づいてきた。
「ロザリア様っ?!」
あ、まずい。
不意に掛かった声に、思わず肩が震えた。繊細な白い縄はそれだけでふらふらと揺れる。揺れが収まってから、恐る恐る顔を上げると、顔面蒼白のシシリーの顔が窓から出ている。
「そんな所で……そんな格好で……何を……まさか……!」
私の格好で合点がいったのだろう。シシリーは青い顔を更に青くした。
「だって、お兄様、毎日夜遅いじゃない?」
私とお兄様が本来の生活に戻って、すぐにお兄様は殿下の側近として毎日王宮に足を運んでいる。お兄様は「人使いが荒くて困る」と言いながらも、なんだか嬉しそう。
けれど、帰りが随分と遅い。お兄様は元気になったとはいえ、病み上がり。疲れがたまればまた倒れるかもしれない。昨年殿下の手伝いをした身としては、その忙しさは身をもって知っている。だから、手伝うなとはなかなか言えない。そうなれば、殿下が倒れてしまうもの。
人手が足りないのなら、丁度いい人材がここにいるじゃない?
私は『クリストファー』として一年間も彼の側に居たのだ。何なら、棚の何処に何の資料があるかまで把握している。
日がな一日、お勉強やお茶会ばかりでは勿体ない。そう思ったの。
「けれど、そんな格好されなくても!ロザリア様として会いに行けば良いではありませんか!まず、落ち着いて、戻って来て下さーい!そこはとても危険です!」
「駄目!ロザリアでは門前払いだもの!」
セノーディアでは未だ女性が政治の世界に進出している前列がない。先日ロザリアとして正式に訪問した時は、お茶を出されて終わってしまった。皆の手を止めるだけで終わるのはさすがにやるせない。
男なら良いのでしょう?
そんなに男が良いと言うのなら、男になるまで。とは言え、お兄様や殿下に事前に言えば、絶対に「駄目」って言うもの。こういうのは断れない状況まで持っていかないと。
「ロザリア様!どうか早まらないで下さい!今、下に行きますから……!ね?」
まるで私が身投げでもするような言い方。
「シシリー、ごめんね!お小言は夜聞くから!」
窓からシシリーの顔が見えなくなると、私は慌てて白い縄を降りた。人間焦ると怖さなんて無くなるものね。少しくらい揺れるのも気にせず、気づけば地面に着地していた。
私は久しぶりに馬に飛び乗って、屋敷を出る。馬車を動かそうとすれば色んな人に止められるもの。馬は苦肉の策だった。
「ロザリア様ー!」
遥か遠くからシシリーの声が聞こえる。私は振り返らずに、「ごめんね」と呟いた。後で絶対怒られる。その前にお兄様とお父様を味方につけよう。
心に決めて、私は王宮へと向かう。王宮の入り口は、『ロザリア・ウィザーの紹介状』であっさりと入れてくれる。自分で自分を紹介する日が来るとは思わなかった。
王宮に入ってさえしまえば、こっちのもの。私は殿下の執務室へと急ぐ。人とすれ違う度にドキドキした。けれど、誰も私をロザリアだとは思わない。
知らない顔には優しくない文官たちは、小さく会釈するだけで、通り過ぎていった。
新鮮な反応に胸が高鳴る。『クリストファー』の時もそうだけれど、ロザリアの時も仰々しい挨拶をされた。ウィザー家の直系というだけで、頭を下げる大人達には何も敵わないというのに。
その点今の格好をしている時は、その他大勢という扱い。居心地が良いくらいだ。
逸る気持ちを抑えきれず、長い回廊を早歩きで渡った。
殿下の執務室へと続く回廊。あまり人の通りが少ないことで有名だ。そんな所でキョロキョロと不安げに歩いている令嬢がいる。
この先に女の子が行くような場所は無かった筈。迷子かな?
可愛らしい水色のドレスを身にまとう令嬢は、私と目が合うと、不安げに瞳を揺らした。
「可愛らしいお嬢さん。こんな所でどうしたの?」
令嬢は困ったように私を見つめる。私を疑っているようだ。初めて会う人間に警戒することは良いことだもの。仕方ない。極力優しい笑顔を見せることで、警戒心を解こうとした。
けれど、前髪の長いこの鬘では怪しいだけになるかもしれない。
少し前髪を掻き分けて、再度にこりと笑って見せた。見覚えの無い御令嬢だし、きっと大丈夫。
「迷子かな?もし、行きたい所があったら、私が連れて行ってあげるよ」
最後の一押しとばかりに微笑めば、彼女は少しだけ頬を染めて私を見上げた。
「あの、庭園に行きたいの。庭園で待っているようにと言われたのだけれど、迷ってしまって」
幾分かおずおずと小さな声を発する彼女に、私は頷いた。
「なら、私と庭園まで一緒に行こうか」
「でも、貴方はご用事があるのでしょう?」
「大丈夫。迷子の花を放っておく程、急ぎの用事ではないよ。さあ、お手をどうぞ」
エスコートも手馴れたものだ。『クリストファー』から離れて数ヶ月は経っているのに、身体が覚えている。手を重ねた令嬢は、恥ずかしそうに俯いた。
「この時期の庭園は花が少ないから、あまり楽しく無いかもしれないね」
冬に咲く花は限られていて、あまり庭園を賑わせてはいない。寒空の下花を眺めにくる奇特な人も少ないから丁度良いのかな。
彼女が人を待つには、冬の庭園では少し暇かもしれない。
少しだけ話をしながら、彼女を庭園では案内した。案の定庭園の花は殆ど咲いていない。それどころか、冷たい風が木々を揺らし葉を散らしていた。
「ここで大丈夫?」
「はい、ありがとうございます」
「一緒に待っていてあげることができなくてごめんね」
「いえ、そこまでお世話になるわけにはいきません」
彼女は小さく頭を横に振った。また、冬の風が強く吹く。
私の偽物の髪の毛を揺らし、彼女の長い髪の毛を浚う。その風の強さに彼女は肩を震わせた。
「そうだ」
私は上着を脱ぐと、彼女の肩に掛ける。困っように瞳が揺れた。
「これを使って。帰ったら捨てて大丈夫」
彼女の身を守って生涯を終えられるとあらば、この上着も本望だろう。何度も断ろうとする彼女を優しく諭すと、私はくるりと踵を返した。
早く殿下とお兄様の所に行かなくちゃ。
「じゃあね」
「あのっ! また会えますか?」
「きっと、王宮に来たらまた会えるよ」
私は振り返りながらにっこりと笑った。
だって、私はセノーディアに二輪しか咲くことのない、青薔薇なのだから。
fin
最後までお読み頂きありがとうございます。
これにて、「偽りの青薔薇ー男装令嬢の華麗なる遊戯ー」は完結となります。
2月から連載を初めて丸8ヶ月。長い間お付き合い頂きありがとうございました!
感想やtwitterで何名かの方に、「続きが読みたい」という話を頂いておりまして、ハッピーエンドの先の物語を生み出すかは、少し模索中です。ご連絡はここに番外編を載せた時か、活動報告にてするつもりです。
完結となりましたが、気ままに番外編などでもう少し賑わせる予定です。宜しかったら、また遊びに来てくださいね。
そして、よろしければ、左下の方に評価を入れる場所があります。お祝い代わりにそちらをポチッと押して頂けたら、嬉しいです。
感想もお待ちしております〜。
最後になりますが、ここまでお付き合い頂きありがとうございました。
また、皆様にお会いできますように。