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127.決意

 私が小さなくしゃみをしたことで終いとなった窓辺での会話。身体は十二分に冷えたというのに、心は暖かい。私は不思議な気分でいっぱいだった。


 ベッドの上で眠れぬ夜を過ごす筈が、すぐに夢の世界へ旅立つことができたのは、ひとえに殿下のおかげだ。


 ベッドに身を預けながら、夢の世界へと旅立つほんの少しの間に、私は一つの決意を固めた。


 本当の姿で勝負をしよう。(カツラ)を被っても外しても悩むのなら、本当の姿の方が気持ちが良いもの。


 私は私の意思で長い髪を切った。私自身を守るために。これは私が選んだ姿なのだから、何を恥じることがあるのか。


 そうしたら、またお母様は泣いてしまうかしら。私は悪い子だから、いつもお母様を泣かせてしまう。お母様の涙を思い浮かべると、チクリと胸が痛んだ。


 お兄様はきっと何も言わずに微笑んでくれる。聞かなくても分かるもの。お兄様はいつだって私に甘い。


 目が覚めたら皆に伝えようと心に決めて、私は瞼を閉じた。


 瞼を閉じればあっという間に夢の世界に足を踏み入れる。


 小さな頃に戻って、お兄様と殿下と三人で遊ぶ夢。お兄様が笑顔で左手を握ってくれて、殿下が少し照れくさそうに右手を握ってくれた。


 それはなんだか、今日のことのようだ。


 たった一日で私達の六年が塗り替えられるわけではない。それでも、少しだけ色が増えた気がした。


 王都に戻ったら、また三人で遊べるかな。次は一緒に庭園を見て回って、またかくれんぼがしたい。そして、お気に入りの花と一緒に彼を探そう。きっと、すぐに見つかる筈だ。


 私は彼みたいに上手く『好き』と言えなくて、隠れていた彼に向かって、結局『みーつけた』と言ってしまうような気がする。『好き』を花に乗せて渡せば少しは伝わるだろうか。彼はそんな花を喜んで受け取ってくれるのか、少しだけ心配だ。


 きっと、夢よりも現実の方が楽しい。だって、こんなにもワクワクしているのだから。夢の中では感じることのできない熱を、現実なら感じることができる。



 朝目が覚めて、シシリーと朝の挨拶を交わす。(カツラ)を手にしたシシリーを見て、すぐに頭を横に振った。


「ありがとう。でも、長い髪はもうおしまい。今日からはこの髪を整えて欲しいの」

「ロザリア様? ですが……」

「それだとシシリーがお母様に怒られてしまう?」


 私が決めたことで、シシリーがお母様に叱られてしまうのでは気が引ける。お母様に話をしてからでも遅くは無いのだから、今日のところは鬘を被って過ごすべきか。けれど、お母様を説得するにしても、鬘を被っている状態では説得力に欠ける気がした。


「いいえ、そのようなことは。けれど、その王太子殿下もいらっしゃいますし。本日はお迎えの方々も到着されるとか。人前に出なければなりません」


 シシリーが困ったように眉尻を下げた。そうか、殿下のみならず王宮で働く一部の人に見られる可能性がある。シシリーの手元で主張する鬘を見て眉根を寄せた。


「私の髪型、噂になってしまうかな? できれば舞踏会であっと驚かせたいのだけれど」


 事前情報が有るのと無いのとでは、皆の反応も随分と変わってくると思うのだ。今シーズン初の舞踏会という特殊な場所で、皆気分も浮ついている筈だ。私の短い髪に驚いていても、目まぐるしさにそれどころでは無いのではないか。


 そして、リーガン侯爵夫人がどんな動きを見せるのか私にはわからない。けれど、予想外なことが起きれば、彼女の計画が狂う可能性もある。そうなれば良いなと思う反面、短い髪を見せることで、その計画の一端に使われてしまう可能性もあることが懸念事項だ。けれど、悩んでいても仕方ないもの。


