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133.アクイノハナ2

 この会場には多くの人がいるというのに、こんなにも静まり返るとは。周囲から音が消えた。私は辺りの様子を見回す余裕もなく、姿勢を正す。ここで怯んだら、相手の思う壺だ。けれど、私が動く前に、お兄様が私の前にずいっと出て、首を傾げた。


「妹が、何かしましたか?」


 私の所からはお兄様の表情は見えない。けれど、声色は冬の風の様に冷たくて、凍えてしまいそうだ。けれど、リーガン侯爵夫人にはそんな冷たい風も堪えないらしい。「暑い暑い」とでも言うように、扇でパタパタと仰いでいる。夫人はお兄様を一瞥した後、すぐ後ろの私に蔑むような視線を向けた。


「そうやって、お兄様に守って貰わないと外にも出られないなんて。そんな子が本当に王太子妃が務まるのかしら」


 扇子を広げて口元を隠しながら、意地悪く笑う。事前の情報通り、リーガン侯爵夫人は私達の前に現れた。もしも事前の情報が無かったら、これだけのことで不安で胸が張り裂けてしまっていたかもしれない。レジーナに感謝しないと。


 夫人の目的は、殿下の隣から私のことを引きずり下ろすこと? それとも私を傷つけたいだけ? 彼女の表情からはそんなことまでは読み取れない。


 夫人の言う通り、お兄様の後ろに隠れていては駄目だ。一歩前に出て、お兄様の隣に並ぶ。お兄様が少し心配そうに私に目を向けた。今は精一杯の笑顔を見せるだけだ。


唇を結んで夫人を見れば、彼女は器用に片眉を上げた。


「私に何か話があるのでしょうか?」

「あら、ご自身の下品な格好すら気づけないなんて、教育もまともに受けさせられないくらい、公爵家は貧窮していらっしゃるのかしら」


 ホホホホと声高に笑う。下品な格好――それは、髪型のことだろうか。きっとそう。私を陥れたい人が、この髪型に触れない訳が無いもの。けれど、あえて首を傾げた。飴色の髪の毛と共に紫水晶が揺れて、「大丈夫」だと言われているようだ。こんな小さなことで勇気が湧くのだから、私って単純かも。


私は小さく息を吸い込んだ。


「お兄様、夫人は他家の懐事情まで心配する程心お優しい方なのね」


 私はお兄様の方を向いて、わざとらしく無邪気に笑う。夫人の眉根が中央に少し寄った。


「そうだね、夫人は前々から私達のことをよく心配して下さっていた優しい方だよ。でも、安心して。我が家は心配される程困っていないから」

「良かった。今頼んでいるドレスも、全部お断りしないといけないかと、不安になってしまったわ」


 お兄様は私に合わせて笑う。作り物みたいな笑顔。私も同じような顔で笑っているのかも。わざとらし過ぎると、あとでアンジェリカに揶揄されるかもしれないな。


 周りの人たちは会話をする振りをして、私達の様子を伺っていた。まだ、私達を囲んで輪を作ったりはしないだけマシだ。けれど、このままだと時間の問題かもしれない。そうなればより一層目立ってしまう。結局、お父様やお母様には迷惑をかけてしまいそうだ。


「公爵家も娘には甘いのではなくって?」


 吐き捨てるような夫人の言葉が突き刺さる。視界の隅でアンジェリカが眉根を寄せているのが見て取れた。腕組みをして、全身で不快感を表している。お兄様もそうだ。いつもの柔らかい雰囲気は何処へやら。冬の寒さに凍えそうなな程の冷たさを纏っていた。


何だか、二人が近くに居るだけで、本当に心強く感じる。私の周りにはこんなにも頼りがいのある友人や兄がいるのだと思うと、不安も軽くなっていった。これくらいのことで、へこたれては駄目。


『ごっこ遊びも悪くない』


 そんな彼の言葉を思い出す。人前に出る時は、嘘偽りの無い私でなくても良いという。『クリストファー』の仮面をかぶるように、今は『ロザリア』という仮面を被る。


 演技をするように、私はお兄様の腕に絡まって、眉尻を下げた。


「やっぱり、我が家は貧乏なの? お兄様。私、少しくらい我慢するわ?」

「大丈夫。毎日ドレスを作ったって、構わないよ。我が家のお姫様は控えめだね」


 お兄様が優しく私の髪の毛を撫でる。優しいお兄様の表情に、遠くで小さく悲鳴が上がったのが聞こえた。こんな時でもご令嬢方は元気だな。女の子はいつだってパワフルだ。アンジェリカが笑いを堪えるように、口元に手を当てて私達に背を向けた。


