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128.門出

 朝食を終えた私達は、小さなサロンでゆっくりと過ごした。ほんのりと花が香る紅茶と、お気に入りのクッキー。殿下とお兄様と話をしたり、読書をしたり。それはとっても贅沢な時間だ。


 お兄様はというと、始めは一緒に居たもののいつの間にか「用事を思い出した」と言って、サロンを出てしまった。こんな別荘でまで急いで向かわなければならない用事とはなんだろう。私は小さく小首を傾げた。


 なので、サロンで過ごした時間の殆どを殿下との語らいに使ったと言っても過言ではない。


 思い出すようにアカデミーの話をすると、まだ殿下は通っているらしい。「居心地は悪くない」と少しはにかみながら言った彼の言葉に、少しだけ安堵した。いつも面倒そうに通って居たアカデミーは、今彼にとって特別な場所になれたのだろうか。


「皆、クリスが居ないと寂しがっている」

「私もまた皆に会いたいな。お兄様は王都に戻ったら、通うかな」


 アカデミーでのことも、勿論お兄様には事細かく伝えてある。けれど、お兄様から通うという言葉はまだ聞いてはいなかった。お父様やお母様は、本人の意志を尊重すると言っている。けれど、慣れない生活に加えてアカデミーもとなると、お兄様の負担が計り知れない。知らない人の中に飛び込んで、あまつさえ以前から知人である振りをしなければならないのだから。


「ロザリーもまた通うか?」

「私も? 許可が下りるかな」


 アカデミーは時期外れの入学を認めていない。昨年の殿下と私――クリストファーの入学は王妃様の口添えがあってこそだった。殿下の入学を期に、途中入学を希望した他の貴族の子息達は、皆一様に断られている。今期の入学を希望しなかったロザリアには、通学の資格はない筈だ。


「公爵が願えばそれくらい問題ないだろう。それに、三人で通うのも悪くない。そう思わないか?」

「うん」


 それは、とても心惹かれる誘いだ。けれど、特例を認めて貰うようなことを、そう何度もして良いものなのか。周りから非難されないか心配だ。


 もしも、特例が認められて、お兄様も一緒に通うとなったら、きっと楽しいだろうな。目を瞑れば、その光景がまざまざと浮かび上がる。お気に入りの場所で一緒に読書をしたり、カフェテリアでお茶をしたり。すでに執務室と化した王室専用サロンで、皆と膝を突き合わせて話し合ったりするのだろうか。


 私は『ロザリア』としてそこに身を置いても許されるのだろうか。それは、別邸の部屋で隠れるように暮らしていた頃には想像もできない贅沢だった。


「けれど、まずは舞踏会を乗り切らないと」


 楽しいことに目が行きがちだけれど、目の前の問題から目を背けるわけにはいかない。もう入学の手続きは締め切った後なのだから、舞踏会が終わってからゆっくりと考えても遅くはないだろう。私は拳をぎゅっと握りしめた。


 私の拳に、殿下の手がそっと重ねられる。殿下の不意打ちにドキリと胸が跳ねた。


「そんな気張らなくても大丈夫。俺も、クリストファーも隣にいる」

「ありがとう」


 殿下の熱は私の不安を容易く溶かす。冬の足音すら忘れて、私の暖かな心は、雪解けの春のように溶けていった。


 そんな幸せな時間はいとも簡単に終止符を打つ。昼を待たずして、静かな別荘に嵐が訪れた。殿下の予想通り、迎えの馬車が到着したのだ。


 朝食の席で皆に相談した結果、殿下の見送りはお母様とお兄様ですることとなった。


 病気がちな令嬢が表に出てこなくても、誰も気にしないだろうというのが三人の見解だ。本当は近くで見送りたかったけれど、仕方ない。私は一人寂しく窓辺から彼の背中を見送ることにした。馬車に乗り込む彼を見つめていると、不意に顔を上げる。私の方を見て、ほんの少しだけ口角を上げたような気がした。


 殿下が嵐のように現れて、嵐のように去って行った後の別荘は酷く静かで、私は何も用事がないのに、そわそわと廊下を行き来してしまう。そんな姿をシシリーに見られて、困ったように笑われた。そして、お兄様にも見つかって気晴らしとばかりにチェスの相手に呼ばれる。


 昼を迎える前に迎えの馬車が到着したことによって、昼食は三人で摂ることになった。お母様は昼食まで休憩をと護衛官の方々を招き入れようとしたようだ。けれど、王都への到着が遅れることを懸念し、頭を横に振られてしまった。殿下も、勝手に飛び出してきた手前、頷くしかなかったようだ。


 そして、夜一人になると、私は初めて彼に宛てた手紙を書いた。今回来てくれて嬉しかったこと。言葉で伝えるのは少し恥ずかしくて、伝えきれなかったことを手紙に乗せた。彼から沢山の勇気を貰えたことへの感謝を伝えたかったのだ。


