115.侯爵令嬢と双子の秘密
お待たせしました!
今回はレジーナ視点です。
王立アカデミーの芸術祭が成功に終わって数日が経つ。わたくしは冷めかけの紅茶で喉を潤しながら、耳に張り付いた何度目かの賛辞を聞いていた。
「本当に芸術祭は素晴らしかったですわぁ。これで益々入学希望者は増えることでしょうね」
お母様主催のお茶会は、豪華な調度品に囲まれたサロンで行われた。参加者は勿論、『リーガン侯爵派』……なんて言われる面々の貴族ばかり。
このお茶会では、芸術祭の成功は全て我が家の手柄のように讃えられ、わたくしは大いに持ち上げられている。そんな取って付けたような賛辞でも、お母様には気持ちが良いもののようで、開始からずっと目じりに皺を寄せながら笑っていた。
ああ、馬鹿みたい。
芸術祭、最後の舞踏会。大人達のいない舞踏会は新鮮で、いつもよりも皆が楽しそうだった。その殆どはあの男――クリストファーの功績だとわたくしは思っている。
アカデミーの皆が楽しめるようにと提案された舞踏会。あの男が提案しなければ、演劇の幕が降り次第、皆粛々と帰っていたでしょうね。
けど、舞踏会の成功すらわたくしの功績だと言わんばかりに褒められて、いたたまれない。それには訳がある。
あの男、ラストダンスから逃げたのよ。
あの男が提案した舞踏会。あの男が発案したラストダンス。それだというのに、あの男は会場にいた令嬢とお喋りに興じ、ダンスに誘い満足したところでフラッと消えたのよ。
普通考えられないでしょ? 最後まで責任持って居なさいよ。
あの男が居ないと気づいたのは、ダンスも終わりに近づいた頃のこと。ラストダンスを選ぶコンテストを取りまとめていた者達が、真っ青な顔をしてアンジェリカの元へとやってきた。
それもその筈。ラストダンスに選ばれたのは、『アルフレッド』と『シェリー』だったのだから。彼等は兎にも角にも殿下とあの男に相談しようと二人を探した。けど、どこを探しても見つからないと言うのよ。
殿下もあの男も居ない中、アンジェリカはさらりと決断したわ。
「『アルフレッド』と『シェリー』はこの会場にいないわ。無効よ。有効な票で決めましょう」
その指示はあっさりと通り、おこぼれでわたくしはラストダンスを踊ることとなったわ。
そんな裏話を知らなければ、『芸術祭で一番輝いていた人』を投票した結果なのだから、褒められて当然の結果なのでしょうけれど、なんだか釈然としない。
それにしたって、あの男の票が少ない理由も分からなかった。『アルフレッド』に続いていたのは『ルドルフ』だったわ。演劇に影響を受けた人が多いのでしょう。ならば、三番目にはあの男の名前があってもおかしくはない。けど、その下には『クリストファー』の文字は見当たらなかった。
その結果にわたくしが眉を寄せると、アンジェリカはその理由が分かっていたようで、「女って、怖いわね」と笑っていたわ。
女性から二番目に選ばれたわたくしと、男性の中から三番目には選ばれたノア・ベルナール。繰り上げで選ばれた惨めなラストダンス。
そんな不名誉なラストダンスだったけど、箱の中身を知らない大人達は手放しで褒めてくれた。
今回の芸術祭だって、わたくしはおまけ。リーガン侯爵家の立場を考えて、役割を与えられたに過ぎない。芸術祭を変えたのは他でもない、殿下やあの男だわ。わたくしは、彼らが言うままに仕事を引き受けたまで。それもこれも、この家の立場を守る為。
お母様は王家との繋がりを欲している。わたくしの気持ちなんて関係ないのよ。わたくしにこの家と王家を繋ぐ架け橋になって欲しいだけ。それだけ、今のリーガン侯爵家の立場が危ういということ。
代々リーガン侯爵家はセノーディアの武を束ねている一族で、お父様は騎士団長を務めている。充分に地位のある立場。けど、最近では戦争など殆どなく、平和ボケの毎日。訓練ばかり騎士団の重要性が薄れているのも事実。
そして何より、嫡男であるお兄様が悪いのよ。お兄様さえしっかりしていればお母様はこんなに必死にならなかったと思うわ。
お兄様はお父様に似ず、武の道には興味を示さなかった。今もアカデミーの研究施設に籠って研究を続けている。同じアカデミーに在籍しているというのに、アカデミーでお兄様に会ったことはない。最近ではお母様が口煩いせいか、屋敷にも寄り付かなくなってしまった。
はじめ、お父様やお母様は武が駄目なら文と思っている節があったわ。けど、お兄様は政治の世界にも全く興味も示さず、研究ばかり。お父様の跡を継いで騎士団に入ることもしなければ、王宮で働くこともない。
リーガン侯爵家が発言力を失わないようにするためには、娘のわたくしが王太子妃になるしかないと、お母様は考えているみたい。娘が王太子妃ともなれば、お父様の発言力は増すものね。