 夫人は、苛立つように私とお兄様の周りをぐるりと一周する。ツカツカと小気味いい音が会場に響いた。上から下までじろじろと見られては居心地が悪い。


 夫人が元の場所に戻ると、冷たい目を私に向け、手に持っていた扇を閉じる。パチンッと音が鳴った。その音に人の視線が集まる。


「その男とも女とも取れない短い髪の毛。ロザリアさん、貴女本当は男なのではなくって?」


 結局、私達を囲むように人が集まった。こうなることは予想できたけれど、やっぱり実際に囲まれると不安になる。


「髪型のみで性別など、判断できましょうか?」

「あら。貴女、男の格好をして出歩いているというじゃない?」


 夫人の言葉に私は目を丸くした。何のことを言っているの? 私が『クリストファー』として社交界にいたことだろうか。レジーナが母親に言ったのかもしれない。いともたやすく心臓が跳ねあがる。今動揺を見せれば相手の思う壺ではないか。震えそうになる手を、声を叱咤して私は小首を傾げる。


「リーガン侯爵夫人は、お優しいだけではなくて、想像力が豊かですのね」


 笑いを堪えるように肩を揺らせば、夫人の片眉が上がる。


「だまらっしゃい。私は知っているの。貴女が小さな頃から男の格好で遊んでいたことを。皆さん知っているのよ? 貴女の肩には醜い傷があることを、ねぇ?」


 夫人はぐるりと見回した。夫人の声に応えるように、数人が遠慮がちに頷く。なるほど、初めから口裏を合わせていたのね。リーガン侯爵家の派閥に属するのだろう。


「肩の傷を理由に王家を揺すって婚約者の座を手に入れたのかしら?」

「そんなことしておりません。それなら、もっと早くに公表があって然るべきでしょう」

「それなら、私の勘違いだったかしら? 噂通りクリストファーさんが王太子殿下を守ったのでしたら、ごめんなさいね。やっぱり、殿下の側近の座を得るにはそれくらいしなくては駄目なのかしら?」


夫人が三日月みたいに口角を上げた。嫌な笑顔だ。


夫人は肩の傷を持っているのは、私でもお兄様でもどちらでも良いんだ。どちらにせよ、難癖を付けるつもりだったのだろう。


 夫人の言葉に肩の傷がチクリと痛む。もう治って久しいのだから、痛むことなんてない筈なのに。思わず左肩に手を置いた。肩に心臓ができたみたいにズキズキと痛む。


 こんな時に反論の言葉が出てこない。お兄様のことまで悪く言われているのに。


 すると、優しい手が左肩の手に重ねられた。冷えきった手がじんわりと暖かかくなって、痛みを落としていく。見上げれば、お兄様はふわりと微笑んだ。


 すぐにお兄様の手は離れていった。私より少し前に出て、夫人の前に立つ。私はその姿を見送ることしかできない。結局お兄様に守られている。もっと力が欲しいと思っているのに、なかなかうまくいかない。


「リーガン侯爵夫人は何か勘違いをしていらっしゃるようだ。傷くらいで側近の座に付けるほど、殿下の側近は楽ではありませんよ。……ああ、リーガン侯爵家のご子息も、私達が療養している間に側近の候補に上がっていたとか」


 夫人の顔がより一層歪んだ。


「なら、証明してくださるのでしょう?」

「何をでしょうか?」

「勿論、貴方が傷如きで側近の座を得ていない証拠よ。ロザリアさんの肩の傷を見せていただければ良いの。とても簡単でしょう?」


 何を言われているのかも分からなくて、私は呆然と夫人の歪んだ顔を見つめた。


 視界の端でお兄様が手を握りしめている。そんなに強く握ったら、手のひらが傷ついてしまう。「大丈夫」と手を握りたいのに、身体が動かない。


 肩の傷を人に見せる?


 幻聴か何かだろうか。そんなものを見せることで、夫人は何かを得ることができるの? それとも、ただ傷つけたいだけ?


私の肩の傷を公衆の面前で晒して、「醜い」と嘲るのが目的なのだろうか。


 会場の音が聞こえなくなって、身体が震えた。お兄様が何か言っている。きっと私を守ろうとしてくれているんだ。けれど、眩暈が酷くてうまく聞き取れなかった。しっかりしないと。


 私は震える足を叱咤した。


「あら、大好きなお兄様の為だもの、できるでしょう?」


 立っているのがやっとの状態だというのに、夫人の少し低い声が、襲いかかったきた。まるで、嵐に襲われるような風圧を感じて、私は後ろに傾いてしまう。歪んだ視界の端で、お兄様が私の方に手を伸ばす。私も応える為に腕をあげようとしたけれど、腕が重くて思うように動かなかった。


 ここで倒れたらかっこ悪いな。なんて呆然と思いながら、私は重力に身を任せた。


 けれど、想像していたような痛みは襲わない。それどころか、心地良いとすら感じた。もっと痛いと思っていたのだけれど、気を失った後だろうか。


焼けるように熱いものが左肩に添えられて、私の意識は現実に引き戻された。


「この傷は私の物だ。勝手に見ようとされては困る」


聞きなれた声。いつもより少し低めだ。重い瞼をどうにか押し上げると、二つの紫水晶に出迎えられた。


「アレク……?」

「ごめん、遅くなった」


囁くような小さな声が耳に届く。


「本当、いつも遅いよ」


私の呟きに、彼は苦笑を浮かべた。











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