 何度も書き直した手紙は、真っ白な封筒に詰め込まれた。これが届く頃、私もこの北の領地を出て、王都に向かう。新しい生活に少しの不安と大きな期待が胸に宿った。セノーディアにも冬が訪れる。二度目のデビューは一番目のデビューとは違う緊張があるように感じた。


 ガタゴトと、馬車が揺れる。私はその揺れに身を任せた。


「クリストファーの頃に仲良くしていた令嬢と顔を会わせても、声を掛けてはいけない」


 私は馬車の中でお兄様の言葉を反芻する。屋敷に戻れば慌ただしい日常が始まる。そして、すぐに舞踏会だ。何よりも、屋敷の者の殆どが私達の秘密を知らない。二人で確認することは山程あった。


 お兄様は知らない相手に知っている振りをしなければならないけれど、私は知っている人に対して知らない振りをしなければならない。顔に出ないようにしなければならないのだ。


「変なこと口走りそうで不安だな。当日は極力話さないようにしたいくらい」

「きっと皆の方から声を掛けてくるだろうから、そういうわけにもいかないだろうけどね。もしもロザリーが知らない筈の内容を口走ってしまったら、全部『お兄様に聞いた』と微笑めば大丈夫だよ」

「そうだね。そうする」

「私も『アレク』に慣れないといけないな」


 お兄様は珍しく難しい顔をしている。殿下が別荘を訪れた際も、「殿下」と呼んで過ごしていた。けれど、私が『クリストファー』の時には、彼をずっと「アレク」と呼んでいる。もしも、皆の前で「殿下」などと呼べば、二人が仲違いしたと思われてもおかしくはない。


「アレクアレクアレク……次に会うのは舞踏会だろうし、さすがに愛称で呼ぶのは問題かな。『アレク……セイ王太子殿下』とかちょっと間違えて呼んで、少し誤魔化した方が自然か」


 お兄様は真剣だ。けれど、私はそんなお兄様の言葉に声を出して笑った。わざと間違える。そんなこと、私には真似できない。


「駄目。そんなことされたら私が隣で笑ってしまうかも」


 わざと間違えている姿を想像して、私は笑いが止まらなくなり肩を揺らした。きっと、お兄様なら何食わぬ顔でやりそうだ。そうなると、近くに居るであろう私の演技力も、大いに要求されるのではないだろうか。それは困る。だって、私はお兄様のみたいに上手くやれないもの。


 馬車の中で私達は「アレク」と呼ぶ練習と「アレクセイ様」と呼ぶ練習を何度も行った。長旅だというのに、時間が進むのが早く感じることができたのは、そんな練習のお陰かもしれない。



 ◇◇◇◇



 行きは約三日かけて来た道のりを、休憩を多く挟みながら五日掛けた。その際様々な土地を訪れながら、私達は現地の珍しい食べ物に舌鼓を打つ。お土産も沢山手に入れた。行きよりも重くなった馬車が王都の屋敷に到着する。時間をかけてきた甲斐あって、お兄様は屋敷に到着してからも、熱を出さずに済んだ。


 久しぶりに会ったお父様は、嬉しさの余りお母様を抱きしめてなかなか離さない。そのせいで私達や使用人は、屋敷の前の広間で長い時間待つ羽目になった。お父様の抱擁はお母様にとどまらず、私やお兄様にも順繰りと与えられる。私は嬉しくて抱きしめ返したけれど、お兄様は少し気恥ずかしそうに、背中に手を回してもすぐに離して逃げるように一歩後ろに引く。けれど、お父様はそんなお兄様の対応に「男の子だね」と顔を綻ばせたのだ。男って分からない。


 お父様は私の髪の毛に触れて、「とても美人になった」と微笑んでくれた。手紙を使い、事前に鬘を被ることを止めたと知らせたおかげか、驚きはしなかった。けれど、お兄様の成長には目を丸くして驚いていた。この数か月で、お兄様は随分と身長が伸びたのだ。私は自分のことのように嬉しくて、お父様に「凄いでしょう?」と自慢した。お父様には声を出して笑われてしまった。


「そうだ、ロザリア。昨日ね、殿下から贈り物が届いていたよ。部屋に運ばせてあるから、確認すると良い」


 お父様の言葉に、私は目を瞬かせた。わざわざ届けられた贈り物。中身が気になって仕方なくて、お母様の静止も聞かずに、私は屋敷の階段を駆け上がる。数か月開けていた部屋でも埃一つない。私達が居ない間も、清潔に保たれていたお陰だ。


 部屋をぐるりとテーブルの上には大きな箱が置かれていた。可愛らしく巻かれた赤いリボン。胸の鼓動が駆け足になる。あまりにも可愛らしくリボンが巻かれていて、解くのが勿体ない。解いてしまったら元に戻せないだろう。


 それでも、中身が見たい気持ちが大きくて、私はリボンの片方を引いた。するりと解けたリボンは形を変えてだらりとテーブルの上に倒れる。私はそんなリボンに気にも止めず、大きな箱の蓋をゆっくりと開けた。


「ドレス……?」


 私は小首を傾げる。箱の中には、青いドレスが鎮座していた。


















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