けど、昔からウィザー公爵夫人と王妃様は仲が良い。その縁あって、殿下と同じ年のロザリアが王太子妃の席に一番近いというのは周知の事実だった。
お母様がどうにか周りの足を引っ張ることを考えている間、あの男もアンジェリカもどうやって三家に亀裂を生ませないかを模索していた。お母様のやっていることが、どれ程恥ずかしいことか分かってはいる。それを止めることができないわたくしも、卑怯だと言われてしまいそうね。
芸術祭の後、ウィザー家はまた鳴りを潜めた。芸術祭の途中ふらりと姿を消したあの男は、妹のロザリアや母親と領地で療養をするのだという。ウィザー公爵は「クリストファーの勉強の為」と公言しているようだけれど、色々な憶測が飛び交っている。
「ウィザー家のロザリア様は、ご病気大丈夫なのかしら?」
ほら、またこの話題。このお茶会が始まって三度目だわ。女が数人集まれば、同じ話題が繰り返されることもあるけれど、新しい情報が出るわけでもない。非生産的だと思わないのかしら。私はため息を紅茶と共に飲み込んだ。
「空気の良い場所での療養が必要な程だとお聞きしておりますわぁ」
「ご病気ですと来シーズンのデビューも難しいかもしれませんわね」
わざとらしい笑い声がサロンに響く。「ロザリアが無理なら貴女が有力」という流れをあともう一度笑顔で返さないといけないなんて、本当最悪だわ。わたくしは愛想笑いを浮かべばかり。早く陽が沈めとばかりに何度も窓の外を見るけれど、太陽はまだ高い位置にある。あと紅茶を何杯飲んだら解放されるかしら。
わたくしは、ため息の代わりに誰宛にでもない相槌を返した。
ロザリアが未だ臥せっているなんて、都合の良い噂は信じることができない。だって、わたくしはしっかりとこの目で彼女の顔を見ているのだから。確かに青白い肌をしていたし、健康そのものとは言えはしなかったけど、田舎での療養が必要そうには思えなかったもの。
だから、舞踏会に彼女が来ないという可能性は殆ど無いと言って良いでしょうね。
もしも、わたくしに可能性があるとしたら、冬の舞踏会が終わってから。だって、殿下の中のロザリアは六年前で止まっている筈ですもの。
六年の長い想いは形を変えるわ。どんどん理想へと塗り替えられていくロザリア像と、本物を見比べた時、殿下の気持ちが無くなってしまう可能性だってある筈。ロザリアだって成長する。六年前の彼女のままでいるわけがないもの。
今の殿下は六年の想いのまま、真っ直ぐにロザリアだけを見つめているわ。だから、今下手に想いを伝えても振り払われるだけ。
今の殿下の想いがまかり間違ってわたくしの方に来るとは思えない。彼にとって特別はロザリアだけで、わたくしや他の婚約者候補なんてその他大勢に他ならない。
今現在十七歳になった彼女を見た後で、彼が心変わりをする可能性に賭けるしかないと思っている。離れた心を掴むのがわたくしであれば良い。
今はその一縷の望みに賭けて、自分自身を磨くしかないのよ。
例え、冬の舞踏会で殿下がロザリアの手を取ったとして、問題はないわ。それは必然ですもの。愛する女の手を取るのが物語の筋。順当に二人は婚約を果たすのもまた必然。婚約はあくまで婚約。彼女と同じ時を過ごしてずれていく感覚に彼は悩むかもしれない。
わたくしはその可能性に縋るしかないわ。だって、離そうとすればする程、燃えるのが恋という炎だもの。
わたくしはお母様達の噂話に相槌を打ちながら、静かに闘志を燃やした。本当なら、こんな生産性のないお茶会で愛想笑いをしている暇なんてわたくしにはないというのに。
「そういえば、ここだけの話なんですけれど……」
豪奢に髪の毛を巻いた夫人が、わざとらしく扇子を口元に添えて小声で話を始めた。お茶会の「ここだけ」は大抵数日の内に国中の夫人達に広がる。馬鹿馬鹿しいと席を離れたいけれど、そうもいかず、わたくしは静かに紅茶を一口飲み込んだ。
「六年前の事件覚えていらっしゃる?」
「勿論ですわ。王太子殿下を庇ったクリストファー様の話でしょう?」
「ええ、それが本当はクリストファー様ではないらしいのよ」
わたくしは大きく目を見開いた。そして驚きのあまり、ティーカップを手から滑らせてしまった。
ティーカップはわたくしのドレスを滑り落ち、床へと落ちる。部屋に控えていた侍女達が慌ててわたくしの元へと駆け寄ってきた。夫人達も会話を止めてわたくしに視線を向ける。
「まあ! 大変!」
一人が声を上げると、皆が次々に声を上げた。けど、わたくしはそれどころではない。
「いいから教えて頂戴! 殿下を庇ったのはクリストファー様ではありませんのっ?」
わたくしの大きな声がサロンに響き渡った。
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