「どうでしょうか? 口の軽い者は王宮で働けるとは思えませんが」

「でも、人の口に戸は立てられない。それに、騎士団の方々はリーガン侯爵の息のかかった人達ばかり……か」

「では、今の所は普通に髪の毛を整えましょう。皆様にご相談してから、今日をどう過ごすか決めるのが宜しいかと思います」


 シシリーの笑みに笑顔を返した。鏡台の前に腰掛けて、短い髪を整えて貰う。この一、二年毎日のようにあった光景だ。なのに、なんだか久しぶりのような気がする。


「ロザリア様の髪の毛は、とても柔らかいですよね」


 鼻歌でも歌いそうなくらい上機嫌な様子で、シシリーが寝癖を直していく。寝癖の付きやすいこの髪の毛は、毎朝の準備に時間がかかる。鬘の生活になってからは、どうせ見えないからと、整えることも減っていた。面倒な朝の支度も、シシリーは嫌な顔を一つせずこなしてくれる。シシリーには感謝してもしたりないくらい。


 髪の毛を整えてから、二人でドレスを選んだ。着ては脱いで、脱いでは着ての繰り返し。ベッドの上はドレスのお店が開けそうな程だった。「これで良いんじゃないかな?」と言いそうになる私の前で、シシリーの目がメラメラと燃える。妥協など許さない目だ。


 ゴテゴテと飾り立てられたドレスよりもシンプルなドレスの方がしっくりときて、十度目の着替えでようやくシシリーの頭が縦に動いた。安堵のため息を必死で飲み込んだのは誰にも秘密だ。


 鬘が無いだけで、頭が軽い。今なら空も飛べそうな気分。けれど、食堂の扉を前にした今は、心臓がいつもよりも速歩きだった。


「お母様、怒ると思う? 泣くと思う?」


 私は食堂に続く扉の前で立ち止まって振り返った。覚悟はしているけれど、やっぱり不安でついシシリーに声を掛けてしまう。予想したところで何の意味もないというのに。


 私の後ろにいたシシリーが、少し眉尻を下げて笑う。


「私はそのどちらでも無いと思います」


 怒るわけでもなく、泣くわけでもない。ではどうなるのだろうか。


 シシリーの言っている意味がわからなくて、小首を傾げた。私には目を吊り上げた顔と、ホロリと涙を流す顔しか浮かばなかったから。


「奥様はロザリア様のこと、しっかりと見ておいでですから。さあ、早く参りましょう」


 シシリーは笑顔を深めると、私の心の準備など気にもせず扉を開いた。慌ててももう遅い。小さな音を立てて開いた扉をの先の食堂では、本邸よりも小さなテーブルにつく、お母様とお兄様。そして、殿下の姿があった。


 皆の視線を浴びて、少しだけ胸が跳ねる。いつもならそんなこと無いのに、きっといつもと違うせいだ。


 短い髪と、殿下の姿。


「おはようございます」


 私は淑女に相応しい(カテーシー)を取る。頭の天辺から足の爪先まで意識を向けて。礼一つ取っても個性が出るような気がしてならない。可愛い礼、美しい礼、雑な礼、早い礼。私はどんな礼だろう。女性らしさを感じられるような礼になっているだろうか。


 髪の毛が短い分、他の所で女性らしさを出さねばと、決意を新たにしたのは今朝のこと。舞踏会までの間に、もっともっと色々なことを吸収しよう。


 そして、これはその最初の練習だ。舞踏会より随分と少ない人数を相手に尻込みしていたら、本番で上手くいく筈ないもの。だから、部屋をゆっくりと見回して、何でも無い風を装って静かに微笑むのだ。


 皆が口々に挨拶を返してくれる。お母様は少しだけ目を見開いて。お兄様はいつも通り微笑んで。そして殿下は、少しだけ口角を上げた。


 席に座るまでの短い間、気が気じゃない。いつ髪の毛の話をされるかと心臓がバクバクと激しく音を立てている。ただ、それを見せないように必死に何とも思っていない顔で椅子に腰掛けるのが、私の第一目標。


「ロザリー、とても似合っている」


 腰を掛けるや否や、口火を切ったのは殿下だった。何食わぬ顔で言ったにもかかわらず、胸が跳ね上がる。忙しい心臓を(たしな)めたけれど、効果は見受けられない。


「ありがとうございます」

「ドレスも、その髪型に良く似合っていて素敵だよ。まるで薔薇が咲いたみたいだ」


 続いてお兄様が笑顔を深め褒めてくれる。嬉しくなって頬を緩めると、殿下が何か言いたげにお兄様に視線を送っていた。お兄様は我関せずといった感じで、食事をするために手を動かす。


 私がいない間に二人は喧嘩でもしたのかもしれない。


「お兄様もありがとう。シシリーと一緒に選んだの」


 お兄様と私、そして殿下が会話をする中で、お母様は静かに食事を摂る。なんと言って切り出したら良いものかわからなくて、私はひたすらスープを口に運んだ。


 お兄様が目で私に問いかける。きっと、「私から切り出そうか?」というような意味合いだ。けれど、私は頭を小さく横に振った。それくらいのこと自分で切り抜けられなければ、舞踏会で切り抜けられないもの。


 最後の一欠片のパンを飲み込むと、私は背筋を伸ばした。


「お母様」


 心臓が走り出す。声は震えていなかったと思うのだけれど、大丈夫だっただろうか。


 お母様は手にしていたスプーンをゆっくりと置くと、私の方に顔を向ける。怒っているのか悲しんでいるのか全く分からない。


「何かしら?」


 声色は落ち着いていて、怒っているようには感じなかった。


 ええい、なるようにしかならないのだから、さっさと言っしまおう!


「私、鬘はやめにしようと思っているの」


 率直過ぎる報告に、食堂が静かになる。食器同士が当たる音すら聞こえない。そんな中、お母様はナプキンで口元を拭った。


「そう貴女が決めたのね?」

「はい、私が決めました。もしかしたらお父様やお母様にも迷惑がかかるかもしれないけれど」


 私の醜聞はウィザー家のものになる。巡り巡ってお父様やお母様に迷惑がかかってしまうかもしれない。それでも、この我儘を通したいと思っている。


「貴女が決めたことなら反対するつもりはないわ。覚悟はできているのでしょう?」

「はい、覚悟は……え? 良いの?」


 思わずポカンと口を開けたまま、お母様を見てしまった。絶対に反対されると思ったのだ。だって、伸びたとはいえ、私の髪の毛は肩にも届いていないのだから。


「何、間抜けな顔をしているの」

「ごめんなさい。絶対反対されると思っていたから」


 段々と尻すぼみになる言葉に、お母様は小さくため息を吐いた。


「ロザリア、こちらへいらっしゃい」


 私は目を瞬かせた。不意にお兄様と目があって、小さく頷かれる。食事中に席を立つのは少し憚られたけれど、私は「はい」と返事をして席を立った。


 お母様の席の隣まで歩くと、お母様が私の方を向いて座り直す。お母様の腕が私の髪に伸びた。


「貴女も背が伸びたわね。少し屈んで頂戴」


 女性にしては少し高めの身長のせいで、お母様の手が届かなかったみたい。お母様が私の髪の毛を触れるところまで屈んだら、お母様は嬉しそうに笑った。お母様の指先が、私の毛先に触れる。


「貴女はもっと自分を優先させなさい。いつも家のことやクリストファーのことばかり。この髪の毛だって、皆を守る為に切ったのだから、貴女一人で背負う必要はないのよ」

「これは、私自身の為でも有ったから」

「嘘おっしゃい。自分だけ守る為なら、他にも方法は有ったでしょうに。それでも貴女は選択肢から髪を切ることを選んだ」


 お母様は私が皆のことを考えてこの道を選択したと言うけれど、そんなことはない。私はあの頃、自分自身を守ることに必死だった。これが最善の方法だと思ったまでのこと。


 けれど、今「そんなことはない」と否定しても跳ね返されてしまう。だから、罪悪感を持ちながらも、少し曖昧に笑ってみせた。


「母親として貴女の決断を支えるわ。だから、胸を張って舞踏会へ臨みなさい。それに、その髪型、とても似合っているわ」

「お母様……」

「それにこう見えて、お母様は社交界に顔が効くのよ。なんと言っても、公爵夫人ですもの」


 お母様の笑みは、私の不安を拭うよう優しい笑顔だった。






















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